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なぜ、こんなにもニッポンの若者たちは"自殺"するのか?

Posted by ななし on 13.2017 記事 0 comments 0 trackback
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先日「2017年版 自殺対策白書」が公表され、若者の自殺率の多さが国際的にみてもかなり深刻であることがわかった。

若者の自殺率の高さはこれまでにも問題視されてきたが、特に20代では死因の半数を「自殺」が占めるなどかなりの衝撃である。

「若いんだから病気にはならない。自殺が一位って普通でしょ?」という意見もあるが、これは間違い。

先進国の「自殺」と「事故」の割合は......

日本 17.8 : 6.9
フランス 8.3 :12.7
カナダ 11.3 :20.4
米国 13.3 :35.1

欧米の主要国の同年代の若者は事故死のほうが圧倒的に多いのである。

そもそも自殺は2つ以上の理由(ストレス要因)が重なったとき起こりやすいことが
わかっているが、20代の場合「人間関係」に関する悩みが多い。

また、自殺者の98%が、うつ病など精神疾患に罹患していることが数多くの調査研究から確認されている。

奇しくも、先日。世界保健機関(WHO)は、世界でうつ病に苦しむ人が2015年に推計3億2200万人に上ったと発表した。

これは全人口の約4%に当たり、05年から約18%増加。

今後は5人にひとりがかかると警告すると共に、若年層の自殺増にもつながっているとして、早急な対策が必要だと指摘している。

なぜ、うつ病が増えているのか? 

格差社会、グローバル化、貧困、薬の多用など、いくかの問題が指摘されている。また、「個人の資質」とする意見もあとを絶たない。

しかしながら私自身は、「自殺は個人の問題ではなく、社会の問題」という立場だ。これまで行ってきた研究でも、確かに性格傾向と精神疾患との関連は認められたが、それはあくまでもリスク要因でしかない。

だって、人は「生きるため」に生まれてくるわけで。だからこそ誰が教えずとも必死に立ち上がり、歩こうとするのだ。

赤ちゃんには生まれてから数時間で母親を見つめたり、表情を真似るようになるなど、身近な人と関わりを持とうとする本能がある。

未熟な肉体で生まれてくる人間は、誰かの世話なくして生きていくことできない。

そこで赤ちゃんはにっこり笑うことで、「私は生きています。私が健康で生きられるように、手助けしてください」と他者とコミュニケーションをとる。

生まれて3カ月の赤ちゃんが「ニコッ」とする仕草は、"3カ月微笑"と呼ばれるが、これこそが赤ちゃんが最初に身に付ける「社会性」なのだ。

つまり、どんなに個人的リスクを抱えている人でも、人は環境でかわる。死にたくて自殺する人はいない。

生きたい、でも生きられない。だからしかたがなく、死、という悲しい選択をしてしまうのである。

では、どんな社会(=環境)であれば、人は生きる力を持ち続けられるのか?

ヒントになるのが、パプアニューギニアのカリル族だ。

ここではうつ病になる人も、自殺をする人も一切確認されていない。

カリル族の人たちには、「その人の価値観を受け入れる」文化がある。

例えばブタのように、もし自分にとって価値あるものを失った場合、その喪失感を部族全体で埋めるための儀式が行われる。

「あなたは大切なものを失ったのですね。そのことを私たちは分かっていますよ。私たちでは物足りないかもしれないけれど、何とかそのあなたの開いた心の穴を埋める手伝いをさせてください」

と歌をうたい、踊る。

つまり、人はみんな違う、と。私にも大切なのがあるように、あなたにも大切なものがあるのね、と。

そして、その人と共に「大切なもの」を弔い、寄り添う共同体が存在するのだ。

「人はみな違う」
言葉でいうのは簡単である。

でも、実際にそれを受け入れるのは難しく、成熟社会でなければ「みな違う」と認め合うことはできない。

市場経済のど真ん中で暮す私たちは、成長ばかり目指し、成熟することを怠ってきたのであるまいか。

市場経済では、おカネが絶対的な価値を持つものであったとしても、人間にとっては、人それぞれに価値のあるものが存在する。

カネ=価値 となった途端、良い大学を出て、良い就職をし、たくさん稼ぎ、良い暮らしをすることが、価値あるものになりがちである。

「ひとそれぞれだよね」だの、「価値観が多様化している」とう文言はよく聞くけど、
まるで国葬のように、同じリクルートスーツを着た若者たちが就活戦線に挑み、
たった一回でも失敗すればレールから外され、
勝ち組だの負け組だの、何を基準にいってるのかわからないグルーピングが行われている社会の、いったいどこに「それぞれ」だの「多様化」があるというのだ。

