私権時代の解脱を知らない若者たち

Posted by ななし on 29.2017 記事 0 comments 0 trackback

>「こんなことやってていいのか?」と思ってしまう。<(145818)

70~80年代はそんなふうに思うことはなかった。仕事や学校をサボっていたら(規範破りだから)そう思うこともあったろうが、解脱で発散して逆に疲れが残ろうともそれでよかった。(現実に戻るときに「祭り」が終わるむなしさは感じていたものだが・・・)
いまや大人たちもそれでは充足できず、遊びやレジャーはどんどん小粒になっていった。

私権観念は残存しながらも既にリアリティーを失った時代に、今の若者は少年少女時代をすごしている。青年期になると私権観念すら崩壊してしまった。
私権時代の解脱様式をいくら真似てみても、心の奥では不全が膨張していくだけ。「こんなことやってていいのか?」は潜在思念と場とのギャップが生み出す思いである。

大人たちが相も変わらず古い解脱様式で、充足しきれない解脱をむさぼっている姿を、若者たちは冷ややかに見つめている。



やまと
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本当に応えるって、楽しい!

Posted by ななし on 28.2017 記事 0 comments 0 trackback

最近、仕事を辞めることになったんですが、そこの職場で実感したことがあったんで、聞いてください。

最初、仕事に対して「なんであたしがしないといけないんだろう」とか「あたしはこんなことがしたかったんじゃない」なんて、結構マイナスな感じで仕事をしてました。

でも、そうやって仕事をしていても「あたしはこれだけしてるし!」とか「こんなに応えてるのに!!」って思ってるのは「自分」だけで、周りは全く元気になってくれない。誰も期待に応えてくれない。仕事してても、全然楽しくない状態でした。(今思えば期待していたのかも怪しいですが)

その時に、なんで屋さんで「本当にやりたいのはみんなの期待に応えていくこと」っていうのを教えてもらって、「でも、あたしは応えてるし。。」なんて、半信半疑ながらにも、「やりたいかどうかは置いといて応えてみよう」って実践してみたんです。
とにかく「なぜ」必要なのか、「誰」が喜んでくれるのか。っていうのを具体的にイメージしながら仕事をしてました。

そうしたら、だんだん自分の仕事量も今迄以上にこなせるようになってきて、営業のみんなが「どうやったら仕事がしやすいのかなぁ?」って考えるようになってきて、相手がどうしたら喜んでくれるのかっていうことを感じとれるようになってきたんです☆
そうしたら、自然とみんなから「ありがとう」って言ってもらえたり、評価してもらえるようになってきて、だんだん仕事が、というよりも「応えること」が楽しくなってきたんです。

その時に気づいたんです♪

あたしが「やりたい」とか「やりたくない」そんなこだわりなんか全く必要ないんだ!ってことに。っていうか、むしろ邪魔??
今迄「自分を押し殺してまで応えてるのに・・・」なんて思ってたけど、それってただの言い訳じゃん↓↓あたし、イケテナイ・・・。

「自分がやりたくないことも応えなきゃいけないのはしんどい」じゃぁ、相手の本当の期待が掴みきれてないし、本当にみんなが充足するイメージがわいてなかったんだなぁ。って思います。




かんちゃん 
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子どもの供給側が面白い!に同感!

Posted by ななし on 27.2017 記事 0 comments 0 trackback
先日、娘はNPO市川子ども文化ステーションが主催する『子どもがつくるまち・ミニいちかわ』というイベントに参加してきた。

イベントの内容は、公園で職業体験ができるというもの。
子供だましかな?と思いきやそうでもない。
なんと「職安」があって、入場した子供は、最初に「職安」に行って、働きたい仕事の職業カードをもらう。その次にお店に行って働く。10分働くと100メティというお金に換わる媒体がもらえる。銀行に行って働いた時間を申請するとメティが受け取れる。
そのメティで場内の食べ物や品物を買うことができるシステム。(ちなみに、たこやき1皿300メティ~30分でたこ焼きにありつける仕組み)

各テントのブースにはたこやき、わたあめ、ゲーム、ザリガニ釣り、ネイルアート、指編み小物販売など、さながら幼稚園や学校のバザーの雰囲気。しかし、主体は「子ども」。働く人も買い物をする人も子どものみ。


母:何が面白かった?
娘:働くのが面白かったぁ! (←指編み、スライムなど製作ものに従事)
母:初めてなのに、失敗しなかった?
娘:(その場にいた)お姉ちゃんが教えてくれたし、真似したからできた。自分で作ったのが売れちゃうかもしれないんだよ。(←自信満々!)


どうやら、この最後の部分が彼女の面白かった中心の様子。
確かに、たこ焼きが珍しいわけでもなく、「自分がやった(=生産)ことを人が喜ぶ(=消費)」この仕組みを楽しんできたようだ。
確かに供給側が面白い!同感!!
現在、大人でもこの充足を感じている人がどれくらいいるか?

「うん、うん、そうだよ! やったことが無くても、仕事でも何でもできる人の真似をすると上手くいんだよ!」とつい復唱してしまったのだが、かけがえのない勉強をしてきている。

まさに
>みんなの体験からの学びも自分の体験からの学びも変な枠で囲ってしまわないで全部必要なものを取り込んで色んな出来事に対応した方がいい。(163405)

しかも、「出来る人に真似をする」ってなんで屋の「いい女になるには?」の答えの一つ。
半日、祖母に預けてた娘が、一気に成長したように見えたのは親バカなのでしょうか?
ってよりも、うかうかしていられない。娘から強烈な活力をもらったような気がした。



権守美保
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一つ一つのステップが大切

Posted by ななし on 26.2017 記事 0 comments 0 trackback

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仕事は自分一人での体験では出来ない

Posted by ななし on 25.2017 記事 0 comments 0 trackback
仕事をするときに分からない事を職場の色んな人に聞くのをしています。

