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共認闘争を担う世代になれるか

Posted by ななし on 14.2017 記事 0 comments 0 trackback
私は1983年生まれです。酒鬼薔薇事件の容疑者の一歳下、そして「キレる17歳」と言われた2000年の17歳犯罪の当事者に当たります。その当事者として非常に強く思うことがあります。


>彼らは直接犯人たちを意識しているわけではないが、おそらく潜在的な同世代意識を通じて、何らかの危機意識が強く働いている。

当時のことは覚えています。自分と歳の変わらない世代の人間が考えられないような事件を起こす。そして「考えられない」と思いつつ、自分ももしかしたら…と思う部分もどこかにあった気がします。私たちの世代が報道などで注目を浴び、恐怖の対象にすらなったことを感じました。


>そして’00年頃、私権統合の崩壊が決定的となり、閉塞感が強まって、遂に私権観念が瓦解した。私権観念の防波堤が破れたことによって、一気に社会不全が大きくなり、私権の衰弱も相まって潜在思念の源泉部が私権不全から社会不全へと大転換した。(リンク 四方氏)

私権観念の瓦解を私たち世代は大学生で迎えることになりました。社会不全が顕在化したことにより収束先を潜在思念で探し続ける。しかしこれまでの絶対信仰により収束しようとした先は充足を得られるものではない。今になって常に何か探している感覚があったように思います。



完全なる社会不全により社会収束や答え欠乏は顕在化しましたが実現基盤のある新理論に触れるまで、僕らは潜在思念で相当のエネルギーを消費しつつ探索を続けていたのだと思います。私権時代の旧観念に染脳されつつ、場は共認圧力を活力源とする場に転換している。その場と主体のズレが支配共認(マスコミ)への収束をもたらします。充足はもちろんできず、目先に収束してはまた新たなものに飛びつき、というサイクルを繰り返しているように思います。



>従って、現在、潜在的な社会収束・仲間収束から顕在的な認識収束⇒理論収束への移行が共認社会実現へのカギとなっている。


潜在的な社会収束、仲間収束はもはやほぼ誰もが持っている。認識収束⇒理論収束への移行を可能にするのは実現基盤に基づいた新理論の吸収にあるのだと思います。潜在思念で理解し新理論に充足を覚え、自ら認識の供給者、共認闘争の主体になることが私たち世代が持っている大きな可能性ではないかと思いました。



新里勝一郎
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