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現在の勉強・課題収束は本物か?

Posted by ななし on 28.2016 記事 0 comments 0 trackback

 先日のなんで屋劇場『公務員志向・資格志向が増えたのはなんで?』で聞いた、「少し前の若者が言い出したばかりの『やりたいことが見つからない』が、今では『何をしたらいいのか?わからない』に変わってきてる」っていうのがずーっと気になってます。

 『どうやら遊んでいる場合じゃない』というのを身体で感じ出しているらしい。ここまでなら『収束不全』⇒『みんな(期待の)探索』基調がさらに顕在化してきたのかな?と思った。 が、
 そこから「何かしなきゃって焦るんだけど、何していいのかわからないし、だからって『何もしていないと不安』だから、“とりあえず”公務員を目指してみたり、“自分でも取れそうな”資格勉強をしてみたり」と、『勉強収束』しているらしい。

>プロ(統合階級)による観念支配のために、旧観念が閉塞の元凶であることに気づかず、顕在意識は可能性閉塞という状況判断に陥り、可能性がないのなら「少しは安心かも」という思いから、既存の支配的な観念や規範や制度へと目先収束してしまったのだ。<82591
というのは当たってると思います。
 だとしても“とりあえず目先”だけで、自ら進んで“ガタガタ”の(自衛隊やNGO、行政などの)渦中に突っ込んでいくのは、“安直”を通り越して、無謀というか、脅迫観念的、短絡的すぎないか?という疑問が残ります。

 『何もしていないと不安』というところに着目すると、(短絡回路で)「とにかく何かしよう!」と“むりやり課題を捏造”して、その『不全感を捨象』しているとも捉えられます。だとすると、この『不全捨象⇒勉強(課題)収束』は、“収束不全”という人類の“新しいみんな不全”も捨象してしまうのでしょうか?

 一方『遊んでいる場合じゃない』に着目すると、
>経済破局にせよ、精神破壊にせよ、環境破壊にせよ、それらの危機は全て観念によって把握された危機であって、(現段階では未だ)本能を直撃する様な危機ではない。<18422
という状況が変わってきていて、“ガタガタの現実”が身体を直撃=他人事ではなくなって、潜在思念下の『みんな期待⇒統合欠乏』が、待ったなしで顕在意識上に“目先課題”として引きずり出されていく≒矛盾が表面化する段階にきたということでしょうか?



平野令
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