こんな時どうしているのか?それをする理由はなにか?それが仕事をする上で今の自分の判断の基になっています。

だから何か問題が起こったらみんなに与えてもらった事から引っ張り出して行動する。

「自分が体験してないから」ってそれを除外してたら、その状況にぶち当たった時にあたふたしてしまう。それに体験しないと学べなくなってしまう。

それよりかはみんなの体験からの学びも自分の体験からの学びも変な枠で囲ってしまわないで全部必要なものを取り込んで色んな出来事に対応した方がいい。

周りに目を向けて周りから学んだり、周りに聞いて取り込むのって大事だなぁって改めて思いました。




ささみ
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事実(現実)をとらえることが大事

Posted by ななし on 24.2017 記事 0 comments 0 trackback

>しかし、'90年以降、対象を失った彼らの親たち(74917)
に同化しても当然答えはなく、中身(=対象)のない親の囲いに幽閉されたまま、全く活力の出ない存在となるのは必然です。親以外は表層でやり過ごしてきたが故に、仕事や人間関係といった現実の圧力に耐え切れず(同一化できず)、活力が出ない=(対象のない)親の期待に応えられない自分を攻撃し、鬱やひきこもり、体調不良などの肉体不全で文字通り身動きできなくなる若者も増えています。


特に幼少期の子供にとっては親が世界のすべてだと思う。
子供はその親に「あなたの好きにしなさい」と言われて、期待に応えるために「好きにしたらいいってどうしたらいいの?」と思いつつ、何とか「これかな?」と思うものを見つける。
でも、今の時代は親は答えを持っていないので、それを見せても親からのいい反応は得られない。
子供はその反応を見て、親の期待に応えられなかったと思って、また探索を続けるけど、結局は親は答えを持ってないままなので、最後には子供も親もどうていいかわからなくなってしまう。

いじめも自殺も親殺しも、すべては「答えがない」ことが原因なのは確かだと思う。

みんな評価されたい、認められることが一番の充足であるこの時代に、「どうしたら評価されるのか?」ということが統一されてないということは、本当に危険なことである。

その統一には、やはり私権時代に築かれた旧観念が邪魔をしていてるから、それを塗り替えていくということをしていかなくてはいけない。

ただ、親の期待に応えらないことに対して、みんな「応えられない自分が悪いんだ」と自分を責める方向に走ってしまうけど、時代が変わったからみんな答えがないという事実を見れば、自分一人のせいではなくある意味当然だから、そこをきちんととらえることができれば、もっと可能性に向かえるようになるのではないかと思います。


田中瑠衣
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ここ数日の若者の期待より~相当多数の同時充足を追求するという期待を実現するための規範

Posted by ななし on 23.2017 記事 0 comments 0 trackback
『規範』かどうかまでは分かりませんが、『期待』は言葉にされることがあります。

ここ数日で聞いた若者の期待です。

>「子供の切なる期待の中の一つでもいいから『実現してやる』という意思を見せて欲しい。」

>「家庭の維持の中で考えるのではなく、離婚など『体を張った』選択肢も消去しないで思い切った家庭の閉塞状況の突破口を考えて欲しい。離別が目的ではなく事態は背水の陣が必要なほど悪化しているのだから。」

>「とにかく私は人に『変な人』『残念な人』と評価されたくない。」

>「気がついたら『失敗していた』だけは避けたい。」

>「男性が女性を誘って欲しい。」

>「役割の中から充足を感じたい。」

ほんの数日間なのです。期待とはいえ、規範に近いものを感じます。相手も、相手に期待する自分と同じように、自分に期待している。互いに期待し合っている。何を?

必ず、相手への期待と自分への期待を繋ぐ対象があります。役割は異なるとは言え、同時に充たされる対象です。おそらくそれは不全の原因であり、新しい充足の可能性です。

追求していってはじめて得られる相当多数の同時充足、充足の連鎖。旧パラダイムと別世界と言って良いほどの規範に身が引き締まります。





佐藤英幸 
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男は何を残せるか?

Posted by ななし on 22.2017 記事 0 comments 0 trackback
種の保存則からすると「男」という存在は、外圧に向かって闘って「死ぬ」存在である。個体が死ぬことで、種の変化を可能にし、その種の外圧適応の可能性を高めた。

一方、「女」は子供を産み、種を残す。

現代の男はなかなか死なないが、この事はどう影響しているのだろうか?
現代の教育パパの潮流や、長年連れだった女房よりも子供のほうがかわいい。といった、良く聞く現象は無縁ではないだろう。それは、庇護本能の延長線上に位置するモノと思われる。

振り返ると、私権時代の、例えば高度経済成長期の男は、みんな期待に答えて、それこそ死を決して危険な仕事に望む姿があったと聞く。

一方、現代の男たちはどうか?
多くは、まだ自らの保身や安定第一の男が多いのではないか?教育パパ現象も、自分や家族第一の価値観に染まっていることもまた事実だろう。


『認識収束→事実収束』が顕在化した現在、その現象の背後に潜む人類全体の期待をつかみ、あらためて、「みんな期待」を直視し、闘う(認識闘争)ことが求められている。
日々刻々と変化する外圧に応じて、戦い続けること。これこそが現代の男が残せるもの、なのではないか? 

ものや形として残るとしたら、その後ろ姿であり、このるいネットへの投稿群であり、仕事での成果であったりするかもしれないが、個人に属する形は問わない。
人類的課題に全うに向かい続けるその営為、そのもののような気がする。




佐藤賢志
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『将来の夢』に対する中高生の違和感

Posted by ななし on 21.2017 記事 0 comments 0 trackback
最近中・高生の口から、「やりたい事なんてないから、どんな仕事を目指したらいいかわからない。でもみんなやりたいこととか決まってんねん。学校でも将来の夢とか聞かれるし・・・でも自分はそんな特技みたいなんもないしどうしたらいいんやろう」という相談を何件かされた。

その内の一人の言葉が印象的だった。
「でもな、やりたいことなんか探して見つかるとは思わんし、誰かが喜んでくれることしたいわ」

「十分やりたいことやん☆私だってやりたいことなんてよくわからないまま仕事についたけど、こうやって相談にきてくれて、笑ってくれる顔を見たら、あ~仕事って楽しいな、この仕事できてよかったな~って思うよ!」って言うと安心して嬉しそうな顔をしていた。

