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公共工事や談合は本当に悪か?

Posted by ななし on 20.2015 記事 0 comments 0 trackback
今年9月20日、台風15号の被害によって、名古屋では水位が急上昇した庄内川の水が堤防を越え、流域の約100万人に避難勧告が出ました。
このところ大雨による水害が増えています。それを防ぐために単なる経済対策という観点でなく公共工事を見直す必要があるのではないだろうか。

ねずきちの ひとりごとリンクより転載します。
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~前略~

公共工事は、イコール税金の無駄遣いである、そんなイメージが、多くの日本人に浸透しています。
建設談合も、これはずいぶん以前のことになるけれど、悪だと決めつけられた。

けれどよく考えていただきたいのです。
建設談合があるから、公共工事には受注業者に、確実に2割の利益があった。
各会社は、持ち回りで工事を請け負い、利益も確実に保証されている。
だから、業者同士の戦い(競争)は、もっぱら工事の精度、出来上がりの良さで競われることになっていた。
それが日本の大規模公共工事の一般的慣習だったから、日本の建設事業者や、大工、左官、鉄筋屋、コンクリート屋、建設資材屋さんたちは、みんな安心して、少しでも良い仕事をすることで、きちんとした、ちゃんとした仕事をすることで、長い職人生活、あるいは生涯を通じての建設業者生活を送ろうとしたのです。

その談合が廃止され、民主党政府になったらどうでしょう。
東日本大震災が起こり、多くの避難民に仮説住宅を提供することになった。

雇用の確保のため、あるいは経済振興のため、あるいは復興のため、仮設住宅は日本国内の事業者に工事の発注があるかと思いきや、なんと仮設住宅は韓国から購入した。

気象条件の違いなのか、住宅の出来そのものの違いなのかは知りません。
知りませんが、韓国製のその仮設住宅、入居して間もなくカビが繁殖し、とてもじゃないが生活に耐えられない。住めたものじゃない。
だから多くの避難民の方々が、仮設住宅を捨てて、もとの避難所生活に逆戻りしています。

それだけじゃない。
日本の住宅メーカーや、工務店などが仮設住宅の入札に参加しようとすると、韓国と同じ値段でなければ工事を請け負わせてもらえない。
物価も違えば、人件費も違うのです。
無理です。

それでも、人様のお役に立てるならと、工事を請け負った業者の方もおいでです。
毎日、早朝から真夜中まで仕事をして、赤字です。
これじゃあ、経済はもちません。

話をもとに戻しますが、降雨量については、気象庁のホームページに詳しい目安、説明が載っています。
リンク

もともと自動車のワイパーは、1時間の降雨量が50mmまでを想定して規格ができています。
河川の堤防や、下水施設も、1時間の降雨量が50mmまでを基準に構築されています。

けれど現代の日本人なら誰もが知っている。
日本は、我々が子供の頃は、確かに温帯地方だったけれど、いまや日本は亜熱帯化しています。
あのなつかしい夕立は、いまや熱帯性スコールとなって降り注いでいる。

気象条件が変わったのです。

ならば、河川の堤防も、下水施設も、排水施設も、車のワイパーやタイヤの規格も、いまの時代、あるいはこれからの時代に合わせて、作り替えなきゃならない。

けれど考えてください。
一級河川と呼ばれるような大きな川の堤防の補強工事や、地下に張り巡らされた下水施設など、個人の力で改修工事をするなんて、不可能です。
だからこその、公共工事です。
みんなが安心して、安全に暮らせるようにするのが、市町村や、県や、国といった公共機関の最大の役割です。

ボクが住んでいる埼玉の東南部というのは、利根川と江戸川という一級河川が近くを流れるところです。
見に行くとわかるけれど、広大な河川があり、その両脇には、巨大で広大な堤防が構築されている。
その堤防ができたのは、実は、なんと江戸時代のことです。

もともと関東では、利根川のことを坂東太郎(ばんどうたろう)と呼んだくらい、嵐のたびに利根川が荒れ狂い、川の位置が変わってしまっていたのです。
これでは江戸の街で庶民が安心して暮らすことはできない。

そこで江戸幕府は、なんと利根川の水路を、千葉県の銚子にまで逃してしまったのです。
これがいまの利根川です。
あれは、人造川なのです。

そして千葉県と埼玉県、茨城県が交差するところから、利根川の支流として、江戸川を分岐させた。
そうすることで、江戸の水を確保した。

利根川も江戸川も、どちらも巨大な河川です。
そしてその河川は、人の力で、まだ建設重機なんてなかった時代に、人々が土嚢を積み上げ、川を掘り、いまの流れを築いたのです。

そのおかげで、江戸の庶民は洪水に悩まされずに済むようになった。
家が木造だから、火事と喧嘩は江戸の花、なんて言われたけれど、洪水が江戸の花には、ついぞならなかった。
大規模な河川工事を、江戸時代初期にやってくれたおかげです。

ちなみに、この利根川と江戸川には、まだオマケがあって、千葉の佐倉藩は、幕府の老中クラスの徳川直参旗本が代々の城主を勤める藩だったのだけれど、この佐倉藩で、印旛沼の大干拓事業を行った。
大きな沼を、田んぼに変えたのです。

当然、そこには豊富な稲が実った。
たくさんのお米ができた。

そのお米を、どうやって江戸に運んだかというと、印旛沼で高瀬舟に米俵を積み込み、水路を伝って利根川に出、利根川をさかのぼって、関宿(鈴木貫太郎のお在所)で江戸川にはいり、江戸川つたいに江戸の町に米を運んだのです。

また、米がたくさんとれるようになり、豊かになった佐倉藩では、紀州和歌山から醤油の製造法を学び、そこでキッコーマン、ヤマサ、ヒゲタ、正田醤油などが起こります。
そして醤油も、利根川をさかのぼり、江戸川に出て、そこから江戸市中に運んだ。

さらにいうと、戦後、まるでどぶ川にようになってしまった利根川、江戸川だけれど、昭和初期までは、どちらも夏には川遊びや水泳ができるくらい、どちらもきれいな川だった。

どの川も、巨大で広大な堤防が築かれ、きれいな水が流れ、物流に活用されていた。
そうやって、日本人は、自然と上手に付き合って来たし、上手につきあうために、公共工事は、藩を挙げて、あるいは、国をあげて取り組んで来たのです。

川にかかる橋も、堤防も、全部、日本人が作って来た。
すこしでも人々の暮らしが便利になるように、すこしでも安心して、安全に暮らせるようにと、みんなで力を合わせて築いて来た。

それが日本という国の、私たちの国のカタチなのだと思う。

その日本を、馬鹿にし、嘲笑し、自分だけはいい子ちゃんになって澄ましているような政治家やマスコミ、学者、評論家、教師などは、もう日本にはいらない人達でしかない。公職追放すべき人達であると、申し上げたいのです。
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以上です。


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