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【図解】素人の社会活動11 マスコミの共認支配

Posted by ななし on 30.2013 記事 0 comments 0 trackback
             村落共同体解体             
                |
                V
             共認充足の喪失
                |
                V
            大衆の解脱欠乏UP
             ∥     :
             V     :
        テレビ=解脱箱    V
           ↓   ──>大衆の解脱個体化
        マスコミの発達   (ブロイラー化)
           |          |
           V          V
       ┌──────────────────────────────┐
       |解脱情報を武器に────>支配観念一色│
       | 支配観念を発信    に支配される|
       └──────────────────────────────┘
                |
                V
        ┌────────────────────────────┐
        |マスコミによる共認支配の場の形成|
        └────────────────────────────┘

以下の2点が重要。

1.娯楽作品そのものの中に支配観念が様々な形で美化されor正当化されて発信されることによって、大衆は染脳され続けてきた。

2.バラバラに分解された解脱個体を収束させた全く新しい社会的な共認形成の場(正しくは共認支配の場)を作り上げた事は、注目すべきである。

 
坂本日出夫 
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無責任なコメンテイターたち

Posted by ななし on 28.2013 記事 2 comments 0 trackback
>その上、いったん否定回路⇒感応観念に収束して終うと、そこから脱け出せなくなる。従って、例え頭で感応観念を否定して構造認識に向かったとしても、否定意識とプラス幻想という思考の動力源が同じなので、偏り誤った(=現実からズレた)、従って実現の役に立たない構造認識しか生み出せない。

概ねこれが、現代知識人の思考様式である。(19060)

ここ最近のテレビ番組は、ニュースや事件を取り上げることが多い。キャスターが主に番組を進行し、その横に必ずといっていいほどコメンテイターが並んでいる。コメンテイターは、大学教授や弁護士もいれば、作家やスポーツ関係、芸能人など様々である。

 彼らのコメントは、一様に上記にあるような「否定意識とプラス幻想」から成り立っている。従って、あくまでも当事者ではなく部外者という立場であり、どんなに原因分析しても「ではどうすればいい?」という実現思考には全くいかないのである。

 でも考えてみれば、彼らコメンテイターたちにとっては、できるだけ頻繁にマスコミやテレビに登場し、特に問題になるような過激発言さえしなければ、身分や収入は保証されるのである。まして有名になることで、自分を更に高く売ることも出来る。これでは、何も実現できるわけがない。 

吾亦紅 
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自分自身の意識は、現実なのだ。

Posted by ななし on 26.2013 記事 0 comments 0 trackback
>主体=対象である以上、人々の意識とは、自分の意識に他ならない。つまり、自分自身の意識が、『現実』=同類圧力を形成していることになる。もっと簡単に云えば、現実とは自分自身に他ならない。

「自分自身の意識も含める」というのは改めて大きな気付きだった。
同類圧力の下では「人々の意識」が現実だけど、そこに自分の意識を除外してしまっては主体=対象とはならない。

自分の意識の中には、潜在的に感じる違和感や疑問、充足などいろいろあるけれどそれがみんなも一緒だと思うことが重要だと思う。

そうすれば、素直にその意識を場に出せる。
もしみんなと違う意識があればそれもみんなで「どうしてそう思うのか?」を考えればよい。

自分自身の意識を素直に現実と受け止め、みんなで考える。
これが実現の過程になるのではないでしょうか。

 
渡邊真也
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人々の欠乏を追えば、テレビ衰退の必然構造がみえてくる。

Posted by ななし on 24.2013 記事 0 comments 0 trackback
テレビの歴代視聴率をみても、当時テレビをみていた人の感覚をきいてみても人々が最もテレビに収束していたのは60年代だったようだ。
当時、まだ貧困の圧力があり、序列圧力=どうにもならない圧力 が社会には働いている。
その緊張関係からの一時的な弛緩の時間を提供したのがテレビであった。

①60年代:貧困の圧力→序列圧力(どうにもならない圧力)→緊張からの弛緩欠乏 ⇒テレビ(発散材料を提供)
     

では貧困の圧力が弱まり、序列解体されていく70年代のテレビの位置づけはどうだったか?
貧困の圧力が弱まったのに伴い、みんな課題も喪失してゆく。
さらには都市への移住が加速し、共認充足の機会が減っていく。
そんな中で人々に話題を提供してきたのがテレビであった。