>本質の変わらない旧態依然とした学校制度と、変わりゆく現実に日々適応しようとする意識との断層。

1日の大半をこの現実と離れた制度の中で過ごすことによって、否応無く顕在化する違和感。

そして、その違和感を観念で捉えようとし始める(あるいはでき始める)のがこの世代なのではないだろうか。(156598)<

中・高生が一番新しい可能性を感覚的に捉えていると思う。でも、学校にいる時間が長すぎて、学校で教えられる事が正しいものなんだって思い込もうとしてしまっている。せっかくの新しい可能性を学校のせいで潰してしまうのって危険だと思った。
 



匿名希望
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個人と社会を分けて考えるカウンセラーに可能性はない。

Posted by ななし on 20.2017 記事 1 comments 0 trackback
カウンセラーのやることは簡単です。
自己攻撃している人に自分を許してあげなさいと誘導するだけです。
確かにその場は気持ちが落ち着くでしょう。

人は誰かに認められたり、評価されるとその事自体で安心するものです。
しかし、多くの場合、またカウンセラーにかかることになります。
現実は変わっていないのですから。薬が切れた状態と何も変わりません。

なぜその人は自己攻撃しているか、どうすればいいのか?そこの現実に介入できなければ問題が解決しないのは明らかです。
その人個人の事であれ社会全体の事であれ構造は同じ。
根本原因を考えて、そこを変えていかなければ本当のカウンセリングはできません。つまり、収束不全発である以上個人も社会も地平は同じだと思うのです。

個人を原点とする現在の心理学の限界はそこにあると思います。そしてなんで屋を初め、るいネットの最大の可能性は個人と社会を使い分けないところにあるのだと思います。言い換えれば自分発という鎖さえ切ることができればカウンセリングはほぼ成功した事になると思います。




田野健
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凝り固まった「答え」(可能性)は、一旦頭の隅に置いておけ

Posted by ななし on 19.2017 記事 1 comments 0 trackback
世界的な金余りの恩恵(?)を受け、活況と言われる不動産市場ですが、あくまでもそれは開発段階の話。開発後の販売市場や賃貸市場に関して言えば、供給過剰状況が年を追う毎にひどくなり、空室に悩む家主さんが急増している。

そんな中、私がお付き合いしている賃貸業界の家主さんには大別して3つの層が存在しており、それぞれが違った「答え」=可能性を追求している。

【過去の「答え」にしがみつく家主さん】
過去の成功体験に固執するあまり、現在の過酷な競争の中で新しい策を講じられないタイプ。結果として仲介業者からも相手にされなくない、空室が埋まらない。

【目先の「答え」に収束する家主さん】
利回りの高い物件を作ればファンドが買ってくれる、という流行りのビジネススキームに乗って利回り重視(賃料が高く・面積が狭い)の新築を建てたものの、実際に入居する人の立場に立った(賃料が割安・面積が広め)物件でないため、結局空室を埋めるために多額の販売促進費用を出費するはめになるタイプ。結果として、事業全体の収益性は悪くなる。

【一つの「答え」に固執せず常に現実を対象化して諸策を講じる家主さん】
上記のような市況を一時的なブームと認識し、静観して、現代の賃借人に求められている賃貸マンションとは何か?という賃貸経営の本質を常に追究しつづけるタイプ。適度な投資と適度な収入で安定した経営をしている。

>答えを発見すると同時に全主体(=感応回路)はそこ(=実現経路)に可能性収束するが、それはある開かれた(=答えを見出した)欠乏意識とある開かれた対象認識がイコールで結ばれて共に強化される過程=その実現経路が強化される過程=その様な主体(実現回路)が強化・形成される過程である。<(19059)

「答え」は実現回路として固定されるもの。しかし一つの「答え」に固執・安住していると必ず失敗する。現実は常に動いているがゆえに、幅広い「答え」の選択肢を持ち、臨機応変に組み替えられる柔軟性を持っていることが、結果的に最大の評価(充足)へと繋がる。




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不全を可能性にする☆

Posted by ななし on 18.2017 記事 0 comments 0 trackback
「不全=可能性」っていうことは投稿で読んでもいたし、みんなからも聞いたりしていたけど、どうしても不全を出すことはいけないことなんだって思ってしまっていました。

先輩にそれを話したら、

『答えの出せる場』ではない場で出せば、不全はグチにしかならないけど、『答えの出せる場』で出せれば、不全は可能性になるんじゃないかなぁ?

って教えてくれた。この言葉、すご~くスッキリした☆

多分今まで、不全を『答えの出せる場』ではない場で出すことしか、できてなかった。そういう場で不全を出すと、答えはもちろん出せず、どんどんみんなその不全に引きずられていく。いいことは全くもってない。この感覚がずっとあって、不全を出すことはいけないことなんだっていう意識がでてきてた部分があったのかなぁって思った。

実際に『答えの出せる場』で不全を話したら、みんな口々に、「こうなんじゃない?」とか「この考え方は違うよ」とか「私もこういう時あったけど、こうしたらうまくいったよ~」っていっぱいいっぱい気付きをくれた。本当にありがとうございました☆

不全が出てきたら、ちゃんと『答えを出せる場』に出して、不全を可能性に変えていく!!そして、そこで得た気付きをまたみんなに伝えていったらいいんだって思いました☆




エミリー
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「がんばったときのことをいつも思い出せるようにしておく」

Posted by ななし on 18.2017 記事 0 comments 0 trackback
探索していたら、「なるほど~☆」な記事を見つけました。

教育のまぐまぐ「親力集中講義」(リンク)より引用。

*******************************

『がんばったときのことをいつも思い出せるようにしておくと、自分に対するいいイメージができる』


私が受け持ったA君は、ノートや予定帳に書く字が乱雑でした。 ほとんど判読できないような字で、本人にも読めないのではないかと思われるくらいでした。 そこで、なんとか丁寧に書かせようと、いろいろ試みました。

