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「解脱」の中身を問う

Posted by ななし on 14.2012 記事 0 comments 0 trackback
>あと、私権時代の解脱が共認不全、共認非充足からなら、いかに認識形成サイトが、本物の解脱の側面「みんな充足」のあたりをカバーできるかも鍵となっていくのかもって思いました。ここで、頭を使うのは大変!でも解脱も必要?ってところが残る課題??

必要なのは、「解脱」の中身を問うていくことではないでしょうか。
そもそも「解脱」とは、不全から来る欠乏に応えることが出来なければ、意味を無しません(機能しない)。

例えば、始原人類やネイティブの世界などの本源社会においては、自然圧力や生存圧力による本能不全→親和欠乏に応えるための踊り、性などの解脱。皆と親和し、皆と繋がることで、迫り来る外圧に対して立ち向かう力(活力)を得ます。ここにおいては、私権時代に見られるような現実を捨象するための解脱と言うよりも、現実に立ち向かうための活力源としての解脱という意味が強いと思います

これに対して、私権時代の解脱とは、抑圧された現実からどれだけ「逃げられるか」に意味が置かれています。TVもゲームも演劇も(更には古代宗教や近代思想も)非現実の世界であり、全ては、私権不全=共認不全を捨象する(忘れる)ために存在します。現実から目をそらして、「充足した気分になる」からこそ、「代償充足」なのでしょう。
少し違う見方をすれば、TVドラマの内容や、演劇の内容、あるいは流行歌などを特定の人と共認することによって、共認不全→欠乏を充足しているとも考えることができるかもしれません。どちらにしても、現実を捨象した代償充足であることに違いはありません

私権不全が社会不全に転換した現代においては、このような(共認不全の)代償充足である解脱スタイルでは、全く充足できない。ならば、「必要な解脱」とは、この「社会不全」から来る欠乏=認識欠乏に応えることのできる「解脱」であると思います。
認識形成サイトに参加して、認識を紡いでいく、あるいは獲得することがそれに値するのは間違いありませんが、より突き詰めて考えれば、個々人が認識形成に参加することが充足となるのではなく、私権統合が崩れ、全く先の見えなくなったこの社会(現実)をみんなで切り開いていくことが「答え=充足」になると感じます。
それは、「(皆と)つながる」「(皆で)共認する」「(皆で)認識を紡ぐ」と言う、本能・共認・観念全ての欠乏を満たす解脱となるのではないでしょうか

最終的には、あらゆる代償充足は廃れ行き、認識形成の場(=同類闘争の場)と解脱の場が一体化していくと感じます


西谷文宏
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