違いを認めあえない社会とは、共同体が破壊した社会でもある。

自殺は「追いつめられた末の死」であり、「避けることのできる死(avoidable death)」————。

LGBT、貧困、マイノリティの人たちと一緒に生きて行くことも、成熟である社会であることを忘れないで欲しい。



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人を殺さない代わりに、自殺していく若者たち

Posted by ななし on 13.2017 記事 0 comments 0 trackback
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人を殺さない代わりに、自殺していく若者たち

>>20代の自殺死亡率は近年増加傾向にあり、2009年には13.3%だったものが、2011年には24.3%、2012年は22.5%と高い水準が続いている。

若い世代の自殺は深刻な状況にあり、20~39歳の各年代における死因の第1位は自殺との調査結果が出ている(厚生労働省2011年「人口動態統計」)。国際的に見ても、15~34歳の世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本だけで、その死亡率も他の国より高いという。

なぜ若者が自殺していくのか。それは、彼らが暴力性を「内」に向けているからです。

若者世代が被っている不条理は、たしかに高度経済成長期よりも強烈なものでしょう。経済成長は停滞し、社会には問題が噴出し、さながら下りのエスカレーターを駆け上っているような状況です。

人は不条理に直面したとき、心の中に鬱屈したエネルギーを抱えます。そのエネルギーはどこかに、何らかのかたちで吐き出されたり、消滅されたりしないと、暴力的な形で噴出します。

それはたとえば、「ヘイトスピーチ」にも見られるでしょう。新大久保でヘイトスピーチを繰り返す彼らは、この世の不条理に耐えられず、ああいった攻撃を行っているのです。事実、「ネットと愛国」の著者、安田浩一氏が指摘するところによれば、ネット右翼の文法は「被害者意識」であるそうです。


>>「連中は社会に復讐してるんと違いますか?私が知っているかぎり、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな」(元・在特会会員)

語弊がある言い方ですが、ネット右翼は鬱屈したエネルギーを他者に向けている分、まだ健全です。自分が悪いのではなく、社会が悪い。この論理をもってすれば、「自殺」することはとりあえずありません。




しかし、自己責任を過剰に抱え込んでいたり、また、エネルギーのはけ口を持たない善良な弱者は、不条理に直面したとき、その暴力性を自分に向けて解き放ちます。それが、自殺という現象です。

友人の父が、「日本は自殺が多いけど、その分、人殺しをしない国だ」と語っていたことを思い出します。「他人に迷惑をかけてはいけない」という道徳を刷り込まれたぼくらのなかには、負のエネルギーをどう社会に発散していいのか、わからない人たちも多いのです。

これから社会が困窮していくにあたり、ますます全体の攻撃性は高まっていくでしょう。ネット右翼も今はまだ鼻で笑っていられる存在ですが、このまま放置すれば、彼らはテロ集団になってもおかしくありません。

その裏では、自分に対して暴力的に振る舞う人もまた、増加していくでしょう。各種の対策によって自殺者数は減っていますが、依然として多い水準ですし、また、これは一時的な減少に過ぎない可能性も高いです。

自殺者の増加に関していえば、ぼくは多くの若者に「あなたが不遇なのは、自分の責任ではなく、社会の制度が悪い」ということに気づいてもらいたいです。自分の命を絶つくらいなら、それを不器用でも、社会制度の改善に向かわせるべきでしょう。

このとき大切なのは、現状の問題は、誰かの悪意というよりは、むしろ善意や無関心が集積した結果として、発生していることに気づくことです。官僚も政治家も、企業家も、それぞれが正しいと信じることを行っています。彼らもまた、ゲームルールに則って活動しているのです。悪人がいるとしたら、それは、ゲームルールが生み出します。なら、ゲームルールを変えていきましょう。

暴力性を、自分ではなく、社会制度の改善に向けましょう。難しい実践かもしれませんが、これは自分と社会を救う考え方です。



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