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鍵っ子の心の縺れを解く鍵は何処に?(2)

Posted by ななし on 20.2015 記事 0 comments 0 trackback
現代の若者を捕える「自分」へのこだわりが、どのように形づくられていくかを読み解くひとつのヒントが、ここにあるように思います。

 まず、彼が「ひとり」へのこだわりを持つに至る背景に、心の寂しさがあること。
 もし仮に、A君が寂しさを抱えていなかったら、「ひとり」「自分」とこだわるようにはならなかったでしょう。決して満たされない心を諦めさせるためにこそ、“自分を持つことは大事”という理屈の必要性が浮上するのです。
 彼は自ら――聞いていて耳につくほど――“鍵っ子”という言葉を連発するのですが、彼の寂しさとそれを押し隠す習性の起点が家庭環境、親との関係にあることを自覚しているようです。

 次に、A君の心を武装する理屈は縺れがひどく、その意識が対象化する風景は被害妄想的な色彩を帯びているようであること。
 例えば、なぜ自分をしっかりと持たなければいけないか、その理由にA君は“人は最終的にはひとり”“ぎりぎりまで追い詰められた時、自分ひとりで決断し生き抜かなくてはならない”と挙げます。
 高校生の若者が、ぎりぎり追い詰められた状況を自分に言い聞かせながら、日常を送っているのです。およそリアリティのある問い、また現実的回答とは思えませんが、それよりも、精神的には実際に追い詰められて年を重ねてきたのでしょう、彼にとってはこれが最も実感の伴う問いなのかもしれません。

 ひとりを寂しいと感じるのは至極当たり前のこと、求めるべきはこの寂しさからいかに脱出するかであって、ひとりでも生きていける「自分」ではないはずです。そして、諦める‘しか’ない孤独への回答を、彼ひとりに問うのは酷と言わざるを得ません。


今井靖明
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