②70年代:貧困の圧力▽→みんな課題の喪失→共認欠乏⇒テレビ(話題を提供)


80年代に入り、規範は崩壊そして時代はバブル真っ盛り。人々の自我欠乏がもっとも肥大した時期だといえる。
テレビはトレンディドラマ全盛期。テレビに移る華やかな暮らし。恋愛ドラマ。消費を煽る宣伝。
人々に過剰ともいえる幻想を植え付け、消費を煽ったのがテレビだった。

③80年代:規範の崩壊→自我欠乏⇒テレビ(幻想を提供)


90年代に入ると、バブルは崩壊。幻想の喪失。
幻想無くなり、いよいよ社会不全が蔓延しはじめる。
テレビはここからバラエティ一色。バラエティ・・・聞こえはいいが、文字通り伝える中身が無くなったということ。
社会には原因がわからないイヤーな空気が蔓延。そこからのとりあえずの逃避先がテレビだったのでは?

④90年代:バブル崩壊→社会不全の蓄積→思考停止欠乏?⇒テレビ(中身無し)


しかし2000年以降、いよいよ社会不全が顕在化してくる。
若者の資格志向にみられるように課題収束が加速。
それに伴って、テレビの視聴率は激減していく。
これは考えてみれば当たり前のような気がする。
①~④をみると、これまでテレビが提供してきたものは、
一貫して現実の課題からかけ離れたもの=現実からの逃避。
つまり、社会不全が強まり、課題収束する欠乏には応えることができない構造を持つ。
今後、社会不全に対する答えがどんどん提示されていく中、テレビそしてマスメディアが終焉を迎えるのは必然だと思う。

⑤2000年代:社会不全の顕在化→課題収束→テレビの衰退

野田晋一郎
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広告効果が引き起こすマスコミの構造変化

Posted by ななし on 22.2013 記事 0 comments 0 trackback
人々の間でマスコミ離れが進んでいる理由は、根本的には答え探索⇒事実収束という人々の期待にマスコミが応えられていないという点にあるが、直接的には、マスコミの広告効果がなくなってきたということがそれに拍車をかけている。

>英国の経済誌「エコノミスト」は「ネット広告はテレビ広告の25倍の広告効果がある」と報告している。

>'06年の慶応大学榊博文教授らのテレビCM調査によると「日本のテレビでは、ドラマの見せ場や、クイズの正解直前などのヤマ場にパッとCMに切り替わってしまう「ヤマ場CM」が非常に多い。視聴者の86%もが「不愉快」「イライラする」と感じている。そして、ヤマ場CMの商品を買いたいかという質問に対して「買いたくなない」と答えた人が、一段落した後のCMに対して3.8倍もいる。」広告主は、不当なほど高い広告費を払って、わざわざ視聴者の反感を買っていることがはっきりした。

>ちなみに、「納豆ダイエット」の捏造で問題になった関西テレビの「発掘!あるある大辞典Ⅱ」の番組制作費は、3200万円になっていたが、実際には孫請けが制作していて、支払われた金額は1/4の860万円だった。広告主からすると広告費用は高いうえに不透明なのである。

※出典
「グーグルが日本を破壊する」竹内一正著、PHP新書

>野村総研が日本におけるDVRのTV広告費への影響を発表した。それによると、ユーザーの過半数がTVCMの80%をスキップし、今年の損失総額は約540億円に上るという。

検索エンジンのグーグルが急成長してきた秘密は、その広告効果の高さにあると言われている。検索する言葉に連動して広告がクリックできるシステムになっているため、検索した人がその広告を見る確率が高く、成約に至る確率も高いらしい。

それに対して、マスコミの広告はバカ高い費用をかけているにも関わらず、ほとんど見られておらず、広告効果は怪しいということが明らかになってきた。広告主がマスコミ広告から離れていっているのも当然である。

この点は、テレビだけではなく、新聞も同様で、若い人を中心に新聞をほとんど読まなくなってきているので、当然広告などもほとんど読まれていない。

おそらく今後マスコミ業界は、広告収入が減れば制作費用が削られて、番組や記事の質が下がる。→番組や記事の質が下がれば、ますます広告主がマスコミから離れてゆくという悪循環に陥るだろう。マスコミは、現実の経営問題から足元を崩され、倒産or再編に向う可能性が高い。

今後人々のマスコミ離れが加速してゆくのは間違いないだろう。そして、この構造変化が、マスコミに代わる新たな共認媒体の形成を加速させてゆくことも間違いないだろう。

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必要か否かを考えることで、生活はずいぶんスリムになるのかもしれない

