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反応「充足」を突き抜け、その先の可能性を掴む

Posted by ななし on 15.2016 記事 0 comments 0 trackback
 社会人になって、ちょうど2年が経つ。

 学生のときは「やりがいのある仕事がしたい!」と思っていた。実際に仕事をしていく立場になった今、「自分はやりがいのある仕事をしているんだ!」とか、考えることはほとんどない。改めて、「やりがい」「充足感」について考えてみようと思う。

 「誰かに期待された」とか、「誰かに喜んでもらえた」とか、いわゆる反応充足があれば、活力は得られる。そこでがんばって、期待に応えることができれば、やっててよかったなと思う。そこで敢えて言葉にするなら「やりがいがあるな」「充足できたな」という感じだろうか。その成功体験、充足体験は、確かに次へ向かう活力になり得る。自らに与えられる具体的な期待を真っ当に捉え、それに応えることを活力源にするのがまずは第一歩だと思う。

 でも、それだけでは足りない。

 一方で、「期待されてない」「評価されていない」→「だから充足できない、活力が出ない」という人がいる。一見そうかなぁとも思えるが、実は自分を正当化するための言い訳を、勝手に頭の中で作り上げている状態にすぎない。「期待されていないからできません」では、社会ではまったく役に立たないし、その発想はズレている。

>肯定視と否定視を反対語のように捉える等、肯定視という言葉を価値観念的に理解する事例によく出会います。(106501 本田さん)

 「充足」という言葉も、「いいもの(状態)だ」「楽しいもの(状態)だ」という風に価値観念的に捉えてしまいがちだ。だから、うまくいかないときは「充足できていないのだ」となってしまう。しかし、充足感とは「うまくいっているとき・うまくいったとき」にのみ得られるものでは決してない。

 最近思うのは、むしろうまくいかないとき。「何が課題なのか?」「どうすればいいのか?」「どうやって役割を分担するか?」というところが鮮明になったとき、活力が沸いてくるのを強く感じる。それはまさに「課題に向かえている」ことによる「充足感」そのもの。

>やりがいや充足感はただ与えられるのを待っていても得られるものではない。自ら必死になって充足可能性を見出し前進する力も、必要なのかなと思う。(106631 山崎さん)

 僕たちは、「いい」「楽しい」という段階を一歩突き抜けなければならない。「充足」という言葉を、「いい」とか「楽しい」という価値判断的イメージで捉えては、必ずズレが生じることになる。初めは分かりやすい反応充足を基盤にし、成功体験を重ねることが必要だが、そこからいかに見えにくい(が必ず存在する)大きな期待を看取し、闘争課題に向かえるようになるか。これが、僕たち若者に突きつけられた課題ではないかと思う。



矢野悟 
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