「A君は今日発表をがんばったから、字も丁寧に書けそうだね」などと、書く前に励ましてみました。 「今日は絶対、丁寧に書きなさい」と強く指示してみました。 「丁寧に書きなさい。読めない字は書き直しですよ」と脅してみました。 書き途中の字を見て、「この『国語』という字は上手だね」などと、無理矢理、褒めてみました。 でも、なかなか改善が見られませんでした。
それに、少しショックだったのは、A君の前の年のノートや予定帳の字を見ると、 今よりもよほど丁寧に書いているではありませんか。となると、私の責任が重大ということは明らかです。 私が受け持つようになってから、字が乱雑になっているのですから。私はだんだん焦ってきました。

ちょうどその頃、Bさんという女の子が病気で1週間くらい休んでいました。 それで、私は子供たちに言いました。

私:「Bさんは、病気でもう1週間もお休みしてしまいましたね。毎日、家で過ごさなければならないので、 とても寂しいそうです。みなさんは、毎日学校で友達と勉強したり遊んだりできますが、Bさんはできませんね」
子どもたち:「Bさん、かわいそう」
私:「みなさんに、何かできることはありませんか?」
子どもたち:「Bさんにお手紙を書いたらいいと思います」

ということで、手紙を書くことになりました。

「じゃあ、みんなで、Bさんに心を込めてお手紙を書きましょう」 子供たちはいっせいに書き始めました。私はA君が気になって見に行きました。 すると、驚いたことに、A君は今まで見たこともないような丁寧な字で書いているではありませんか。 姿勢を良くして、一生懸命書いています。

私はとても嬉しくなりました。なんといっても、A君の気持ちが嬉しいではありませんか。 家で寂しく過ごしているBさんのために、心を込めて一生懸命書いているA君に感動して、心がジーンとしました。 そして、心からA君を褒めました。A君もとても嬉しそうでした。

A君は、休み時間にもがんばりました。手紙についているイラストにきれいに色も塗って、手紙を完成させました。 それを見て、私はいいことを思いつきました。この手紙をコピーしておけばいいのではないかと。 うん、これは、いいぞ。これは「使える」かも!

そして、コピーを取ってA君に見せました。 「A君は、Bさんのために心を込めて丁寧にお手紙を書きましたね。先生はすごく嬉しいので、記念にコピーしておきましたよ」。

A君もにこにこ聞いていました。そして、それを教室に貼りました。すると、A君は、 ときどきそれを見てにこにこしていました。そのときから、予定などを書くときに、 子供たちにこう言うようにしました。

「A君のお手紙のように丁寧に書こうね」。

これは効果抜群で、A君はもちろん、他の子供たちも一生懸命、丁寧に書くようになりました。

このように、手紙のコピーを貼っておくことで、 A君は自分ががんばったときのことをいつでも思い出すことができます。 すると、だんだん、自分はこんなに丁寧に上手に字が書けるのだと思うようになっていきます。 これは、つまり、自分へのいいイメージを作っていくことなのです。これは、とても大切なことです。

*******************************
私も>家で寂しく過ごしているBさんのために、心を込めて一生懸命書いているA君に感動して、心がジーンとしました。<!!
手紙のコピーを貼っておいて、「A君のお手紙のように丁寧に書こうね」って伝える。みんなも、自分も、嬉しくなる、やる気になる、そんな誉め方ですよね♪

これ、仕事をする大人にも使えるなぁと思いました。

私は上手く行かなかったときに必要以上に落ち込んだりと、気持ちに波があるのですが、そんな私に先輩がアドバイスしてくれたことがありました。
「上手くいったいったときのことを話したり、文字にしたり、みんなに伝えることで、(意識的にでも)充足体験を積んでゆくこと。“みんなが喜んでくれている。自分も嬉しい。”そういう充足体験があれば、上手くいかせるためにはどうすればいい?という思考になるから、必要以上に落ち込んだりすることもなくなる。」
上手くいかなかったことを反省することに重きを置いていた私には「なるほど!」なアドバイスでした。

「がんばったときのことをいつも思い出せるようにしておく」こんな工夫してみようっと!



中瀬由貴
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大事なのは周りと同化していく事だったんですね!

Posted by ななし on 17.2017 記事 0 comments 0 trackback
仕事を辞める若者の気持ちを実感として感じている人は多いと思います。

 実際私は来年就職をし社会に入っていくのですが、就職した後、その職場での重圧に適応していけるのか不安を感じています。

 今回のサロンにて、そのような原因の一つとして「親の囲いこみや、幼児期に生じた親和欠損により、子供が親としか同化し続けてきていない為周りの人や社会に同化できず、社会の圧力に耐えられないようになる。」ことが上げられる事を知り、私の現在の生活を振り返り考えてみると、確かにそのような事を実感として感じる事が多々ありました。


 その状態を何とかするには、幼少期の親和欠損により、得る事の出来なかった、周りとの同化、社会との同化をしていく事(周りの人からの期待、社会の期待を見つけていき、答えていくこと)が必要であることを学びました。


 私は今までこのなんとも表現できない不安は自分ひとりだけのものであると考えていて、失敗しては、自分の中だけを見て、自己攻撃を行っていましたが、今回のサロンにて、この不安の原因の一部、を知る事ができて、又これからは自分の中でなく周りをよく見て同化をしていくべきであると学ぶ事が出来ました。

今回もすばらしい学びをありがとうございました!




サェ
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高校生の「いらいら」「疲れ」とは、必死に答えを探索し続けていることの現れでは?

Posted by ななし on 16.2017 記事 0 comments 0 trackback

「高校生の意欲に関する調査-日本・アメリカ・中国・韓国の比較ー2007年4月」(財団法人日本青少年研究所)リンクより、
>⑥偉くなりたいか
「偉くなりたいと思う」(「強くそう思う」)
 ⇒日本8.0%、米国22.3%、中国34.4%、韓国22.9%
>⑧心情
「よくいらいらしている」日本28.0%、米国18.4%、中国17.8%、韓国13.2%
「よく疲れていると思う」日本50.0%、米国38.2%、中国31.8%、韓国37.0%
<(以上引用)

他国との比較においても、日本の高校生はほとんどが「偉くなりたい」とは思っていないようです。また一方、心情的には大半が「いらいら」や「疲れ」を感じていることが伺えます。この「いらいら」、「疲れ」はどこから来るのでしょうか?