Posted by ななし on 20.2013 記事 0 comments 0 trackback
>だから、『必要か、必要でないか』という認識は、決定的な一つの答えとなる。この認識が伝播するのに応じて、真っ当な判断の土俵が確立されてゆく。そして、真っ当な土俵が出来さえすれば、そこでの必要判断が物や芸能から認識へと、次第にシフトしてゆくことは、云うまでもない。
『認識形成の場』は、この土俵の上に(新しい演場の開拓者として)登場することになる。

物がまだまだ満たされていない30年前は、「どれが買えるのか」が家族の関心事だったが、今は、かつての「3種の神器」でさえ「必要かどうか」怪しくなってきた。景気低迷などの原因はあるが、「物」に対する「必要か否か」の判断軸は、年々厳しくなってきているのではないだろうか?
ある意味では、供給側と消費者の闘いがこれから本格化するのかもしれない。不要と判断されれば、企業にとってその先はない。企業は今後、商品の必要性をあの手この手でアピールするだろう。しかし、表層的なごまかしはいずれ通用しなくなるのではないか?
市場に出回る商品についてあれこれと考えてみた。

例えば車は、年間の維持費に大きな散財をしてまで持っている必要はないかもしれない。ガソリンが高騰し、あまり乗らないと、駐車場代も馬鹿らしくなる。私の世代に比べて今の若者は車にあまり興味もなさそうだし、車をデートの道具に使おうなどということより、環境問題の方が重要と考えているようだ。新車の販売台数も伸び悩んでいるようだが、早晩、必要か否かの判断が鮮明になるのでは?

TVは、本当に必要だったのだろうかと思うほどに、その存在価値が薄れてきている。若者と話していると、TVを見ません、持ってませんという人もよくいる。まして地デジなどはまったくの必要性を感じない。若手芸人の時間つぶしにもならない無内容な番組をいくら綺麗な画面でみても意味がない。薄型液晶が売れているというが、あまり市場に踊らされないほうが賢明だ。

持ち家となると、持ちたい気もするが、先々のことを考えて、本当に必要か考えてしまう。持ち家がステイタスという時代も終わったように感じる。首都圏のマンション販売戸数は、減っているが、単に不況というだけではないように思うのだが~

百貨店。もう数年来行くこともめったにないし、買物もしない。無くても何も困らない。百貨店の売り上げは11年連続減少中だそうです。

新聞雑誌。ネットで情報が得られるので、毎日出る紙の量を考えるとがあまりにももったいない。発行部数は年々少しづつ減っているようだが、本当は、末端の読者はもっと減っているという話もよく聞く。

身の回りのものを色々吟味してみると、なくても困らないものがたくさんありそうだ。必要か否かを考えることで、生活はずっとシンプルになるだろう。

星埜洋
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テレビは広告・宣伝をのっける媒体

Posted by ななし on 18.2013 記事 0 comments 0 trackback
サイト上にて、マスコミについて解りやすく書いたHPを見つけたので、一部紹介したいと思います。


タイトル:「マスコミってなんだ? マスコミの正体とは」

>前略

では、「マスコミってなに?」という質問の正しい答えは、「広告・宣伝媒体」だということなんだワン。

 そう、業界ではメディアのことを「媒体(ばいたい)」って言っていて、テレビも「媒体」、ラジオも「媒体」、雑誌も「媒体」、新聞だって「媒体」ってわけ。そして、なんの「媒体」かというと、「広告・宣伝をのっけるための」媒体だということ。あっ、NHKだけは別ね。

 世の中にはたくさんの「売りたいモノ」がある。そして、それを売るためには「広告宣伝」が必要だというわけ。なら、その「広告宣伝をするための道具を作ってしまいましょう」ということで、そのためにテレビやラジオや雑誌が登場したというわけなのだワン。

~中略~

 そして、みんなはちょっとした娯楽の提供と引き替えに、大量の広告・宣伝を無理矢理見せられているわけだワン。当然、そこで伝えられている内容なんて、偏っていてウソばっかりなのはあたりまえ。広告主に都合が悪い内容は出さないし、広告主が喜ぶ内容をでっちあげられている。さらに、おもしろくないモノをおもしろく見せ、ないものをあるように見せる。なんたって、作ってる人が、いいかげんなやつらばっかりなんだから。でも、そんな嘘つきのテレビ君たちに文句を言うのはおかしい。だって、みんな「タダで」情報をもらったり、楽しませてもらってるんだよ。それこそムシのいい話でござるよ。

