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「自分は必要か否か」という問い ~自殺者の自己中構造~

Posted by ななし on 22.2016 記事 0 comments 0 trackback

いじめから自殺に至るケースが増えている。

この現象って、

>『必要か否か』という最基底の、それゆえ真っ当でシンプルな『判断の土俵』(=新しい演場の基礎)が出来てくると、国家も市場も全面的にその土俵の上に乗らざるを得なくなり(∵逃げ道はない)<(33995)、

今や、その判断の土俵上に「己の存在」までもが登るようになったが故の現象、と捉えることができるのではないでしょうか。

もし、まわりの家族や仲間との共認関係(共認充足)が希薄な人が、「自分は必要か」という問いを自身に向けて問うた場合、外圧世界を非常に狭いレベルでしか対象化していないがゆえに、「私なんて誰にも必要とされていない」「私が死んでも誰にも迷惑はかからない」と言った狭窄的で悲観的な思いから、自殺にまで至ってしまうケースは少なくないと思います。

自己中(=対象世界が狭い)であるがゆえに自殺に至る構造がここに見えてきます。

「超国家・超市場論23 『必要か、必要でないか』という真っ当な判断の土俵が出来てゆく 【図解】」(129963)にあるように、すでに、己の好き嫌いといった価値判断だけで生きていける時代は終わりました。

自殺問題を考えるとき、この自殺者の自己中構造という視点は一つの鍵になるのではないでしょうか




竹村誠一
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