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共認形成を人々の手に取り戻す闘い

Posted by ななし on 06.2012 記事 0 comments 0 trackback
>人類の命綱は共認にあり、従って認識形成こそ社会形成の生命部である。ところが、これまでは人類の命綱である共認形成の要(かなめ)の位置に、学校(教師)や大学(学者)やマスコミ(報道人や文化人)が陣取り、一握りの知識階級が人々を染脳し、共認を支配してきた。
しかし、学者や文化人やマスコミは、教育や研究や発信を業とする特権階級であり、社会の単なる傍観者に過ぎない。決して現実社会を生きる当事者なのではない。(「もう、傍観者=インテリ統合階級は、要らない」)

にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ 「知識人論」なる論がある。知識階級とは何か?その存在意義を問うのであろう。そして、知識人は少なからず、知識人論を展開する。しかし、農業に従事する人々が、自然環境や農業の在りようを論ずることはあっても、農業人論をくどくど説くなどということはない。どのような生産に従事する人々も同様である。

現実に生きる人々は、対峙する対象の認識に頭を使うとしても、そのように考えている自分とは何か?という問いは発しない。普通の人からは出てこない倒錯した思考である。そのように問わねばならないのは、自らの存在意義が現実対象の中にはじめから存在しないからである。自ら捏造するしか存在意義の見出せない存在、それが特権的知識階級である。

だから、「民衆のため」とか「実態的存在と同一化して」とか、観念的に立場を創出せねばならない。そして、「人々の自由が奪われないように、政治を詳しく説いてあげねばならない」などと、その啓蒙を価値あるものの如く説かねばならない。大きなお世話である。

初めから、当事者ではなく代弁者という立場を捏造しなければならない。そして彼らの幻想観念が、私権の核である家族や恋愛を美化し、共認統合に貢献する範囲において支配階級にとって利用価値があるだけである。その否定意識が、古い身分序列に対する批判として、貧困下の人々の私権獲得に貢献する限りにおいて支持されただけである。

だから、貧困の消滅とともに真っ先に人々に見捨てられたのである。私権の鎖を断ち切って認識収束した人々にとって、傍観者である知識人やその言説は、もはや不信の対象でしかない。

共認を武器として進化してきた人類にとって、知識階級の染脳による共認支配から脱して、自らの手で共認を形成することの人類史的意義は大きい。共認充足なしには生きられない人類にとって、認識形成サイトにおける協働によって得られる共認充足の大きさは計り知れない。

今、命綱たる共認形成を人々の手に取り戻す闘いが始まったのである。



石野潤
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