>「焦るのは、廻りを見ても何も見えない」からなのだ<(150778)

捨象しきれない焦り→答え探索→答えは見つからない(収束不全)→焦り→・・・→(繰り返しの結果)「いらいら」「疲れ」・・・

「答え」が見つからない限り、このループを際限なく繰り返し続けるしかありません。その結果、「いらいら」、「疲れ」は蓄積されていくばかりです。
まさに彼らの「いらいら」「疲れ」とは、彼らが必死に答え探索を続けている(でも答えは見つからない)ことを現しているのだと思います。

>もはや、『事実収束』の流れは間違いなく顕在化している。後は、いかに現実の役に立つ新認識(答え)を創って、そこへ収束させることができるかどうかにかかっている。<(150778)



浅見昌良
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温家宝首相来日は靖国参拝阻止のため

Posted by ななし on 15.2017 記事 0 comments 0 trackback

●中国にとっての長期戦略は、2040年代には米国に追いつくこと。
 工業化、情報化、都市化、国際化を果たし、和諧社会を実現するこ
 とだ。

・そのためには、エネルギーや食糧の確保、発電所や新幹線などのイ
 ンフラ整備、環境問題などの対応が不可欠の課題。

・そのためには日本からの経済支援、技術支援が不可欠であること。

・ところが、08年の北京オリンピックの開催を機に、日本の新規ODAは
 打切りになることが決定している。


●中国(胡錦濤主席)にとっての目先の課題は、秋の共産党大会。
 
・上海閥を中心に江沢民前主席の影響力は未だ強く、特に軍部には江
 沢民派が多い。また、軍部は反日が強い。上海閥を放逐できるかが
 最大の関心事である。

・だから、安倍首相の靖国参拝が行なわれるようであれば、主席の指
 導力を問われる。

・だから、なんとしても靖国参拝を阻止する必要がある。 
(逆に言えば、小泉前首相のおかげ?か、今や靖国参拝は日本の外交
 カードに転換している)


●以上のような中国の事情から、目的はずばり、経済支援の取付けと
 靖国参拝阻止である。

・靖国参拝のチャンスは、4月21~23日の春季例大祭、8月15日の終戦
 記念日、10月17~20日の秋季例大祭である。
 
・まずその布石として、中国は日本を刺激しないように、国内の反日
 報道に規制をかけている。
 中国情報工作の司令塔である中央宣伝部は、この1月に「緊急報道禁
 止通達」を発令し、その中で南京大虐殺問題と盧溝橋事件の70周年
 記念報道の禁止をしている。

 さらに、反日報道の規制により反日分子の不満をかわすために、南
 京大虐殺の実行犯の殆どは朝鮮人がやったことだと、新たに話題ま
 で提供している。

・そして、春の例大祭にぶつけて温家宝首相が来日した。
 おまけに中国側の強い要望で、池田価学会会長とも会っている。
 自民党は公明党の協力がなければ何も出来ないことを利用したもの
 だ。
  
・次に、曹国防相が8月に来日し、9月には中国海軍艦艇の初めての日
 本寄港を画策している。
(中の軍事交流は、これまで「陸」と「空」においては既に行なわ
 れている。) 

・そして、10月には安部首相の訪中を求めている。

●このように、安部首相の靖国参拝は中国の工作によって、完全に封
 じられている。
 加えて経済支援を取り付けることによって、秋の共産党大会におい
 て上海閥を放逐し胡錦濤主席の強固な体制が完成する。それはイコ
 ール米国を脅かす軍事大国への体制に他ならない。

安部首相が氷を砕き、温家宝首相が氷を溶かしたなど、日中関係の改善と手放しで喜んではいられない。中国には中国の事情があり、そのための巧妙な外交戦略があるのだ。

参考:SAPIO4/25号




ET 
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共認闘争を担う世代になれるか

Posted by ななし on 14.2017 記事 0 comments 0 trackback
私は1983年生まれです。酒鬼薔薇事件の容疑者の一歳下、そして「キレる17歳」と言われた2000年の17歳犯罪の当事者に当たります。その当事者として非常に強く思うことがあります。


>彼らは直接犯人たちを意識しているわけではないが、おそらく潜在的な同世代意識を通じて、何らかの危機意識が強く働いている。

当時のことは覚えています。自分と歳の変わらない世代の人間が考えられないような事件を起こす。そして「考えられない」と思いつつ、自分ももしかしたら…と思う部分もどこかにあった気がします。私たちの世代が報道などで注目を浴び、恐怖の対象にすらなったことを感じました。


>そして’00年頃、私権統合の崩壊が決定的となり、閉塞感が強まって、遂に私権観念が瓦解した。私権観念の防波堤が破れたことによって、一気に社会不全が大きくなり、私権の衰弱も相まって潜在思念の源泉部が私権不全から社会不全へと大転換した。(リンク 四方氏)

私権観念の瓦解を私たち世代は大学生で迎えることになりました。社会不全が顕在化したことにより収束先を潜在思念で探し続ける。しかしこれまでの絶対信仰により収束しようとした先は充足を得られるものではない。今になって常に何か探している感覚があったように思います。



完全なる社会不全により社会収束や答え欠乏は顕在化しましたが実現基盤のある新理論に触れるまで、僕らは潜在思念で相当のエネルギーを消費しつつ探索を続けていたのだと思います。私権時代の旧観念に染脳されつつ、場は共認圧力を活力源とする場に転換している。その場と主体のズレが支配共認(マスコミ)への収束をもたらします。充足はもちろんできず、目先に収束してはまた新たなものに飛びつき、というサイクルを繰り返しているように思います。



>従って、現在、潜在的な社会収束・仲間収束から顕在的な認識収束⇒理論収束への移行が共認社会実現へのカギとなっている。


潜在的な社会収束、仲間収束はもはやほぼ誰もが持っている。認識収束⇒理論収束への移行を可能にするのは実現基盤に基づいた新理論の吸収にあるのだと思います。潜在思念で理解し新理論に充足を覚え、自ら認識の供給者、共認闘争の主体になることが私たち世代が持っている大きな可能性ではないかと思いました。



