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これからの就活~「正解」がない時代だからこそ「親の言うことは聞くな」~

Posted by ななし on 29.2018 記事 0 comments 0 trackback
就職活動では、色んな大人の言葉に軸がぶれそうになりますよね。

リンク:リンク

--------以下引用-------------
就活で親の存在ははっきり言ってめちゃくちゃ邪魔です。

理由は簡単で君たちの親は君たちと同じ時代に就活もしたことないし、

君たちの状況も分かっていないからただの”願望”を言うことはできても”アドバイス”はできないわけ。

親がどれくらい分からないかというときに僕が考えてた具体例はというと、

例えば今50歳の両親の時代は大学進学率が約35%だったけど今は約60%なんだよ。

つまりこの指標だけ見ても日本はこの30年で状況が大きく変わったということは明らかなわけ。

なのに当時就活したことをベースに君らにアドバイスしてきていたらそれはめちゃくちゃ的外れになってるんだよ。

そもそも就活については君らのほうが詳しいし、自分の仕事くらい自分で決めないとこの先も一生親が言うことを聞かないといけなくなるつまらない人生になるので早めに自分で考える人生を歩んだほうがいいっすよまじで。

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入りたいのに入り方が書いてないなら聞くしかない。

こんな当たり前のことも普通の就活生はしないわけ。

だってそれはリクナビとかに出てない企業はそもそも採用しないって諦めてるからだよね。

でも職を得ることを目標にする限り、入り方はどうでもいいんだからやり方を必死に考えるわけですよ。

こうやって自分で考えて行動することがとても大事。

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櫻井佑衣子
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「頑張る、努力する、我慢する」が人を不幸にする

Posted by ななし on 28.2018 記事 0 comments 0 trackback
頑張る、努力する、我慢する、が人を不幸にする。
まさにそのとおりで、「努力の努は奴隷のド」335091から来ているのです。奴隷の力が努力なのです。

なので、努力という言葉には、無理して頑張る、我慢して為すというイメージが一緒に含まれています。

必要なのは、努力することではなく、没頭できる何かを見つけること。そして追求し続けること。

今の親世代や学校の先生も、奴隷のドの努力の中で育った価値観のまま、社会も、勉強も苦しいけれど努力するものと教え込みます。それが一番の害悪なのです。価値観の転換が求められている時代なのです。

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■「頑張る、努力する、我慢する」が人を不幸にする
リンク
頑張るのは、いつもの自分のペースではやりきれない状況になった時に、少し無理をする、という意味ですね。

努力するのは、いつもの自分のペースでは目標に達成できない状況の時に、目標値に追いつくためにする事ですね。
我慢するのは、いつもの自分ならやらない事をやらなければならない状況の時に出てくる言葉ですね。

どれも、本当はやりたくない事イヤな事嫌いな事を無理矢理やる時の言葉です。

本当はやりたくない事に直面した時の選択肢は3つです。
1、やらない(逃げる、断る)
2、渋々あるいはテンションを上げてやる(頑張る、努力する、我慢する)
3、淡々と楽しくやる

「頑張る、努力する、我慢する」時は幸せですか?
「頑張る、努力する、我慢する」事は、美徳の一つだと考えられているように思います。
本当にそうでしょうか?

私はこの3つは、人を不幸にする方法だと思います。

「頑張る、努力する、我慢する」時は幸せですか?
それをした後に幸せがやってきますか?達成感や開放感はあるかもしれないですね。それもひとときの事で、あなたの心を本当に満たしてはくれないでしょう。その時の自分の感情を丁寧に観察すると分かると思います。多分、寂しさやむなしさのようなものが残るのではないでしょうか?

