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「みんな収束」だけでは、目先の秩序収束から抜け出れない

Posted by ななし on 26.2016 記事 0 comments 0 trackback

> みんなフィーバーや制度収束や国家収束etc秩序収束ばかりが目に付くが、もう一方の答え探索は、ニュース収束や人間ウォッチングや仲間内でのマジ話くらいしか顕在化していない。
これは、共に最深部の適応⇒探索の収束先でありながら、秩序収束はとりあえずの適応収束である(従って、既存の制度etc、具体的な収束先が存在する)のに対して、答え探索は最深部での適応収束であり、従って(ニュースも、ウォッチングも、マジ話も)社会収束であるという所までは云えるが、その具体的な収束先がはっきりしない(=答えが見えない)からである。< 73647

潜在思念は、収束不全⇒探索収束をしているにもかかわらず、結局は既存の秩序に収束しています。

・学校の授業は役に立たないことは明らかなのに、授業に出席する。
・資格をとっても仕事にならないことに気付いていながら、資格取得に躍起になる。
・結婚に可能性がないことは重々分かっているにもかかわらず、それ以外ないから結婚する。

潜在思念は「可能性はない」と判断し、新しい可能性を探索しているが、そこでの羅針盤は「みんなはどうなん?」というみんな収束しかないのが現状で、「みんな授業に出るから」「みんな資格を取っているから」「みんな結婚するから」という形で、ことごとく既存の制度に絡め取られているのが現状です。

授業に替わる新しい学生の役割、みんなの役に立つ勉強、充足できる新しい婚姻(男女関係)様式、つまり「具体的な収束先=答」がないことが、彼らの可能性探索を流産させており、一向に転換の気配が感じられません。

むしろ、状況が悪化すればするほど、秩序収束しているようにさえ思われます。



松尾茂実
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