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悩みは可能性となった

Posted by ななし on 27.2016 記事 0 comments 0 trackback


>現実を捨象した幻想観念が実現される訳もなく、全意識を統合し切れる訳がない。その限りで絶えず悩みが生じることにもなるが、悩み思考は倒錯思考の副産物であって、思考しても停止しても現実は何も変わらない。<(19060)

ところで、始原人類も悩んでいたのだろうか?洞窟の中で暗い顔をして悩んでいる原始人の姿など、とても想像できない。悩んでも明日の食料が手に入る保証など無いのだから、共認を羅針盤に、食料を確保するためのあらゆる方策を模索していた(だけ)だろう。

何故現代人はこれほどまでに悩むのか?そこには、「答え」が供給されないということ以前に、「現実否定」という現代人固有の思考パラダイムがある。仕事であろうが人間(男女)関係であろうが、悩みとは、主体≠対象という状態。生物の認識機能は「外部認識=内部意識」(19059)なのだから、悩んでいるというのは認識機能が真っ当に作動していないということ。

そして、悩みという不全or欠乏は下部意識で捉えているのに、それを上部意識がきちんと対象化できず統合できないとしたら、上部意識(観念)に問題があることは明らかではないだろうか。

つまり、悩むこととは、現実を否定する旧パラダイムを、同類圧力の現実の中に可能性を見出す新パラダイムで塗り替えるチャンスでもあるということ。

>不安も期待も、全て封鎖してしまえば、悩むことはできない。悩むということは、不安や期待を封鎖していない証しであり、一見素直で無表情な期待封鎖型より、ずっと健全で可能性がある。悩むのは、「自分はこのままでいい」とは思っていない=変わろうとしている証しなのだ。<(78812)

「自分だけの悩みなど無い」(78579)のだから、悩むということは共認回路を再生しようとする営みであり、生存圧力に替わる新たな活力源の萌芽(可能性)に対峙しているということなのだ。



鈴木隆史 
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