幼少期と思春期以降では、やりたい仕事が違っていく、

Posted by ななし on 22.2018 記事 0 comments 0 trackback
・幼少期と思春期以降では、やりたいことの次元が変わっていく。幼少期にはとある興味からのめりこんでいく世界があって、そこから大人になってもやりたいこと(やりたい仕事)を思いつき、ことばにしていく。思春期からは仲間や社会発の期待を掴めるようになって、自分発のやりたいことから開放され、みんなの期待(社会が求めている期待)の方向へ、社会スケールの期待へと思いが開放されていく。
思春期にその機会を逸すると、何をしていいか分からないとか、やりたいことが見つからないとなってしまう。受験勉強の果てに、大企業のサラリーマン志望へと貶められていく。

・自分を振り返れば、幼少期からとにかく生きものを育てるのが大好きだった。季節ごと沼地や川に入り込んで鮒や雷魚や蟹やザリガニ捕り、そして椿の藪や葦の密集する沼地に分け入っては野鳥や水鳥の雛を捕って育て上げたり、犬はもとより鶏からヤギなどの家畜類から、昆虫や蛇やトカゲに至るまで、小学生の頃の熱中ぶりは相当のものだった。家の裏庭と納屋が飼育場だったが、母親などは気味が悪がって寄り付きもしなかった。そしてラテン語で学名が書かれ、精密に描写された動物学の図鑑などは、好奇心に衝き動かされるままページをめくっていた。
その頃、大人になってやりたい強烈な思いは動物園の飼育係だった、しかし中学に入る頃には、飼育係から動物学の研究者のなりたいとなって、大学付属の水産試験場や水族館や山科鳥類研究所などで仕事をしたいと思い描く様になったと記憶する。

・しかし思春期からは社会の空気を吸い込むようになって、幼少期由来のやりたいことへの思いは薄められていった。仲間内の期待や社会圧力に反応して、その圧力と期待を大きく吸い込んで、推されれば生徒会や自治会の役割や社会に対する関心へと、社会をもっと掴もうと事実認識を深化させようと、もがき始めたように思う。だから大学進学時の志望校や就職時の志望動機も曖昧で、拘りも無く何でも良かったように思い出す。

・人は期待されないと活きていけない、無視されたら死んでしまう生きものだ。その期待が自分発から集団へ、社会へ、そして次代の期待へと深まる過程で、みんなの役に立つ人材へと成長していくのだと思う。
思い起こせば甚だ不甲斐ないが、思春期から社会を深く吸い込んで次代の期待を直視し、事実認識を鍛え上げていく機会に恵まれたことが幸いであった。思春期から社会を吸い込む場を、未来を背負う子ども達に提供していきたいと強く念じています。






持国天
スポンサーサイト
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ

○ Comment

○ Post comment


  • 管理者にだけ表示を許可する

○ Trackback

trackbackURL:http://gensenkeijiban1.blog.fc2.com/tb.php/1291-aa38e6cf