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“結婚”は制度も中身もガタガタ

Posted by ななし on 18.2016 記事 1 comments 0 trackback
すこし昔は“結婚”とは男が女の性を独占する代わりに女の一生を(経済的に)保証するという私権規範に基づく“独占契約関係”でした。しかし’70年以降社会は豊かになり、生存圧力(貧困の圧力)という大前提を失って共通する利害(取引)関係は無効化してしまいます。

そして結婚は、社会状況から遊離して愛する二人の世界へと収束してゆきます。たしか'70年代「世界は二人のために」という歌が大ヒットしていました。“貧困という現実課題”から“愛という幻想共認”が唯一最大の絆となり、結婚生活はとことん密室化してゆきます。

'80年代になると離婚率が急上昇を始めます。新婚旅行から帰ったとたんに離婚してしまう「成田離婚」も話題になりました。そして未婚率も上昇カーブにはいり、不倫が社会問題として認知?されたのもこの頃からです。すでに制度(あるいは規範)としての結婚は破綻し始めていたといえます。

そして'90年代、仮面夫婦(外では仲良し夫婦、家では一切コミュニケーションなし)、セックスレス(その名のとおり)、DV(ドメスティックバイオレンス)・・・結婚の中身はガタガタになり、愛する二人の世界だったはずの結婚生活は完全な閉塞状況に陥ってしまいました。

私権規範が消失し、結婚幻想もその中身の無さを露呈し、制度としても破綻をきたしている“結婚”。しかし男女関係の落ち着き先はやはり“結婚”という意識はいまだに根強いものがあります。

現実の制度としての“結婚”と、男女のあり方として不可欠と感じ収束している“結婚”。不全の中でみんなが向かおうとしている“結婚”の本質部分を明らかにしてゆく必要がありそうです。



阿部和雄
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○ Comment

異性への独占欲は女の方が顕著だけどな。私のものにと2人が大事と。♂の生物的な雄大ベクトルを理解しない。何か左派の論は倒錯している。男尊がない不均等。
経済社会より根源、思想宗教の問題だろう。唯物史観での物質よりも女の自己中化扇動で権力化で家庭崩壊の加速。そして長谷川三千子が喝破したように女になる時期をフェミ化した大罪。国家国連の米国の根本犯罪。要はamericanize。豊かさによる驕りと贅沢化もあるとは思うが物質経済構造のみで見るのは道義を免責的で一面的唯物史観である。それ一色では無味乾燥な物語と目線。Marx系の悪い所は事実を流され追認してしまうという、何というか過剰に科学主義で気概の不足である。人類は中立ではない!!。人類主観価値の必要。
一夫多妻や多夫多妻etcのシェア思想は僅かの提言のみ。大勢は個人主義のエゴイズムで全体社会観の重しと責任感はなしの硬軟分裂マスコミ教育。向こうで言ったようにこれも部分化メス化現象である。
やはり一部の宗教が言う精神修養としての、人間の互い欠損ゆえの有神論的な謙虚さを養う交響対話交流。こういう本質を根本根源を心から大事と思わせねば、ただの唯物史観では利の思想での男女の個人主義に、渡しない私主義にしかならない。それこそ結婚は冷たい取引ビジネスと本音化する現象の利の時代エゴ時代の冒涜。エゴイストだらけ。先ずは根本男女教育・異性他性教育に尽きるだろう。要は大和心の純心があるかどうかである。音楽教育もいいかも知れない。全体観が出来る。



2016.07.24 15:21 | URL | 樹下夢∞ジュゲムゲン #JyN/eAqk [edit]

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