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テレビには物理的価値しかなかった

Posted by ななし on 05.2013 記事 0 comments 0 trackback
テレビは誕生したころ、見る側にとって刺激があるものだったと思います。それまで音(聴覚)でしか受け取れなかったものが映像(視覚)で受け取ることができる様になったのですから。だから昔は面白かった。というより興味をもっていた。刺激を受けた。しかし、今となっては日常の生活において当たり前にあるもの。つけていても見ないことすらあるものになっています。
テレビから流れる情報は、情報としての力をもっていないのですからそうなってしまっても当然かもしれません。ニュースですら、限られた時間で、限られた範囲で、限られた予算で(限定だらけですね)起こったことを淡々と報じているものです。しかも内容は暗い現代を伝えるものがほとんどです。ドキュメント番組も限られた予算の中で視聴率を気にした、私たちとは違う古い固定観念をもった人間が作ったものなのです。ドラマにも同じことが言えます。しかも思ったことを伝えたくても伝えることができず、独り言になってしまう。満足感を得ることができるはずがありません。

 先日、放送作家の方とお話する機会がありました。限られた予算で2年後放送されるものを作るとおしゃってました。そして、それは昔も同じだったと。(昔はまだ作る側もテレビというものに刺激を受け意欲的に作っていたと思うが、今となってはどうだろう。)つまり、昔から私たちが満足し得ないものを一方的に放送していたという事になります。やはり、昔はテレビという物体に興味を持っていただけではないでしょうか。つまりは、物理的価値がなくなったテレビが、私たちが求めるもの、興味が持てるものを放送しないため、面白くないという意識が強くなったのでしょう。

 先日、異世代交流会に参加させていただきました。年齢、性別、職業など共通点の少ない人間が語り合う。反応のぶつかり合いが行われる。おもしろかったし、反応を返せたことに満足感を得ました。(新しい認識を見つけるには、これを何度も繰り返さないといけないと思いましたが。)しかし、テレビにはないものが確実にそこにはありました。

 私たちが面白いと感じるものは、言い換えれば刺激があるものだと思います。テレビでは刺激を受けません。刺激を与え合い、反応し合う場をもつ事で人は新しいものを得ます。さらに繰り返すことで新しく得たものが大きく確かなものになっていくと思います。そして、それこそ私たちが面白いと思う場であり、求めているものであり、現在の閉塞からの突破口である新しい認識を得る場だと思います。


屋崎てる美
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