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「自我」を築く環境から「共認」を築く環境へ

Posted by ななし on 29.2016 記事 0 comments 0 trackback

自分の歩んできた教育現場の環境を振り返ると、学校とは自我を築くための環境として存在していたように思います。

私たちの世代の会話の中で「自分のやりたいことが見つからない」という言葉をよく耳にします。進学、就職と歩を進める過程で、自分が一体何をやりたいのかを脅迫的に考えることを迫られ、やりたいことが見つからない生徒に対し先生からは、「今の段階でやりたいことが見つからないのは当たり前、進学して勉強を続けるうちに、やりたいことも見えてくる。」というアドバイスが決まり文句のように語られていたように思います。

しかし、既存の社会(私権社会)においては、「自分のやりたいこと」から導かれ、到達する場所は「自己充足」を越え出ることはなく、一度「自己充足」を得ることが目標とされてしまうと、学問やスポーツ、遊び等から得られる充足が、全て「自己充足」という同じフィールド上で扱われてしまうため、その結果として現在、多くの若者が学校という場にこだわらずに、「自己充足」を満たす場を追い求めるといった状況が生まれているように思います。

形骸化した私権社会の教育の一番の弊害は、「自分のやりたいこと」という思考が「自己充足」のみに向かい、社会全体に対する視線を自らシャットアウトしてしまうことにあるように思います。

今、学校にとって必要な環境つくりとは、「自我」を築く環境から「共認」を築く環境に移行することが一番に考えられなければいけないように思います。一度、「自分のやりたいこと」という考え方自体を否定し、社会全体、あるいは学校、クラス内で「期待応望」を感じながら自己の役割を果たしていく過程の中で、「自分のやりたいこと」が「自己」の領域を越えて見えてくるのではないでしょうか。

「共認」を築く環境においては、「自分のために」と「みんなのために」は同義となり、たとえ「自分のやりたいこと」という考察であっても「個人」の領域を越えた全体的な考察と強く結ばれることになると思います。



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