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収束不全を捨象し続けた国、アメリカと日本

Posted by ななし on 01.2016 記事 0 comments 0 trackback
お盆休みに、TVでウッドストック・フェスティバルのドキュメンタリー番組をやっていたのを見た。(確かCS系の放送だったと思う)ウッドストック・フェスティバルというのは、1969年8月に3日間昼夜通して、アメリカのニューヨーク州の田舎町で行われた野外のロックコンサートのこと。40万人以上の入場者(その大部分が若者のヒッピー)が訪れ、多くの大物ミュージシャンが無料で出演したことから、ロックファンの間では今でも「伝説のフェスティバル」として語られているらしい。当時は、アメリカ国内外においてベトナム戦争の是非が問われており、そんな時勢の中「愛と平和と音楽の3日間」と言うテーマで開催された。

ここに集まった若者たちは、その大多数が入場券をもっていない無料入場者。会場で見ず知らずの者同士が(人種の壁をも越えて)水や食料、さらにはドラッグをわけあったり、豪雨の中お互い助け合ったりする様子が報道され、ものすごい社会的インパクトを与えたらしい。

この番組では、当時この会場に参加していた若者の何人かにインタビューしているのだが、その内容に驚いた。なぜなら、そのインタビュー内容があまりに現代の日本の若者に似ていたからだ。

彼らは、インタビューで次のように答えていた。
「お金には、魅力を感じない。何か(お金とは別の)やりがいのあることがしたい」
「自分が何をやりたいのかわからない」
「父は、会社に入って出世しろと言うが、全く意味がわからない。だから家を出た」
「恋愛に求めるものはない。束縛は苦しいだけ」
「結婚しようとは少しも思わない」
「今、何をすればいいのか。答えがない」
「答えを求めてここ(ウッドストック)に来た。ここに来れば何かあるかもしれないと思った」
まさに、収束不全に陥った現代の日本の若者そのもの。

50年後半~60年代中盤のアメリカは、若くして大統領になったケネディが政権を握り、経済・文化・国際的にもイケイケドンドンな雰囲気であったが、60年代中盤から、63年のケネディ暗殺に始まり、ベトナム戦争の泥沼化→敗戦。60年代後半から景気の低迷、さらにはドルと金の交換停止(ニクソンショック)による通貨安→政策の迷走→莫大な貿易赤字と、まさに一気に社会不全へと突入していった。
これは、現代の日本の状況に酷似している。
この状況と、ウッドストックの若者のインタビューを合わせて判断すれば、アメリカは60年代後半の社会不全の中で、既に収束不全を起こしていたと考えられるのではないだろうか。(もっとも、アメリカは貧富の差が激しいため、中~上流階級の市民レベルだけだと思われるが)

収束不全の答えを求めて、若者はウッドストックに集まった。しかし、「愛と平和」と言う旧観念と、ロックと言う感応観念の中には、何の答えもなかった。それどころか、何も得られなかった事+渦巻く収束不全の疲弊感によって多くの若者が更なる不全感・閉塞感に見舞われたらしい。(終了後の感想で、ウッドストックはカオス(混沌)と表現した若者が多い)

70年代以降のアメリカは、この収束不全を完全に捨象し(目先の)自由主義・市場主義と個人主義を徹底的に押し進めていった。その結果、今のアメリカがある。
精神破壊はとことん進み、凄まじい数の精神疾患患者を抱える。犯罪率は未だに上がっている。名実ともの銃社会で銃によって万単位の人が殺されている。離婚件数もすさまじく、家庭は完全にガタガタ。売春・フリーセックスやドラッグなどの社会悪も行き着くところまで行っている。経済も見た目上はまだ回っているが、破綻は誰の目から見ても明らか。(68577参照)国際的にも、イラク戦争を通じてすっかり厳しい立場に追いやられた。もう、どこからどう切っても破綻した状況の中で、徹底的な市場主義と旧観念支配(+見た目の軍事力)によってなんとか体裁を保っていると言うのが、現状のアメリカの姿だろう。
ここまでくれば、もはや「答えがない」と言うレベルではない。どこからどう手を打っても破綻するしかない状況と言っても過言ではないのではないだろうか。

今、日本は全面的に収束不全に陥っている。
誰もが答えを探している。その状況は露店に立てばすぐに認識できる。
この状況を捨象し続ければどうなるか。結果はアメリカと同じ道を辿り、いずれ破綻を迎えるだろう。
小泉を中心とする政治家や学者は、この状況の中で市場主義・個人主義を推し進めようとしている。このままでは、70年代アメリカの二の舞だ。
また、マスコミは相変わらずワールドカップ・オリンピック・世界陸上などと言ったフィーバー現象を生み出すことに終始している。(今回の郵政選挙もフィーバー現象と何ら変わりない)69年アメリカのウッドストック・フェスティバルは、ある意味最大のフィーバー現象だろう。そこでは何も生み出せなかったし、人々をますます閉塞させただけだった。目先のフィーバー現象は、人々の答え欠乏を裏切り、ますます閉塞感を強めるだけなのだ。

政治家、学者、マスコミと言ったプロに任せていては危険である。今こそ、我々素人が、社会の当事者として、次代の可能性を開いていかなければならない。




西谷文宏
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