自分で地獄を創り出して、そこで苦しんでいるのが好きな方もいらっしゃるので、そういう方は続けてくださったらいいのですが、

幸せでありたい、お気楽人生を生きたいと思うなら、
「頑張る、努力する、我慢する」ような事は止めた方がいいと思います。
上の3択の2をやらない、という事です。

でも私たち、小さい時からこの「頑張る、努力する、我慢する」をやらされてきたし、それがいい事なのだとすり込まれてきましたよね。

それは20世紀までの事です。新しい時代にはもう必要ありません。
「頑張る、努力する、我慢する」のは、エゴ様が全部を仕切っている姿です。
私たちは徐々に、エゴ様が自分ではないことに気づき、エゴ様に振り回されない生き方が出来る用になっていきます。




匿名希望
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"小中学校の友人"なんてクソみたいなもの!?

Posted by ななし on 27.2018 記事 0 comments 0 trackback
色んな意味で衝撃を受けた記事です!
友人関係(=人間関係)をクソにしている学校がクソ。

リンクより、引用します!

学校生活や交友関係に思い悩み、心に深い傷を負ったり、自ら死を選んでしまったりする子どもたちがあとを絶たない。そうした現象を受けて、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は「小中学校の友人関係なんて、まったく重要ではない」「人間関係のどうしようもない現実を、大人が子どもにきちんと教えなければならない」と指摘する。その意図とは――。

★友人関係に絶望する子どもたち
小中学生の悩みの大半は、「友人関係」にあるのではなかろうか。自分自身の子ども時代を振り返ってみても、学校での人間関係が当時の人生にかなりの影響を与えていたと思うし、行動様式にも影響を与えていた。現在いじめられていたり、不登校になっていたりする小中学生も、友人関係に悩んだ末に、そうした望まぬ結果に至ってしまったケースが多いと思われる。

小中学生のころ、とりわけ小学生のころは、通知表の成績がヒドくても、実際のところ大した問題ではない。また、親に反抗したり、きょうだいとケンカしたりしても、最終的には自分を守ってくれる存在だから、ときには家族と衝突するのも成長の過程としてアリだろう。

一方、友人関係は、ひとたびいじめや「シカト」の標的となってしまうと、学校にいる間は針のムシロ状態に陥る。なんとか好いてもらおうと、いじめグループに媚びはじめでもしたら、ますますいじめられたり、使いっ走りにされたりしてしまう。そして、家に帰ってからも心には常に暗雲が立ちこめ、人生があまりにも苦悩に満ちたものとなる。

絶望感にさいなまれて、なかには自殺してしまう子どももいる。学校でのクソみたいな人間関係に戻る日である毎年9月1日──夏休みが終わり新学期を迎えるその日に、子どもの自殺が増えるのだと聞く。本当に痛ましいかぎりだ。

★小中学校の人間関係なんて、クソ
ただ、私が学校の人間関係に悩む子やその親に強く言いたいのは「小中学校の友人なんて、どうでもいい」ということだ。当然、仲良く付き合える友人が少しでもいるほうが学校は楽しいだろう。だが、長い人生を考えると、小中学校時代の人間関係ほどどうでもいいものはない。慶應の幼稚舎から大学までずっと一緒、といった場合は別かもしれないが、公立の小中学校であれば同じエリアで通学するにしても9年間である。

確かに9年は長い。しかし、その後の人生を考えるとそれほど長くない。「長いけど、長くない」というヘンな言い回しになったが、ここで強調したいのは「長い人生のなかで、大して重要ではない小中学校の人間関係など、クソみたいなもの。そう思って、軽く扱っても何ら問題ない」という事実だ。それを、子どもたちにちゃんと教えてあげてもよいのではなかろうか。もちろん、学校で良好な人間関係を築いているのであれば、それはそれで素晴らしい。でも、学校内での人間関係が人生のすべてではないし、未来に絶望する必要もない、という点だけは子どもにきちんと伝えるべきである。
 





月あかり
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「就職したくない」「働きたくない」はアリだと思う理由