新里勝一郎
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防波堤が崩れた先には社会が広がっている☆

Posted by ななし on 13.2017 記事 0 comments 0 trackback
社会人になって4年目になりました。
私の学生時代の友人達は、今ことごとく行き詰ってます(>_<)

最初の1,2年は趣味・遊び・資格etcに明け暮れて、その(プライベート=自分らしさ)為に仕事してた。
「週末が楽しみ」「日曜の夜にはブルーになる」が口癖。
それ(趣味・資格)を“夢”とか“目標”とか言ってる。言ってる割にコロコロ変わるんだけど(^^;)それでも新しくチャレンジすることがあるうちはまだ良かった。

でも趣味だけじゃやっぱ充たされない2年目・3年目。
出てくる言葉で多くなったのは「やっぱ成長していかなきゃ」「スキルアップ」その為の英会話やら資格勉強やら。
そして遂にその資格ですら活力源にならなくなってきた4年目。。
今友達の大半は仕事を1回は辞めてる状況。

趣味にしても資格にしても、全部プライベート=自分の為だから。その為に働いていたのに、そっちで活力がでない→“何のために仕事してるの?”状態に。
“自分らしく”とか、“やりたいこと”では活力出ないのは明らかなのに、それでもそこに拘って、活力源を見失っている。
(自分発の活力じゃ4年ももたないってこと!?)
逆に周りにいる活力のある人を見ると、全く逆!自分のやりたいことではなく、本当素直に皆の期待に応えていってるだけ。それが全てだから仕事とプライベートの線引きもない。結果むっちゃ楽しそう♪

「私権観念の防波堤は崩れた」24981というのが今の現実。
防波堤が破れさったということは、社会という大海(可能性)が眼前に広がるのみ☆
活力源=みんなの期待はいくらでもある!それが現実。



鹿村幸代
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目先の子育てが短絡脳を作り出す

Posted by ななし on 12.2017 記事 0 comments 0 trackback
子育てパパ、教育パパの心底に適応種を育てる意識はあるのだろうか?

「子は親の背中を見て育つ。」と古くから言われているが、それは課題に向かう親の姿を見ることが前提にある。
その親に同化=真似し、大量の失敗経験から自ら工夫思考を育みながら成長するのである。

課題とは言うまでもなく闘争課題であり、かつては生産課題が中心であった。しかし、市場社会は生産の場を家庭から分離し親の姿を見えなくした。さらに貧困が消滅してからは生産圧力すら二義的なものとなり、親自身が課題に向かう気力を失ってしまった。

親が子育てを課題化することは決して誤りとは言えない。しかし、子育てを課題化すれば、それは必然的に子どもを取り巻く社会状況を対象化しなければ方針は出せない。そして、それは親自身にも取り巻く閉塞状況でもある。

社会閉塞の答えが見つからないといって、安易に捨象し受験や子どもと遊ぶことだけを課題化する目先思考の短絡脳では、子どもも短絡脳にしかならない。
>人類がほぼ克服し得たのは動物的(本能を直撃する様)な自然圧力・外敵圧力だけであって、本能では感取できない、しかし観念機能では認識or 予測できる人間的(超動物的)、かつ全人類的な自然課題・外敵課題は、未来永劫生まれ続ける。しかも、人類がそれらの課題の中の何をどれだけ重視するかは、人類の共認に委ねられている。つまり、全人類的生存課題→期待と応望(=追求・創造)→評価闘争=共認闘争→社会共認の形成、そしてその社会共認にとって重要な新たな人類的生存課題が更に追求され、その環が塗り重ねられてゆく。これが、同類圧力社会=共認社会の基本パラダイムである。 実現論4_2_03

親がどこまで観念を使い社会を対象化し同類圧力を形成できるか、その姿を子どもたちは見ているのだ。



辻一洋 
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「気づく」ためには、みんなが必要!

Posted by ななし on 11.2017 記事 0 comments 0 trackback

「飲み会で、大人数でわいわいするより少人数でじっくり話しあうほうが満足した!」

「飲み会で、仕事の悩みを話したら、みんなが真剣に聞いてくれた!」
―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―

■今日のサロンで出てきたみんなの小話がとても印象的だった。

今日は1970年から2000年までの解脱の変化を勉強しましたが(69911)、
社会人にとっての最も身近な解脱行為である「飲み会」の中身も

“単純にみんなと馬鹿騒ぎ”=「闘争不在、解脱埋没」から
             ↓
“飲み会でもみんなとまじめな話しをしたい”=「闘争あっての解脱」

という風に変化していることを構造認識と実感レベルの両方で感じることができたのである。

そして、その「みんなの実感」は「自分の実感」と同じだった!



■意識潮流の変化をはっきりと認識するための条件として、

①「構造認識」を理解していること

がまず第一に必要ですが、同時に

②「自分の実感」が「みんなの実感」と同じだったと実感すること

がとても重要ではないかと思います。
「構造認識」が本当に正しいんだと、とてもスッキリ納得できるし、
「結構みんな同じ事を考えているんだ」と気づくのはとてもうれしい。


■その意味で、意識潮流の変化をはっきり認識するためには、

自分一人だけで勉強してもダメなんだ。

みんなが必要なんだ!

