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「私」は孤独だ

Posted by ななし on 23.2015 記事 0 comments 0 trackback
私は友人には恵まれていると思う。人生25年のうち23年は共同生活をしてきた(18年は家族、3年寮生活、2年ルームシェア)から、濃密な人間関係を築いてきたようにも思える。田舎者なので、外に対しては極めて消極的で人見知りをする傾向があるが、
関係構築には実は積極的で、自分なりの付き合い方がわかってきたことには、自分は漸進的に人間関係を構築していくように思える。

 しかし、最近は孤独を感じることもある。なぜだろうか?
 確かに、仕事に就きながらも友人たちとはよく飲んだりして交歓するし、東京へ出てきた折りには個人的に一対一で会ったりもする。

 しかし、かつてのような濃密さがだんだんと希薄になっているように思える。例えば、話の内容は過去の思い出話もあるが、主な内容は、今の状況(仕事や恋愛、旅行)が主なものだが、つくづく思うには過去に共同して行った快感というものがなくなっている。

 ボランティアや模擬裁判、学祭の出店、あるいはみんなでよくいった旅行(東北地方を野宿しながら半分くらいは現地の人に泊めてもらったというはたまた破天荒な旅など・・・)そのその瞬間における感動の共有みたいなものが少なくなっているような気がする。

 もちろん、これから社会に出て仕事においてそのような達成感を得ることも可能であろう。だが、出世やサラリーの圧力のもとで、純粋な気持ちでそういったものが得られるかは疑問だ。

 考えてみれば、進学によって住み慣れた故郷を離れ、就職によってみんなばらばらになっていく、かつてのような感動の共有はない・・・これが孤独だろうか。仕事につき家族すら裂かれるようなこともあるかもしれない、遠い未来でもあるかもしれないが老後においてもそうなるかもしれない。将来における不安、これも一種の孤独なのかもしれない。共同生活にしても、永年というわけにはいかない仮初のものと否定的にとらえることもできる。お互い、ばらばらな目的に向かって生活しており、どちらかがそれを達成したなら、この生活は終わるのだ。

 私権社会においては、生活と職業、友人関係が分断され、あるいは利害化されていく。このような中、「私」に安住はなく、「私」は孤独である。生活や職業、友人などを一体とした、共同体の構築がこのような孤独から「私」を救うのではないかと思う。


たべた英智
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