 テレビなんて、一応それらしくニュース番組なんてやっちゃって、まるで「僕たちは真実を伝える道具です」のようなフリをしてるけど、もちろん本音は「この広告を見て下さい。モノを買って下さい」なんだから。 そうそう、よくテレビに向かって「CMが多すぎる!」とかいって文句を言う人がいるけど、あれは、間違ってるんだワン。だって、テレビは「CMを見せるための道具」なんだからさ。たくさんCMが出れば出るほど、その本来の姿なんだもの。

 そもそも、マスコミが真実を追究したり、人のためになるようなことをする必要や義務なんて、まったくないのだワン。彼らは公務員じゃないんだから、商売でやってるんだから、人のためにつくすイワレなんて、これっポチもないのである。個人の会社がお金儲けの手段として、テレビやラジオや雑誌やら新聞やらという道具を使っているだけなんだもの。そんなところに、真実を期待する方がおかしいんだワン。もし、それがいやなら、みんなでお金を出し合うなり、税金を投入するなりして、公的な機関をつくってやってもらわなきゃダメなのでござるよ(ほんとはその役割がNHKなんだろうけどね)。

~後略~

引用:「ポチは見た。」



 民法放送におけるマスコミの正体や、テレビのそもそもの目的がわかりやすく記述されています。
 「マスコミ!事実を言え!」と言っている一般の人の意見も、この記述を読んだら、そもそもマスコミって事実を伝えるのが大義なのか?って疑問に思えてきます。マスコミの目的が市場拡大なのだから、彼らにとって事実なんてわざわざ追求する必要なんてない。事実追求の場はマスコミ以外のところにあるのだ。

桑村佳直
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マスコミ=「潜在期待」を捉えるのではなく、「潜在不安」ばかりを煽る存在

Posted by ななし on 16.2013 記事 0 comments 0 trackback
>世の中の潮流は、間違いなく私権圧力から共認圧力に転換しつつある。
しかし、マスコミはそれに乗じて、強力な否定の共認圧力を掛け、人々の共認形成の場を独占し、かつ、主活力源である期待と応望をも封鎖させている。

社会は、私権圧力から共認圧力へと大転換した。
人々の意識は、共認社会を求める「潜在期待」を内在する一方で、旧い制度と新しい意識の間に生じる様々な”ズレ”が生み出す「潜在不安」も孕んでいる。

新しい時代=共認社会を築いていくには、「潜在期待」を正確に捉え、旧い制度が生み出す様々な問題に対して答えを出していく必要がある。
しかし、マスコミの報道は、人々の「潜在期待」を捉えた内容ではなく、ひたすら人々の「潜在不安」を煽る内容ばかりとなっており、その「潜在不安」に対する答えは一切供給しない(できない)。

例えば、今や若者は私権=お金に執着せず、仕事も反応が得られるならフリーター・派遣でよいと考えている層は非常に多い。ここには、お金ではない活力源への転換と言う可能性を内在する一方で、社会保障上、将来的生計を成り立たせることはできるのか?と言う旧い制度の壁が生み出す「潜在不安」を孕むことになる。
マスコミの報道は、フリーター・派遣の可能性を捉え(将来的生計を成立させるには)社会制度をどう転換していけば良いかと言う、可能性発の追求型には決して向かわない。繰り返し報道されるのは「格差社会」の問題と、将来不安を煽る内容ばかり。
これでは、共認時代に向けた人々の潜在期待は封鎖されていくばかりで、潜在不安→社会不安が広がる一方である。その結果、秋葉原殺人事件に代表されるように、社会問題が次々と続発し、社会が閉塞していく。

私権圧力から共認圧力への大きなパラダイム転換の中、誰もが多かれ少なかれ「潜在不安」を抱え、現実の制度の壁との間で不安・不全を感じている。
それゆえ、その不安を煽るマスコミの報道に、文字通り無意識に反応してしまい、より不安を募らせることになる。

不安を煽るほどに人々は無意識に報道に反応する→下手な番組を制作するより視聴率が取れる。人々の潜在思念を捉え、そこに答えを供給する番組を制作していく方が間違いなく視聴率が取れるだろうが、自身が旧いパラダイムの中にどっぷりつかっているマスコミには決して出来やしない。
答えを出さず、不安を煽るマスコミは、社会閉塞の確信犯と言っていい。

これまでは、マスコミは「共認形成の場」を牛耳り、旧観念を撒き散らす存在と言う認識だったが、今回の秋葉原事件を通して、まさにマスコミが社会問題を生み出し、社会を益々閉塞させているのだと確信した。
彼らこそ、共認時代の可能性を開いていく上での最大の癌であり、敵である。マスコミ支配からの脱却→素人による事実認識のネットワークを広げ、彼らの存在基盤を根元から叩き潰していく必要がある!