ということを実感することができたサロンでした。


“みんなで勉強する「サロン」”という場に感謝です。



安藤広海
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1970年代を改めて確認する

Posted by ななし on 10.2017 記事 1 comments 0 trackback
1970年代という時代が「貧困が消滅した時代」というのは、

・日本の個人貯蓄率の増加や国債残高の増加が1970年代を端に始まっている点(31313)

・当時の生活意識を示す流行CM「モーレツからビューティフルへ(富士ゼロックス1970年)」や「金曜日には、花買って、パン買って、ワインを買って帰りまぁす」(サントリー1972年)など、生活に対してゆとりが出始めている点(リンクザ・20世紀)

から確認することができましたが、


■同時に1970年代が「農村から都市への人口流入が終了した時期」であるという点も見逃せないと思います。
(リンク未来経済研究所)

1950~60年代の高度経済成長期が①機械制工場による大量生産と②農村から集団就職した安い賃金労働者、によって支えられて年率10%近い驚異的成長を記録したのに対して(労働者はまだ貧乏)、

1970年代は、農村からの安い労働者は流入せず、以前から移り住んでいた労働者の賃金が上昇した、つまり大多数の人の生活が豊かになった時代と言えるからです。

そして、この農村から都市に移り住んだ世代が都市近郊のニュータウンに住み、急速な核家族化と共にお互いにコミュニティを築けずに、密室の家庭空間をつくり、そして現在の様々な問題を引き起こしている原因を作ってしまったことを考えると(44864)(64087)、

1970年代という時代が非常に大きな転換期であったことを改めて指摘できると思います。



安藤広海
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期待さえ忌避してしまうのはなぜか

Posted by ななし on 09.2017 記事 0 comments 0 trackback
新入社員や受験シーズンが近づくと、特に若者のそれも男の子(こういう表現しか使えないのも嘆かわしいが)のひ弱さが目に付いてしまう。
なぜなんだろう。

>だが、反集団の性的自我を原動力とする性市場→商品市場が社会の隅々まで覆い尽くし、全ての集団が解体されて終った結果、人々は文字通り私権さえ確保すれば生存が保障される様になり、己の私権に関わること以外は、己の属する集団のことも社会のことも何も考えなくなって終った。<実現論3_1_04

これは密室化してしまった現代の家庭内で特に顕著に現れているのではないだろうか。

つまり、若者=男の子が女原理=母親に完璧に囲い込まれてしまって、闘争を忌避することを刷り込まれてしまう。それどころか、

>関係耐力が衰弱し、自我を恐れる結果、相手に期待をかける(否定し正すことも含む)ということも出来なくなっているような気がします。また、期待をかけるだけの、共通課題や目標もほとんど見つからないんだと思います。<147183

だから困難課題(たとえば、受験、就職、会社での仕事)にまともに向き合えない。期待をかけようにも、その期待さえ忌避しようという行動に出てしまう。

>このような若者を過保護空間から引っ張り出すには、守りの自己中の過保護空間を強制的に叩き潰してしまうしかないのか?<147183

全くその通りであり、そのためには本源集団を再生するしかないのではないか。




オクトパスホールド
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若者があまり発信しないのは?

Posted by ななし on 08.2017 記事 0 comments 0 trackback
>私権が衰弱して真っ先に関係耐力(自我・私権のせめぎ合いに耐え得る関係能力)が衰弱して終ったので、互いに自我を恐れて相手の心の中に踏み込めなくなり、異性関係や仲間関係が表層化(上辺だけ仲良し化)する一方である。(実現論4_3_03)

 関係耐力が衰弱し、自我を恐れる結果、相手に期待をかける(否定し正すことも含む)ということも出来なくなっているような気がします。また、期待をかけるだけの、共通課題や目標もほとんど見つからないんだと思います。

 だから、128405にあるように、常に自分の縄張りを荒らされないようにし、対外折衝は極力避ける、というような守りの自己中になる(攻める理由がないし、攻めると攻められる恐れがある)。そして、ぬるま湯の過保護空間にどっぷり使ってしまう。

 このような若者を過保護空間から引っ張り出すには、守りの自己中の過保護空間を強制手に叩き潰してしまうしかないのか?

>そもそも可能性を探索してそれに応望するには状況認識が必要になります。それが期待を封鎖していれば自分も含めた周りの実感(=みんなの意識)を羅針盤に状況探索することが出来なくなります。(66463)

 改めて、期待封鎖の解除=共認回路再生の必要性を感じました。



橋田和弘
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脳ブームについて思うこと

Posted by ななし on 07.2017 記事 0 comments 0 trackback

最近脳に関する本やドリルやゲームなどがたくさん売られています。
たしかに日頃つまらない仕事をしているとすれば、使わない自分の脳を訓練することは必要かもしれません。
でもちょっとまって
本当は日頃頭を使って考えていないことが問題なのでは・・

どうしたらいいかわからない。(=どう脳を使ったらいいかわからない。)

たとえば日常の仕事がつまらないならなぜそうなっているかを考えないのか。
日常の仕事は、現実に直結しています。現実につながらない脳トレーニングをすることは、少しは頭を使うと思いますが、本気で何かを実現する圧力にはかないません。

本当は現実を変えようとしない思考停止の方が問題なのだと思います。





tennsi21
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さらなる活力を出す方法って?

Posted by ななし on 06.2017 記事 0 comments 0 trackback
実現論の序文を読みかえしてみた。大学を卒業後、友人たちと遊んでいても、仕事をしていても、イマイチ充足していなかった時期があった。今となってみると仲間の共認圧力や仕事の課題共認など活力源となる事が何1つなかったことに気がついた。今、仕事をしていて現実の事象を捉え毎日をすごすうえで、圧力をさらなる活力にしようとしてますが他の方はどのような方法をとられてるのでしょうか?



ぷりぷり
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長い長い反省文を書いているのに、なぜ「変わらない」のか?