Posted by ななし on 26.2018 記事 0 comments 0 trackback
リンク

「働きたくない。」そう思いながら毎日会社に言っていませんか?
それなのになぜ大多数の人は就職をするのでしょうか?
中にはずっと夢だった職業につく人もいますが、
「そういうものだから。」と思っている人がほとんどだと思います。
「働く」ことに何か目標を見出してみればもっとイキイキと仕事に打ち込めるような気がします!
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就職活動というものについて、多くの学生と会い直接話を聞いていると当然ある一定の確率で「就職…実はしたくないというのが本音です」もしくは「ぶっちゃけ働かなくていいなら…働きたくはないですよね」という学生に会います。
そんな学生の話を聞きながら、就活をサポートしている立場の人間から「それもアリ」だと考える理由を挙げられるだけ挙げていきます。興味がある方は、続きを読んでみてください。

まず前提として「就職」というのは人生の一つの選択肢に過ぎない
大学時代に、就職活動をして、スーツに身を固めて、企業を何十社も回って、内定をもらい、卒業したら正社員として働き、社会人になる。一般的にいうとそういった学生が、全体のざっくり7~8割と言われています。
つまり、就職という選択肢を選ぶ人が大多数のため、あたかも「就職しなければならない」という常識みたいなものが世の中に蔓延っているともいえるのでしょう。
私は塾生にも言っていますが、「就職だけがすべてではない」と言っています。就職以外にも人生の選択肢はかなりの数あると言えます。例えば「進学」という選択もあるでしょう。大学を卒業して、再度専門学校など自分の興味を持てる専門性を学びなおすといった選択も十分考えられるでしょう。
「そんなお金ないですよ!岡島さん!」と直感が頭をよぎった方もいるかもしれませんが、そういった選択をした人の大半は、稼ぎながら通うくらいの覚悟を持っている人が大半のようです。
また進学以外にも、専門性を学ぶという観点で言えば、「アルバイトから正社員入社」というステップを踏むこともできるでしょう。これはデザイン系、クリエイティブ系の職種であれば比較的多く取り入れられている採用手法ですので、一度検討するのもアリかと思います。
そして「ニート」という選択肢もあります。
親のすねをかじりながら、生活していくというのも立派な人生の選択です。一般的な認識だとネガティブに映ることが多いですが、かじられている親からして「それでいい」という方もいるようですから、それはご両親との合意が取れれば選択肢として十分ありえます。
とにかく、人生の選択肢はたくさんあるわけです。就職しなくても起業してもいいわけですから。

選ぶ道にとやかく言うつもりはないが、目的だけは持ってほしい
就職という選択肢以外にも道はあるという話をしましたが、どれを選択してもいいとまでは、さすがに私も言えません。重要なのは、その選択に「目的」があるかどうかです。
「就職以外にやるべきこと」「就職以外に人生をかけてみたい道」「就職以外に熱中できることがある」そういった目的意識があるものを選択して欲しいと思います。
単に「就職したくない→働きたくない」といった、現状逃避的思考で人生を選択するといった選択肢も当然あるわけですが、目的がないだけに1年・3年・5年…いつの段階になるかは見当もつきませんが、多くのケースで「後悔」することになるようです。
つまり「今まで自分…何してきたんだろう…」みたいな自問自答を繰り返すタイミングが来るということです。自分の好きなことをやり、自分の好きなライフスタイルで生きる。それも楽しいわけですが、どうしても経済的に自立していないという理由から、どうも後ろめたさみたいなものが、出てくるでしょう。
好きなことをして、好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。
そんな生活をしながら、就職せずに経済的に自立さえできれば、やっぱり冒頭にお伝えした通り「就職しないという選択肢」もアリだと私は思うわけです。そんなことが可能なのか。それは…可能です。
自分で事業を興す…これが一番いい
「自分の好きに生きたい」「周囲から後ろめたい目線で見られたくない」「働きたくない」「経済的に自立する」「休みたいときに好きなだけ休む」…これだけのわがままが利く存在は、社長しかないでしょう。
自分が興した会社であれば、誰からも文句は言われません。
従業員も雇わずに一人でやっていけば気楽なものです。もちろん軌道に乗せるまでの努力はどうしても必要になりますが、経済的自立と「ニート的生き方」の両立には、ここの選択肢しかありません。
「いやいや…あんた頭おかしんじゃないの?働きたくないと思っている人が、事業で成功できるわけないでしょ。」そうあなたは言いたいかも知れません。別に成功する必要なんてありません。日々の生活を維持できるだけの小さな事業をやればいいのですから。
起業というと、皆さん勢いのあるベンチャー企業の成功話を思い浮かべるかもしれませんが、日本というくには8人に一人が社長なんですよ。街中で「社長!!」と大声で叫んだら、かなりの数振り向きますよ。それくらい社長や個人で事業をやっている事業主という存在の人は、いるわけです。
8人に一人…。どうでしょうか。それくらいだったら自分でもできると思いませんか?
別に今資金がなくても始められること…探せばあるでしょう。「それは無理」という前に、理想である「経済的に自立して働かない自由」を手に入れるという目的を持って、生きてみるのもいいのではないでしょうか。




