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テレビは違和感から嫌悪感へ→そのままマスコミに変わる媒体の必然へ

Posted by ななし on 05.2013 記事 0 comments 0 trackback
私は最近ほとんどテレビを見ない。元々帰宅時間が遅くて帰ってもほとんど深夜のバラィティー番組しかなかったのだが、以前は一様帰宅するとなんとなくTVのスイッチを付けていた。それがある時を境に全く見なくても済むようになった。

当然、現在何も不自由していない。その分新聞を読むようになった。その日一日あったことや、世論の情勢を新聞で探す。TVに比べこの方がよほど短時間で済む。

改めてTVと新聞の違いはなんだろうか?そしてこれまでなぜ私はTVを見てきたのだろうか?
TVはまず単純に娯楽箱である。映像や音を通して多くの娯楽情報を得ることができる。(スポーツしかり、音楽しかり、ドラマ、映画もそうである。)場合によっては感情移入して少なからず感動や充足を得ることができる。TVという媒体を通して擬似的ではあるが共認充足を得ていた。ニュースに置いても同様である。ある事件が起きたとしてみんなどう感じているのか、この事件はどう見るべきなのか、キャスターの言葉を通して同感や評価らしきものを得ようとしていた。
しかし、先日の9/11の自民圧勝報道を見て明らかにTVが大衆を操作している現実を感じてしまった。と同時にこれまでTV媒体で得てきたそれらの情報が全て色あせて見えてきた。はっきり言ってTV報道全てに信用がなくなり、同時に関心がなくなった。だから、見ていても長時間は耐えられなくなる。いらいらしてくる。見る必要がなくなったのではなくて、見る気が起きないのである。たまに見るのはTVが流しているマスコミの嘘チェックをする時くらいだ。

TVを見る→みんなはどうなん?→今のテレビは少なくともこれには答えていない。
さらに事実を知るだけなら短時間で済む分、まだ新聞の方がまし。
でもそれすら、だんだん耐えられなくなってきている。新聞も必ずある方向への誘導が図られているからである。

事実追求を妨げるもの、共認を支配する媒体、それら全てに違和感を超えて嫌悪感を感じるのはそれらがあまりにも露骨になってきたからではないか。
そして同時に現在は以前にもまして「みんなどうなのか?」という共認探索の需要は高まっている。この間の急激なブログ需要の上昇はそれを裏付けているし、ブログに親しんだ世代は既に情報を得る手段として活字媒体へ移行していると聞く。

総じてTV媒体の雪崩れ的凋落は必然的にマスコミに代わる共認媒体の登場が目前に来ている根拠でもある。

田野健
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