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規範なきマナーの氾濫

Posted by ななし on 10.2016 記事 0 comments 0 trackback
最近何かにつけて公共の場での「マナー」の必要が声高に言われ、街を歩けば様々なところでポスターやアナウンスが訴えかけてきます。シルバーシートや電車内の座り方から携帯の電源OFFなど・・・なるほどもっともな気がしますし、多くの人も自然と受け入れています。が、何か引っかかるものがある、という意見も交流会の場では意外と多く出てきます。

戦後、豊かさの実現と個人主義(自分主義)の浸透で、地域共同体や家庭などの規範の共認域が次々に解体されてゆきました。そんな中で「人に迷惑をかけない限りは自由」という、そもそも何が迷惑かもよくわからない身勝手な規範(?)がまかり通るようになります。さらにそれが「迷惑だと“思う”ことは規制すべき」となり、個々の価値観にてらして目に余る(不愉快な)事柄を個別にルール化、禁止してゆく流れがいまの「マナー」問題?ではないでしょうか。

この背景には全体の視点、「みんな」という意識の欠落があって、個人の都合や好き嫌いと声の大きさで「みんな」不在の価値観がルールとして共認される流れがあるような気がします。

元来「規範」は、みんな期待から課題・役割・評価が共認され、その集団の中で明文化されずとも皆の意識・行動を律するものとして共認されてきました。個の都合でなく共通の課題の下に集まった人たちの共有意識ですから価値観が入り込む余地など無いはずです。この点が最近のマナー意識(規範らしきもの)に感じる違和感なのではないでしょうか。

みんなが集まりそれぞれの意識を重ね合わせ共有してゆくと、このような「?」がいろいろと出てきそうです。自分とか自由という観念を取り払って、個別の価値観を超えた「みんな期待」をめぐる議論の場が普遍的な規範形成の土壌にもなってゆく。認識交流の場にはそういう働きもあるだと感じます。



阿部和雄
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