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「働くということ」

Posted by ななし on 20.2016 記事 0 comments 0 trackback
藤岡さんの事例で「働く」ということについて考えさせられました。

本来労働はさまざまな関係、つまり期待応望のなかで行われてきたと思います。例えば農民の労働では、自然との関係、家族との関係、水管理や結などのみられた地域との関係を基礎にし、さらに村を訪れる行商人や農具を直してくれる村の職人、さまざまな仲買人など実に多くの人々の関係をとり結ぶことによって成り立っていました。
同じことが町の商人や職人にもいえます。つねに彼らは、いろいろな面で仕事を支えてくれる関係のなかに生まれた仲間がいました。もっともこのような直接的な関係に支えられた労働は、常に評価にさらされるという一面では厳しいものであったことは間違いないと思います。しかしその関係を通して、人々は自分の労働がどのような有用な役割を果たしているかを知ることができる。働くようになるということは、広い世界に出ていくとか、社会に貢献するという意識が非常に強かった。

一方、賃労働として働くまた会社が商品となるような市場社会では、そのような意識は希薄である。
しかも特に今日では何が必要で何が不必要なのかもわからない状況に陥っている。一人の消費者として商品を購入し、そのサービスを受けるが、しかしその商品やサービスが人間に暮らしにとって本当に必要がと問われればたちまち迷ってしまうだろう。
そのような感覚が強くなればなるほど広い世界に出るとか、社会に貢献するといった労働の感覚は消えてしまい、労働は個人の生活のために手段になる。一面では労働を収入を得るための手段にし、他面では自分の働きぶりに自己満足する手段にする。
すなわちひたすら我のために働くようになる。こうして労働はエゴイズムに支えられた活動へ変貌してきた。

そういう意味では現代は労働を忌避しているというより、既存の(私権)企業で働くということを拒否する流れと考えるべきなのだろう。
しかし、その中でこの十数年間の間に、起業したいというと考える人が確実に増えている。
最初のころは「独立する」、つまり自分で経営する「親方」になるという風にみていたが、よく考えてみれば今日の起業はこれまでの独立するとは少し違う。なぜなら「独立」にはそれなりの出世志向が働いていたが、今日のそれは、人間的に働き暮らしたいという気持ちに支えられている。
その新しい動きに中で再評価されているのが農業や林業を中心とする「腕」や「知恵」であろう。働けば働くほど腕が高まる、知恵が深まるそのような仕事につきたい、という思いが確実に高まってきた。またそういった「腕」や「知恵」のある人に注目が集まっているもの確かでしょう。
私は、このような流れが企業のあり方も含めて大きく変わっていくのではないかと期待している。


安冨啓之
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