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傍観者マスコミも、大勢が気付きを得ることができたら変われるかも。

Posted by ななし on 03.2013 記事 0 comments 0 trackback
私はちょっと前まで社会の傍観者として、マスコミに憧れを持っていました。
 以前、マスコミ関係の人と話をしていて、カメラマンについての話題になり、「いいなあ。カメラマンかあ。かっこいいなあ。」ともらしたところ、「いやぁ。あんたにはきついかもよ。」という答えが返ってきました。なぜか。

 ある日ある場所で大変な被害の大火事がおこり、多くのテレビ局の取材班が先を争って現場に向かいました。そして次の日カメラマンたちは、他社ニュースの火事の映像と自分たちの火事の映像を見て誇らしげに言うのだそうです。「俺のが一番炎がよくまわっているのがよく撮れてる。」

 わたしはここで“火事”を“社会”におきかえるとマスコミの現在の社会におけるありかたが明確になると思いました。傍観者というあり方。傍観者にならざるを得ないというあり方。

 でもマスコミを形成する人々も普通の人間です。自分たちなりに正しいと信じる考えをもっている。働き者で、悩んだ末に得た信念や、仕事に対する誇りを持っている。
 しかし「自分たちなりに」というのが少し問題なのだと思います。
 マスコミを形成する人々には、「自分が夢中になれればそれでいい」という人が確かに多い気がします。その認識はマスコミ内でつくられてきたもので絶対の風潮であり(その風潮がテレビを通して発信され、人々も染める)、それが傍観者としての立場をゆるぎないものにしているのだと思います。

 先の話のカメラマンも、仕事についたはじめの頃はものすごく葛藤したと思います。でもそのことを相談するのは同じマスコミ内の人々とだけです。認識を形成するのも同じマスコミ内の人です。だいたいは先輩カメラマンの「つらいだろうけれど、それがカメラの仕事だから、涙をのんで割り切ってやっていかなきゃ」と言う答えに都合のよさを無意識に感じ取り、そこで思考はストップしてしまうでしょう。

 でもそのこと気付くきっかけ、場があれば、傍観者としての立場を根底から変えられる可能性は出てこないでしょうか。どのような形でかはまだイメージできず、理想論に過ぎないかもしれませんが、もしかしたらそこからテレビのあり方も変化していくことができる小さな可能性が生まれるかもしれないと思います。

 本当にテレビのあり方を変えるなら、単に非難するだけでなくマスコミにも呼びかけて、認識のぶつけ合いをする場をどうにかして設けなくてはならないのではと考えます。


武田瑞紀 
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