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まず身近な職場を改革してから、社会をどうするかを提示せよ

Posted by ななし on 07.2015 記事 0 comments 0 trackback
考えてみれば、いつの時代でも、現実の生活の変化=潜在思念の変化が先行し、後からそれが言葉化(観念化)されてきた。
もちろん、普通の人々にも、追求し理論化したい課題は多々ある。しかし仕事に追われて、理論追求できる時間はせいぜい1~2時間しかとれない。先頭に立って闘っている経営者なら、なおさらそうだろう。
しかし、たとえ机に向かう時間が取れなくても、日々現実課題に直面して闘っている人々の潜在思念は、間違いなく最先端の可能性を捉えている。

その点、学者や評論家やジャーナリストetcモノを考えるだけでも飯を食っていける人々は、それだけで普通の人とは異なる特権階級である。しかも、現実そのものと直対することから逃げた只の傍観者なので、最先端の可能性を捉えることが出来ない。それどころか現実からズレて、人々を誤らせるような観念しか生み出せない。
要するに、普通の人々と存在基盤が異なるので、彼らには大衆の願いを叶えることは出来ない。認識のプロになった時点で、はじめから、その資格はないと自覚しておくべきだろう。
とりわけ、近代の思想家たちに至っては、ほぼ全員が観念病という名の病人である。そんな観念病者の著作に踊らされて、抽象的な「社会」に向かって批判と要求を繰り返しているのが素人の社会派であるが、これでは、社会を変えられるわけがない。

普通の人にとって、もっとも身近な現実の場は職場である。そこには常に大きな圧力が加わっており、従って、自らもエネルギーの大半をそこで費やしている。従って、現実を改革したいのなら、まず己の現実の職場を改革すべく尽力すべきだろう。
現実に強い圧力が加わっている職場に対しては何も言えない者が、直接には己に何の圧力も加えてこない「社会」に向かって何かを主張しても、それは逃避行為でしかない。当然そんな主張は、すべて偽物である。
本当に社会を良くしたいのなら、まず、もっとも身近な現実の場である職場をどうすれば改善できるのかを提示し、その上で、社会をどうするかを提示すべきだろう。
現実の職場を何一つ改革できない、ただの口舌の徒に、社会を語る資格はない。

(続く)



岡田淳三郎
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