匿名希望
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幼少期と思春期以降では、やりたい仕事が違っていく、

Posted by ななし on 22.2018 記事 0 comments 0 trackback
・幼少期と思春期以降では、やりたいことの次元が変わっていく。幼少期にはとある興味からのめりこんでいく世界があって、そこから大人になってもやりたいこと(やりたい仕事)を思いつき、ことばにしていく。思春期からは仲間や社会発の期待を掴めるようになって、自分発のやりたいことから開放され、みんなの期待(社会が求めている期待)の方向へ、社会スケールの期待へと思いが開放されていく。
思春期にその機会を逸すると、何をしていいか分からないとか、やりたいことが見つからないとなってしまう。受験勉強の果てに、大企業のサラリーマン志望へと貶められていく。

・自分を振り返れば、幼少期からとにかく生きものを育てるのが大好きだった。季節ごと沼地や川に入り込んで鮒や雷魚や蟹やザリガニ捕り、そして椿の藪や葦の密集する沼地に分け入っては野鳥や水鳥の雛を捕って育て上げたり、犬はもとより鶏からヤギなどの家畜類から、昆虫や蛇やトカゲに至るまで、小学生の頃の熱中ぶりは相当のものだった。家の裏庭と納屋が飼育場だったが、母親などは気味が悪がって寄り付きもしなかった。そしてラテン語で学名が書かれ、精密に描写された動物学の図鑑などは、好奇心に衝き動かされるままページをめくっていた。
その頃、大人になってやりたい強烈な思いは動物園の飼育係だった、しかし中学に入る頃には、飼育係から動物学の研究者のなりたいとなって、大学付属の水産試験場や水族館や山科鳥類研究所などで仕事をしたいと思い描く様になったと記憶する。

・しかし思春期からは社会の空気を吸い込むようになって、幼少期由来のやりたいことへの思いは薄められていった。仲間内の期待や社会圧力に反応して、その圧力と期待を大きく吸い込んで、推されれば生徒会や自治会の役割や社会に対する関心へと、社会をもっと掴もうと事実認識を深化させようと、もがき始めたように思う。だから大学進学時の志望校や就職時の志望動機も曖昧で、拘りも無く何でも良かったように思い出す。

・人は期待されないと活きていけない、無視されたら死んでしまう生きものだ。その期待が自分発から集団へ、社会へ、そして次代の期待へと深まる過程で、みんなの役に立つ人材へと成長していくのだと思う。
思い起こせば甚だ不甲斐ないが、思春期から社会を深く吸い込んで次代の期待を直視し、事実認識を鍛え上げていく機会に恵まれたことが幸いであった。思春期から社会を吸い込む場を、未来を背負う子ども達に提供していきたいと強く念じています。






持国天
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安定した生活ってなんだろう?

