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未来は僕らの手の中

Posted by ななし on 27.2014 記事 0 comments 0 trackback
先日ある機会に、「TVで紹介されていたオリーブオイルダイエット用のオリーブオイルはどれですか」と尋ねられ、TVを見ない僕はとても返答に困ってしまった。その番組を見たことのない僕は率直に「そんなダイエット、効果なんて絶対にないからやめときなさい」と軽くたしなめてしまった。

オリーブオイルダイエット……家に帰った後一応検索してあれこれ調べてみたが、要するにオリーブオイルをいくらか摂取することによって食欲を調整もとい抑制し、体重を落とすという方法らしい。って当たり前じゃないかこんなもの食わなきゃ痩せるに決まってる。

まるで永遠の狼少年である。バナナ、ココア、そしてオリーブオイルと手を変え品を変え、しかし僕が少し思うのは、これらの意図的に間違った情報発信にあえて乗っかる商売の側も存在するという事実である。ここで問題なのは、両者の関係が売り手と買い手ではなく、友人関係もしくは金銭を伴わない何らかの会話のやり取りであった場合、この話はほとんど発生しえないとという点だ。

話を進めれば、お金の獲得を目的とした場合人間はウソを手段として許容するのである。例えばこれが「オリーブオイルダイエットは正しいか」という事実追求であるなら、信じる・信じない側の立場にある人間の間で行われるのは「そうに違いない」という主観的な正しさの応酬である。(そこにウソが発生するとすれば、明確な「悪意」がある時ぐらいである。)応酬を繰り返せば時間差こそあれ、必ず答えが出る。

お金を支払う側、つまり購入者の場合はお金を支払うことでその商品が信用できるか否かはともかく、信任したことになってしまう。販売者はその商品が本当に信用できるか否かはともかく、購入させることが目的である場合がほとんどである。(そのため嘘が合理化される)こうして「何故そうなのか?」という問いかけは宙を浮き、騙しと幻想価値は蔓延し、事実に到達することは極めて困難になってしまった。嘘は泡のように生産され、社会に広がってしまう。我々に猜疑心がないからではなく、「何故そうなのか?」をないがしろにするが故である。しかしお金のもたらす物的な快美充足は、問題の思考や提起を打ち消すには充分であるし、そもそもお金を使う側に「何故そうなのか?」という自覚そのものがお金を使うにあたって必ずしも必要ではない。

しかしお金は、現実の必要度を測るモノサシ(33179)であり端的に言えば無自覚に、安易にお金を使うことによって、人間の知能は容易に低下するのである。普段あれだけ政治家の税金の使い方には目がいく側の人間が、である。こうして多くの日本国民は、ワイドショーで日々喧伝される「税金の無駄遣い」に大いに怒り狂った後で、デパ地下スイーツに勤しむことができるし、減量のためにバナナを買い占めることもできるのである。

我々には近々、定額給付金という形で12000円(基準日において65歳以上、18歳未満は20000円)が「使ってください」の名目で手渡されることになっている。その是非はさておき、このお金を胸を張って言えないような、それこそろくでもないことに使ってしまったなら、その人というのは少なくとも税金の無駄遣いがああだこうだとは言えないし、ろくでもない人間ではなかろうか。そもそもこの定額給付金の12000円と、今財布に入っている12000円にどんな差があると言うのだろう?

幸いなことに、まだ昨日給料が出たばかりである。「何故そうなのか?」じっくりと考えてからお金を使うことにしよう。何せ今僕らが握っているのは必要か否かのモノサシなのだから。

(´・∀・`)
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