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新しい潮流 外向仲間の本質は認識仲間である

Posted by ななし on 01.2012 記事 0 comments 0 trackback
☆おしゃべりは昔から在る。古い身内仲間と新しい外向仲間の違いは、何か?
○農業時代のおしゃべりは私権不全からの解脱。皆、生まれ育ちが共通で、噂話や風土に根ざした民謡などで盛り上がった。
○市場時代も私権不全からの解脱だが、村落共同体を失って共認不全⇒解脱欠乏がより強くなっており、生まれ育ちが違うので共通の話題もない。この強い解脱欠乏と話題のネタ欠乏が、芸能を発展させ、参加するのではなく単に見るだけという観客化を推進していった。
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ ○しかし、’90年代、共認不全<社会不全になると、おしゃべりの場もテレビ収束の場も共に衰弱して、個室収束(潜在思念の答え欠乏)が強くなってゆく。これは一見、外向収束に逆行している様に見えるが、そうではなくてこれは私権不全⇒解脱収束という生活様式の衰退であり、私権観念の衰弱につれて答え欠乏と外向欠乏が潜在思念にどんどん蓄積されてゆく過程だったのである。
○市場社会も100年経ち、かつ豊かさが実現されると、皆生活が一様になり、今度は一様に閉塞したその共通性が、おしゃべりの場を衰退させて個室収束を強めた、あるいは面白くもない身内仲間を超えて外に(メル友や海外旅行に)つながりを求める外向仲間収束を強めさせたとも云える。もちろん、その底流には外向基調がある。
○どちらも自分たちの場であるが、身内仲間は古い私権不全からの解脱仲間であるのに対して、外向仲間は(潜在思念の奥に外向収束と答え欠乏を孕んでおり、従って)本質的には、認識仲間である。

四方勢至
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