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発信に対する反応を得られる場が開かれて

Posted by ななし on 27.2013 記事 0 comments 0 trackback
私自身、テレビを観ていることや、これは観たいと思うテレビが以前よりも明らかに減っている。私の周りの人々や友人にもテレビ離れが進んでいる。「面白くない」と言う言葉をよく耳にするようになった。
  
 ナゼだろう。

 笑いを求め過ぎているバラエティー。何をしてでも笑いをもたらそうとしている。笑いは麻痺してしまっている。個人的なことや私生活などプライバシーに関わることも多く、それもおもしろおかしくみせて笑っている。クイズに正解したり、何かに成功すれば多額の賞金を貰えるものも目立つ。お金(や地位)の獲得を活力源としている傍観者の旧観念がテレビの中ではまだ生きている。まさに、現実逃避ではないだろうか。
このようなものは、現代、急速に衰弱しえいるというのに・・・。

 それに加えて、テレビと私達(観る側)とは、一方通行な関係である。私たちは、テレビに発信(応望)しても、その反応(充足)を得る事は出来ない。常に、あちら側から次々と流れてくるだけである。

 現在、私達は発信に対しての反応を待っている。反応が欲しいのだ。おもしろいことに、一方通行であるテレビに対しても話しかけたり、ツッコミをする人がいるらしい。それほどまでに、本当に私達は反応(充足)を求めている。共認の場を求めている事を示しているのではないだろうか。

 ここ数年、住民運動・市民運動やNGO活動・NPO活動への参加が以前に増して注目され、活発となってきている。一般の人々が主になって、何かに取り組む活動が盛んになってきている。また、これらのほとんどが、参加したいと思えば自分の意志で入ることができる。その入り口も広く開かれている。最近で言えば、住民投票や反戦デモなどである。
この、るいネットも勿論そうである。
 これらには、一人ひとりが当事者であるという共通点がある。自分達で創ってゆこう、変えてゆこうという動きであり、それを実現・可能にしたものも既にある。反応もダイレクトに返ってくる。
 私達は、少しづつではあるようだが、自分達で動けば反応(充足)が得られると言うことを知り始めている。

 私権統合の時代は衰え、共認の場や反応を求めるようになった今日。自らの意志で動けるようになり、反応(充足)を得る事のできる場、当事者になれる場も色々と出来つつある。受身の一方通行で反応が得られない、当事者になれないものに対しておもしろくないと感じるのは当然ではないだろうか。

  

杉江由衣
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