西谷文宏
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圧力構造から見る「事実を報道しないマスメディア」

Posted by ななし on 14.2013 記事 0 comments 0 trackback
 マスメディアが事実を報道しない、出来ないとはもはや当たり前の事実になりつつあるが、今回はマスメディアの構造からなぜ事実を報道しないのか探ってみたい。
日隅一雄は「マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか」で、

①独立した機関の不在
②クロスオーナーシップ規制の不在
③広告1業種、1社制の不採用

が主要な原因であると述べている。この3点について、もう少し詳しく見てみよう。

①独立した機関の不在
 フランスやイタリア等海外メディアは、独立行政委員会という放送業を監理する第三者委員会が存在している。一方日本の放送業管轄は、郵政省である。しかも5年毎の免許更新の際には、社内の利益情報や人材情報等社外秘情報を国に提出する必要がある。このことは郵政省に弱点もさらけ出していることをあらわしている。到底事実など報道できるわけがない。

②クロスオーナーシップ規制の不在
 クロスオーナーシップという言葉をご存知だろうか?クロスオーナーシップとは、新聞社が放送業に資本参加するなど、特定資本が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼすことを言うが、海外ではメディアの独立性を担保する為に禁止されている事が一般的である。しかし、ここ日本では、周知の通り新聞とテレビは同一資本である。このことにより、各メディアの独立性が無くなり、政府、スポンサーの圧力が末端まで、しっかりと伝わっていくのである。これは「系列化」と呼ばれるが、これを断行したのが、かの有名な田中角栄である。

③広告1業種、1社制の不採用
 言わずもがな、電通という存在が一業種一社という原則を崩壊させている。電通という巨大広告会社は世界でも類を見ない。このような特異な企業が生まれた背景には、その業務形態にある。日本の広告業は媒体者(新聞、雑誌社)の代理としてスタートしているのである。一方、欧米は、広告主の代理としてスタートしている。媒体物の広告という事であれば、同じ業界でいくつの企業と契約してもなんら問題はないのである。この発祥の差が電通の様な特異企業を生んでしまった。

 この様にマスメディアには、様々な圧力がかかっているのである。そう捉えると「事実の報道」等と言うのは幻想であって、むしろ「事実を報道しない」という方が自然である。

 やはり「マスコミは事実を報道しない」のである。

参考:マスコミはなぜ「マスゴミ」と呼ばれるのか 日隅一雄著 
                        現代人文社

アリンコ 
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解脱箱たるテレビはその役目を終えた

Posted by ななし on 12.2013 記事 0 comments 0 trackback
>「肥留間正明の芸能斜め斬り フジは制作費5%カット テレビ局の大不況」

上記記事の続編のような記事がありましたので、抜粋を掲載します。
バラエティが腐らせたテレビ スポンサーはそっぽを向く芸能評論家の肥留間正明氏に聞く
J-CASTニュース(05月06日13時52分)

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テレビ局は制作せずピンハネ

――ネットでは、日本テレビ系のドラマ「ごくせん」第3シリーズが初回視聴率26.4%に達しただけで騒いでいます。そんなに、テレビが面白くなくなったのですか。

肥留間  面白いコンテンツがなくなって、テレビ離れが進んでいます。テレビを一番ダメにしたのが、バラエティ番組です。吉本興業が東京進出を果たし、さんまや紳助、今田が自分の番組を持つようになって、関西のお笑いが定着しました。その結果、吉本の影響をモロに受けている東京のテレビ局のバラエティ番組は、どう見ても、大阪でやっていた番組作りなんですね。大阪のバラエティ番組は、お金がないので、後ろで笑う観客と関西のお笑いタレントを集めて、番組を作っていました。つまり、お茶の間の井戸端会議版を東京に連れてきたということです。今バラエティ番組に出ているお笑いタレントは、芸人ではなくひな壇タレント。例えば、「行列のできる法律相談所」なんかがそうです。若い人に向けて番組を作っていますが、陳腐な光景でみな飽き飽きしてしまったんですよ。

