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ただ寄り添うだけでは、もう足りない

Posted by ななし on 17.2016 記事 0 comments 0 trackback
今までは、答えは永遠に見つからないように思えた。未来なんてないように思えた。
だから、どうにもならない不全を抱えた弱オスザル達のように、寄り添っては親和に励んだ。飲食をともにし、どうでもよさそうなことをネタにおしゃべりしては解脱充足を求めた。

でも、いつごろからか、どんなにそばにいても、どんなに話が盛り上がっても、心の奥底は満たされないようになった。仲間たちと笑いあっているのに、寂しくて、空しかった。「こんな話をしたいんじゃない、もっと大事な話があるはずなのに」そう思いながら、楽しげな雰囲気に流されていた。
そんな自分がイヤだった。ひとりで寂しさに耐えているほうが、まだマシに思えた。

しかし今、認識仲間への道が開けた。私たちは、語り合うべきことを手に入れた。それは、ただ解脱のために、消費するだけの「ネタ」ではなく、語り合うことで進化していく、「認識」。
そこでの語り合いは不全を解消するためだけの(親和の一形態としての)おしゃべりではもはやなく、お互いが触発しあいながら、期待し応望しながら「答え」を探し出していく、もっとも人間らしい、いわば「生産」の現場なのだ。

現状では、この「生産的語り合い」は、身近な「身内仲間」よりも、遠くの「ネット仲間」のほうが、しやすいように思う。なぜなら、そばにいること、その安心感が「身内仲間」を古いパラダイム上の「解脱仲間」にとどめてしまうから。人間は易きに流れやすい、とは事実なのかも。

もっとも長い時間をともに過ごす仕事仲間こそ、一刻も早く「身内仲間」から「認識仲間」へと脱皮すべきだと、私は思う。

そばにいることの安心感や、笑いあうことの心地よさに流されることなく、より充足を求めて、「認識」を深め合おうではありませんか、身近な仲間たち。



藤岡聖子 
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