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出版・マスコミは3乗の「傍観者」

Posted by ななし on 16.2012 記事 0 comments 0 trackback
> 劇は観客が“心得る”ことにある、と思っている。
> 自分の生き方(人生)を確認する場所、と考えながら居る。
> 社会と自分を“合わせ鏡”にして、どこで社会に活かすか、と頭の片隅で考える。
> このシーンは、セリフは「こんなときの役に立つ」なんてことも。

 これまでも、多くの観客は、自分の人生を、社会を、芝居に重ね合わせて見てきたはずです。
 しかし、それで、人々の現実は変わったのでしょうか?

◆代償充足は支配体制存続の温床
 
 演劇を含め、文学者たちは、確かに、社会をテーマに様々な作品を書き続けてきました。
 そして、それがあたかも、何か社会に対して意義のある活動であるかのように思われてきました。

 
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ しかし、彼らがどんな問題意識を持とうが、どれほど紙幅を埋めようが、社会の現実は変わらず、むしろ、代償でしかない充足で人々の不全を麻痺させることによって結果的に支配体制の維持存続に資することになったのです。

 反体制を自称する劇作家であっても、その中身が代償に過ぎない限り、それは支配体制存続の温床でしかないのです。

◆人々の目を眩ます作家たちこそ破局の下手人

 作家たちが代償充足しか生み出すことが出来なかったのは、社会の不全や問題を突破する「答え」を見出せなかったからですが、では、なぜ「答え」に辿り着くことがなかったのか?
 
 その理由は、「全てこの世は舞台、人は男も女もみな役者」(「お気に召すまま」シェークスピア)という言葉があるように、彼らが、結局、現実に対して、傍観者でしかなかったからです。
 彼らは、人々の目を眩ます技術にこそ長けてきたのであって、だからこそ、市場社会の中で職業として成立することが可能になったのです。

 人々の不全をまさしく傍目に眺めながら、物語に仕立て上げて、それをネタに人々が泣いたり笑ったりする一方、現実は何も変わらぬままに放置されてきたことが、現在の危機を招いた直接の原因だとすれば、彼らは大衆を滅亡へと誘ってきた、破局の下手人なのです。

◆現在の統合階級は3乗の傍観者

 しかも、今日では、その下手人たちの言葉を集めて、売りさばくことが、マスコミ・出版という巨大産業となっていますが、彼らこそ、傍観者(普通の人々)を眺める傍観者(作家たち)のさらに上を行く傍観者とも言えるでしょう。
 
 つまり、作家たちは少なくとも何かを生み出してきましたが、現在の共認を支配する統合階級は、その成果を差配するだけの、普通の人々以上の3乗の傍観者=ただの見物人であり、だからこそ、社会は一向に変わるはずがなかったのです。

 いずれにせよ、観客がどんな心づもりで見ようが、人生を、社会を芝居に重ね合わせて見ようが、現実の当事者たり得る日は永久に到来することはありません。
 なぜなら、作家たちの言葉=認識は、根本的には、見物人の感想であって、観客は、傍観者であることを追認しているにすぎないのです。



阪本剛
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