――なぜ、そんな安請け合いのような番組作りになってしまったのですか。

肥留間  テレビ局の社員に番組を作るノウハウがなくなってしまったからですよ。例えば、5000万円で1時間ドラマを作るとすると、テレビ局が2000万円を抜いて下請けに出す。さらに下請けが2000万を抜いて、結局孫請けが残りの1000万で番組を作る。そんなピンハネで、いい番組ができますか。だから、関西テレビの捏造番組のような例が出てくるんですよ。傘下にトンネル会社や孫請けがある今の官僚システムと同じです。孫請け会社のスタッフが年収200万円では、靴下も買えない。「ユニクロ、そんないいもの着ているのか」とスタッフ間で話題になった、という話すらあります。

――それで、番組が面白くなくなって視聴率が下がると、スポンサーもつかなくなる。こういう悪循環になるんですね。

肥留間  スポンサーも楽ではないので、数字が出ないとつきません。昔はテレビ局にCMの依頼が多く、「もう入らないよ」と依頼を断っていました。今は、テレビ局の系列会社の社長自らが、スポンサーにお願い行脚をしています。時々、テレビで自局の番組の宣伝をしているCMを見ますが、これは番組のスポット広告が埋まらないからですよ。視聴率は、5年前までは20%が合格ラインだった。それが15%になり今や12%になってしまって、2ケタだったらいいというプロデューサーすらいます。ごくせんの26%というのは奇跡に近いんです。それで、ジャニーズタレントのような人気者を引っ張ってきて、安易な番組作りをやってしまう。ますます、テレビ局は芸能プロダクションや制作会社の言いなりになる。せめて面白いのは朝のワイドショーぐらいですが、それにしてもテリー伊藤やデーブ・スペクターといった金太郎飴のような同じコメンテーターばかりですよ。

スポンサーが強い芸能プロと組む

――落ち目のテレビ業界に対して、芸能界はどうなんでしょうか。

肥留間  原油産油国と同じで、テレビ局に対して、芸能プロダクションの力が相対的に強くなっています。キムタクのジャニーズや上戸彩のオスカープロモーションは、やはり影響力があります。ジャニーズタレントは、子どものころから踊りや歌を鍛えているので、歌や踊りは、ぽっと出のタレントよりよほどうまい。クオリティが高いのですよ。吉本学校では芸人を育てており、オスカーではモデルが集まっている、といったようにますますタレント供給源として力をつけています。昔は、テレビ局が新日鉄だとすると芸能プロとは町工場ぐらいの差があり、局側は、タレントを自由に選べました。しかし、今は、大家に比べて店子が強くなっています。映画配給会社のように、テレビ局は、コンテンツを流すだけの会社になってしまったんです。

――とすると、大企業などのスポンサーもそちらの方を向くようになりますね。

肥留間  実際、スポンサーが芸能プロや制作会社と組むケースも見られるようになっています。そこに直接お金を流すわけです。例えば、「水戸黄門」は、スポンサーが直接、制作会社とともに番組を作り、TBSが流しています。著作権は、制作会社が持っているようです。将来的にみれば、例えば、「ごくせん」といった人気番組は、制作会社や芸能プロがスポンサーと直接番組作りをすることも考えられます。当然、テレビ局には著作権がなくなり、制作会社や芸能プロが持つことになる。プロダクションは、携帯の待ち受け画面の著作権を持つことも考えられます。

――芸能界では、どんなメディアが強くなりますか。

肥留間  優秀なコンテンツを持っているところが強いということです。しっかりしたものは、財産として残るんですよ。映画だって、見る人は減っていないんですから。
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最早、お笑い(バラエティー番組)では視聴率は稼げない。かといって、健康志向やクイズ、雑学ブームに乗っかった番組作りも、どれも同じようなもので人々は飽き飽きしてきている。

>●権力による抑圧etcによる私権不全=共認不全は、親和充足(その極が涙と笑いである)と代償観念(規範観念や価値観念etcの感応観念)で、かなり解脱(解消)できる。
●社会不全や統合不全は観念不全であり、答え(=構造観念)によってしか、解脱(解消)できない。
注:私権不全=共認不全からの解脱は、貧困苦の時代は涙と笑いだったが、貧困の消滅した’70年代以降は笑いだけに収束した。
注:人間関係の軋轢は共認不全だが、そこから逃避した関係閉塞は統合不全なので、もはや笑いでは解脱(解消)できない。
注:統合不全の関係閉塞型は不全に強く囚われており、答え欠乏が強いが、答えがない(従って課題捨象もできない)という悪循環に陥る。

