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「生きている」とは?

Posted by ななし on 23.2016 記事 0 comments 0 trackback
先日の「なんでや劇場」で次のような発言がありました。

「周りのみんなに合わすと、自分が無くなってしまう。」

恐らく、こんなことを考えるのは人間だけでしょう。若い人の一部には、仲間関係で上手く行かないときに存在不安を覚える傾向があるように思います。しかし、上手くいっている時(仲間と充足している時)には、自分って何?、生きてるって何?なんて考えたりしません。

そもそも、生物一般においては自分を無くすことは死を意味します。つまり、「生きている」とは一体どうゆうことなのか? 人間にも動物にも、生物一般に当てはまる普遍的な摂理(事実)を認識する必要があるのではないでしょうか。

以下は、劇場の後に仲間から助言を頂き整理した内容です。

★「生きる」とは、外圧に適応すること。
「外圧に適応する」とは、外圧を認識して、それに対応して適切な欠乏(内圧)を生起させ行動することです。(外圧状況を無視した欠乏は存在し得ないし、もしそのようなものを捏造したとしても当然適応不能である)

「対象同一化」の意味するところは、この「外圧を認識し、それに対応した適切な欠乏(内圧)を生起させ行動すること」そのものです。(だから、全ての生物はそれを当たり前に行っている)

★生物は、外圧に適応するために最先端の機能(適応するのにもっとも役に立ちそうな可能性のある機能)に収束し統合して生きている。

一般生物は本能機能によって外圧に適応している。しかし、人間は本能だけでは生きてゆけないので、共認機能に可能性収束することで、どうにかこうにか生きてゆくことができるようになった。

だから人類にとって、共認機能を使って対象(自然や仲間)に同化するということは、「適応すること=生きる」ということそのものである、といっていいほど重要である。

>『男も女も全ての人も、みんなお互い充たし合う為に存在している』
>『人類の最大の活力源にして最高の充足源は、期待・応望である』
(75440、西さん)

人類の生きる意味も、可能性収束先も上記が全てといってもいいでしょう。「当たり前」の状態とは、本能(工夫思考)と共認回路がピタッと一致している状態。さらに、その構造が分かることで、本能→共認→観念が一直線に貫かれる。つまり、可能性の実現に向けて行動することができる。

自己の確立=対象の獲得です。人間の存在構造は「外圧(対象)=内圧(主体・自己・意識)」の中にあります。現実の対象(仲間・みんな)の意識は日々変化してゆくのが当たり前です。だからこそ、みんなの期待(=対象)を注視し、ズレを認識して適応しようとするのが自然な姿であると思います。

ズレを矯正してゆくためには、ズレ(捏造された自分観念や錆付いた共認機能)を認識し、不要な観念を捨て去り潜在思念(本能・共認)に立脚することが必要。そうしてはじめて適応していくことができます。

何も恐れることはありません、周りのみんなも同じなのですから。認識ひとつ変えるだけで可能性が見えてくるし、共認機能(期待・応望)を作動させれば充足対象をいくらでも発見できます。

閉塞感に包まれた現代、目の前の現実の対象を肯定視して、みんなの期待に応えてゆくことが、「生きている」ことなんだと思います。



橋口健一
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