Posted by ななし on 05.2017 記事 0 comments 0 trackback
自己反省文を長々と書く人間に限って、書いても書いても「変わらない」。同じような失敗を繰り返す。

彼らは長い反省文を書き連ね、攻撃姿勢を示すが、「誰が誰を攻撃(嫌悪)しているのか?」というと、「自分が自分を攻撃(嫌悪)している」のである。

ここで、「失敗してしまった自分」と「反省文を書いている自分」の二者が登場していることになる。「反省文を書いている自分」が「(過去)失敗してしまった自分」を嫌悪し、攻撃している。

この「反省文を書いている自分」は、その反省文の意図から行って、「今後は失敗しない」「失敗するはずがない」ことを前提に書かれている。
そして(上記から導かれる結論は)、「失敗してしまった自分」とは、「そんなつもりは無かった」し、「どうかしていた」と認識されている。

後者の「失敗してしまった自分」は「現実の自分」であり、
前者の「反省文を書いている自分」は「理想の自分」。

この「理想の自分」は与えられ続けてきた規範に強力に裏付けられているため、反省文も一見「まともに反省している」ように見える。
しかし当人の意識の内に、「理想の自分」が「現実の自分」を攻撃する構造がある限り、容易に変わることができない。「現実の自分」がいくら失敗を重ねても「理想の自分」には、ほとんど影響がないからだ。

長い反省文も、「理想の自分」を肥大化させる方向にしか働かず、逆にその乖離をひどくすることになってしまう。



小暮 勇午
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根本課題へ向かうには闘争共認と解脱共認の関係理解が重要

Posted by ななし on 04.2017 記事 0 comments 0 trackback
目先の解脱に流れて、根本課題に向かえない要因のひとつには、闘争共認と解脱共認をバラバラに捉えていることが挙げられるのではないだろうか。

>しかし、解脱共認は前述したように、闘争共認の対立対象ではなく、むしろ母胎をなす、切っても切れない関係です。<(山田さん:145836)

闘争共認を形成する母胎は解脱共認である。
また、闘争課題を捨象すれば、解脱回路は堕落回路となる。

>私権社会は、観念上でもってこの両者を切り離し、当然多くのズレや矛盾を発生させました。
現在の社会の閉塞や様々な問題の根底には、このズレ・矛盾が根深く横たわっているように感じます。<(山田さん:145836)

現在は分断されている闘争共認と解脱共認が、極めて密接な関係にあることを理解することが、目先の解脱から根本課題へ向かう流れを加速させるように思う。




西村秀彦
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何か忘れてない?

Posted by ななし on 03.2017 記事 0 comments 0 trackback
> 目先収束しても出口がないことはそろそろ判ってきた。
> 格差社会を謳って所得に差を付けてみてもモチベーションは
> 上がらない。
> しんどい課題からは逃げようとしていたけど、
> 本当は何かするべきことがあるんじゃないか?
> マスコミの言うことを聞いていると今までと同じで良いように
> 思うけど、俺らって本当は何かやらなきゃいけないことが
> あったんじゃない?
> 何か忘れてない?


われわれ世代の同窓会メーリングリストでも今はこんな雰囲気。充足基調は変わらないが、遊びの投稿にはレスが付かなくなってきた。少なくとも「頭で必死に課題捨象」(24981)している段階は脱しつつある。



鈴木隆史
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本当の自分って?~サロンに初めて参加して~

Posted by ななし on 02.2017 記事 0 comments 0 trackback

本当の自分はもっと違うんじゃないか、本当はこういう生き方がしたいんじゃないか…
今の状態に満足していない私は、この問題を取り上げて頂いた。

「私も自分を否定してきた」と同じ目線で話して下さった方。
「こういう問題を感じたことは無い」とおっしゃっていた双子の方。
初めてお会いする方々とプライベートな話をすることに何の抵抗もなく、大笑いしながら進んでいった。

途中、先住民族の文献を読んでの投稿で、「彼らは大地の上のものを“同一のもの”として捉えているため、myselfという概念がない」ということを知った。
この大きい「共認充足状態が、双子には生まれながらにあり、それが他人とも持てるようになれれば…」という気づきには深く共感した。

また、この問題は20代~30代前半にあることを知った。
それは、社会規範が崩れ、価値観が個人に委ねられる時代に育ったことにあるようだ。
規範に支配されることに抵抗して得た自由の中では、個人が規範を定めなければならず、myselfな価値観が氾濫している。
確かに、友人との会話でも「私は私、あなたはあなた」というフレーズをよく聞く。その度に違和感を覚えていた。
そうしている限り、「私とあなた」の共同の産物は存在せず、カップル・家庭・社会…という集合体を作るのが不可能になる。

そして、自己否定の原因には親子関係、特に母親との関係が強く作用していることも知った。
これは私にとって古傷に触るようなことだったが、段階を経て整理していこうと思っている。


こうして色々な立場の方々とお話をすると、新しい視点が養われていくのが分かる。一人で抱え込んで心理学の本に答えを探すより、何倍も印象に残り、次々に気になるお題も浮かんでくる。

永六輔氏の言葉を借りれば「人と一時間話をすれば、厚い本を一冊読んだのと同じくらい何かを得るものだ」

なんと今日は四冊も読んでしまった!
サロンで自分を受け入れて頂き、自然と心を許し話し合えたことに感謝して、可能な限り蒲田に通うことを決意した。




増山香苗
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新しい規範の誕生から新しい評価圧力が生まれるまでの課程

Posted by ななし on 01.2017 記事 0 comments 0 trackback
>社会空間での共認圧力は、人々を介した評価圧力だけでなく、制度・規範・観念の固定圧力も含まれる。そこで答えが無く、新しい認識が広まってない現在、多くの人は私権時代の固定圧力に収束するしかなくなっている。<(142527)

「自由競争」という市場経済の固定圧力と、「負け組より勝ち組・・・」という周りからの評価圧力。あるいは「結婚」という制度圧力と「独身より結婚した方が世間体がいい・・・」という周りからの評価圧力。というように、社会空間での同類圧力は2つの圧力によって構成されており、それは、私権時代でも現代でも基本的に同じ構造なのだと思います。

しかし今や、「自由競争」「結婚制度」といった固定圧力も、ガタガタ現象の前ではその固定度を急速に失いつつあり、もう一方の評価圧力も「勝ち馬に乗る」「無難である」という程度の微弱な根拠にしか支えられていないのも事実。

とすれば、
①現代人の潜在思念に沿った新しい「規範」が提起される

②その「規範」でうまくいっている事例が評価され始める

③その評価共認の過程で「構造認識」(=なぜその規範がうまくいくのか、充足するのか)自体もおのずと広まっていく。例えば、「規範とは本来マイナス価値でなく、プラスの価値である」という認識も規範が浸透していく上で必要になるでしょう。

④そして、新しい「評価圧力」が形成されていく
という流れになるのではないでしょうか。


竹村誠一
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