今後、いくら優秀なコンテンツを作ろうが、バラエティーの路線に可能性はない。
そもそも解脱箱たるテレビに統合不全、社会不全を解消する収束力はないのだ。

 
山上勝義
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快美性追求の果てには滅亡あるのみ、ということに気付くべき

Posted by ななし on 10.2013 記事 0 comments 0 trackback
>逆に云えば、人々が私権の強制圧力からの解脱手段としての快適で便利な快美生活を手放せないことが、何をするにもお金がかかる社会が出来上がった原因である(そしてそれこそ、人々が精神を破壊し、環境を破壊して止まない原因でもある)。<

 今テレビ等マスコミでは、「セレブ~特集」とか、グルメ番組なんかで超高級レストランなど取り上げることが多い。

 でも、これらの番組って、何の目的に流しているのだろうか。ただ、羨ましがらせるだけ?

 実際は、そんな生活に無縁の人達が大多数であるのにも関わらずである。
(このような報道が、若者のやる気を殺ぐことになり、通り魔殺人とか、自殺に向かわせているような気がする)

 そんな生活を、国民全体ができてしまうような世の中になってしまえば、地球上のどこかの国が目茶目茶になってしまう。現に中国の経済成長によって、環境破壊はものすごいことになっているし、最下層の人々は肉体を破壊してまで、飢えをしのいでいる状態だ。

 そうであるのに、快美性を求めることが絶対の価値であるように国民を煽りつづけるマスコミ、ひいては国家。いいかげんにしてほしい。この先には、滅亡あるのみである。みんなも気付くべきだ。

ハリケーンミキサー 
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思考停止してしまってはもったいない!

Posted by ななし on 08.2013 記事 0 comments 0 trackback
子供の頃に親がテレビのニュースや社会問題などを扱った特番を見ていると、「だから駄目なんだ」とかいう否定的な事を言っていた思い出があります。私はそれを見ていて、嫌だなとか否定ばっかりしてもしょうがないじゃんって思っていた覚えがあります。

だからか、そういう内容のテレビを見ても、面白くない、無駄に疲れる、しょうがない。って思いが強くて避けがちでした。


>しかも、現実に背を向けたその狂った観念が、人々の頭の中を支配してしまっている。その結果、人々が何か物を考えようとしても、その観念を足がかりにするしかないので、考えれば考えるほど狂った観念世界に嵌まり込んでゆき、まともに物を考えることが出来なくなる。だからまともな人々は、むしろそんな観念など見向きもしなくなり、物を考えることまで止めて終った。全般的な思考停止である。


>しかも、その旧観念は、新しい可能性の出口を塞ぎ、人々の活力を奪い取ってゆく。従って、知識人が撒き散らす旧観念こそ、この社会を全面閉塞させた真犯人なのである。


成る程、思考停止してたし、その結果閉塞させてしまっていたんだなと思った。

でもそれでは、世の中での問題は全然分からない。知れない。本当に必要な事は世の中の事をまず知らなきゃなんにも始まらない。それはもったいないなと思った。


マスコミからだとなかなか物事の本質は分からない、掴めない。皆で物事の本質はなんだろ?って現実直視をした方が凄く自然だし、活力出るなと思いました。

りょくちゃ 
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テレビ離れは私的共認関係が閉塞していく状況と似ている。

Posted by ななし on 06.2013 記事 0 comments 0 trackback
人々の意識は、私的不全発から社会不全発に軸足が大きく転換している中、前時代的な私的共認関係は、社会とい.う対象を捨象している点において、生産性が無く活力を奪うコミュニケーション形態と認識され、閉塞しつつあるのではないでしょうか。

そういった潮流の中でテレビという存在を見てみると、

・そもそも、バラバラに解体された個人の私的不全の代償充足装置という役割で拡大してきたこと。

・一見公正な立場を装っているが、スポンサーの意向しかり、司会者の主観的価値観の一方的な発信媒体であること。

・ある断片的な事象で私的不全や不安を煽り、思考を停止させること。

・旧観念を疑わず、価値化することで自我を正当化すること。

等の点で、現在のテレビとは社会不全に対して可能性を見出そうとする人々にとっては、最も違和感のあるコミュニケーション形態(私的共認関係と同根)として認識されつつあるのではないでしょうか。

匿名希望
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テレビ局の大不況、番組スポンサーがつかなくなっている!!