Posted by ななし on 18.2018 記事 0 comments 0 trackback
私の世代でよく聞く話として、安定した生活を過ごしたいという言葉がある。
確かにずっと幸せな状況が継続するなら、それに越したことはないと思う。

しかし安定した生活とはいったい何なのだろう?
一般的なイメージとして、大企業に入って安定した収入を得て家族と一緒に過ごすというイメージがある。
その生活を得た人がそれで満足していたら問題ないだろう。
ただ大企業に入社したのに、不安を感じている人は多く存在する。
このまま会社にぶらさがっている状態で大丈夫なのか、会社がなくなったらどうなるのだろうと。

しかし大企業、中小企業に関わらず幸せそうな生活を送っている人は存在する。
そのような人に共通するものとして挑戦し続けていることだと思う。
挑戦し続けられる人は失敗もするが、失敗を多く経験している分、失敗を乗り越えられる術を持っている。そして成功した経験も多くあるだろう。
そこで成功した経験を持っているからこそ、失敗してもまた乗り越えようとなる。
そしてそのような人には、周りに人が集まってくる。

挑戦して、失敗する。しかしそれを乗り越えていくことができる。この術を知っていくことが安定した生活につながっていくのではないだろうか。
そして私自身も社会人1年目として挑戦していくことを忘れずに過ごしていきたい。




匿名希望
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仕事をしていく上での成長とは何か。

Posted by ななし on 14.2018 記事 0 comments 0 trackback
まず社会人になって、まずやることはいわれたことをやる。

ようするにもともと用意されたレールの上を歩けるようにしていくという内容だ。

しかし、これはもともと用意されたレールをわたるだけであれば人は何度も経験すれば自身の技術へと昇華するのはたやすいこと。

これもまた成長といえば成長になるだろうが、会社からしたら、ようやく後ろをついてこれるようになっただけだという事。

親鳥にくっつく雛鳥みたいなイメージであってほしい。

ではどこで、親鳥になれるのか。というところ、
親鳥が死んでひな鳥が大人になって、また子雛を産んでっというサイクルは自然界ならあるが
社会の世界であれば、トップの人が死んで、じゃぁその後ろについていってただけの《年長者な人》がトップになるという構造は成立しないということ。

では、どうしたら成長していくのかというところを捉えていく。

例えば何も用意されていなかった新しい課題が与えられ、自身でレールを作っていくというイメージがあるが、もちろんその課題の成果が上手くいかないこともある。その時は上手くいかなくて、後からその不成果を修正できるように工夫していく思考等もあるが一番は、失敗した原因、そしてこうしていたら失敗しなかったという結果論でもいいから、これを必ず見つけだす必要がある。

それを見つけることができなければ同じ課題をまた次やるときに同じミスを再び犯すことになる。

そうやって失敗した所からの可能性発見、時間がかかってしまったならどうしたら時間がかからないで済んだのか、これらの発見が重要。

ただしこれをただ発見して自身の中で落としこむだけでは、周りの人間からは目に見えないし、文章だけの報告であれば評価もできない。
ただ無難に課題をこなしてくれた程度に終えてしまう。

そういった可能性発信をいかにすることができるのか、ここが最大のポイントであろう。
そして時間短縮があることをして可能になったなら、それを報告することも大事だろう。

レールを作っていくにしても極力丁寧に最短で細かく修正ポイントというものを付け加えていく必要がある。

そうするとものすごく頑丈で安定したレールが作れる。
そういう人間がようやく成長したという事につながっていく。

仕事をしていて、ただ上から与えられた課題をこなしていくだけでは人は決して成長しない。
与えられた課題、用意されたレールがあるならばそれぞれにこうしたら更に補強されていく。こうしたら更に進みやすくなる。

こういったイメージを強くもつことで自身の成長を大きく感じるができるだろう。




匿名希望 
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