Posted by ななし on 04.2013 記事 0 comments 0 trackback
テレビ局は今、スポンサー探しに奔走中とのこと。
これは、人々のテレビ離れ、テレビ以外のメディアへ移行してきたということが顕著になってテレビ局を締め付けている実態なのではないでしょうか。
「肥留間正明の芸能斜め斬り フジは制作費5%カット テレビ局の大不況」
(リンク)から

「スポンサーが集まらないのですよ」
 某局プロデューサーに会うたびに聞こえてくるのが、この言葉だ。番組スポンサーがつかなくなっているらしい。

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 「昔はいくらでもスポンサーはいた。だが大手スポンサーがどんどん離れてテレビにそっぽを向いている。テレビ局の将来は暗いですね」と話すのは民放幹部だ。
 この幹部は連日スポンサー周りが日課。今や重役自らスポンサーに出向いて広告の出稿のお願いに当たっている。バブル期では考えられない現象だ。
 この原因は、番組視聴率低下にある。20%を越える番組はいまや数えるほどだ。かつては30%を越える番組も少なくなかったが、今ではこんな数字は不可能に近い。現在の視聴率の合格ラインは12%。中には「2ケタでいい」という番組プロデューサーさえいる。考えてみればこの5年前までは「20%」が合格ラインだった。それが18%に下がり、さらに15%に低下、そして今では2ケタ…。
 その原因は番組の質の低下に尽きる。どの番組を見ても同じ顔ぶれのお笑いタレントが並び、いまやテレビは小学生、中学生が見る媒体に転落。高校、大学以上の「若者」はすでにテレビを見捨てている。こんなテレビに不況が深刻な企業が億というスポンサー料を支払うわけがないのだ。その若者たちはネットに流れて、ますますテレビ離れが加速している。
 現実はさらに深刻だ。時々テレビを見ていると、自局の番組の宣伝をしている広告を見る。これは番組にスポット広告が入らないために仕方なく番組スポットで時間を埋めているというわけだ。
 また最近は局アナが番組の司会進行をする番組が多くなった。これはタレントを使えばギャラがかかるが局アナならばギャラはいらないから。そして今検討されているのは大物キャスターの首切りとか。
 そんな状況だから、フジテレビでは番組制作費一律5%カットが実行されているらしい。タクシーは乗り放題だったが、いまでは原則地下鉄の利用。さらにタクシーを局に呼ぶのは全面禁止になり、流しのタクシーに乗るようになった。
 制作会社の残業はなくなり、決められた時間内で番組制作を求められている。そして番組制作は下請けから孫受け受注がさらに拡大している。関西テレビの捏造問題は生かされず、下請けの制作会社への締め付けと負担はますます激しくなっている。下請け会社のスタッフの年収200万円はざら。フジテレビ社員の年収は40歳平均で1400万円といわれるように、格差はますま拡大している。
 これではまともな番組ができるはずがない。スポンサー離れは自業自得だろう。

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これを見ると、ネットの進出→視聴率の低下→スポンサー離れ→質の悪い番組→捏造等々で視聴者失墜→ますますテレビ離れ、スポンサー離れ。

一時期は、テレビはいいたいことばかり流してきたが、もはやそれでは、視聴者、つまり一般大衆には通用しなくなった。
そして、スポンサーに見放され、番組の質はますます低下、そしてますます大衆からは見放されるという悪循環が繰り返している状況だ。

これはテレビを失墜させる機会でもあり、多くの人をひきつけるものがあれば収束する機会になるのではないでしょうか。

夢想仙楽Ж 
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解脱箱(テレビ)の終焉

Posted by ななし on 02.2013 記事 0 comments 0 trackback
先日高校三年生♂と話す機会があったのですが、テレビやマスコミに対する実感を話してくれたので紹介します。

彼曰く、
「TVはもう面白くないですね。あきました。少し前は知識系の番組とか見てましたけど、最近はさほど新しい認識もないし、今唯一見るのはニュース番組くらいですけど、その報道もなんか偏っていて、あんまり見なくなってきました。今はネットの方が面白いですね。一つのニュース見ても、直にその事象をいろいろ調べられるし、その出来事の前後関係とか、背景を、ネットで調べていくと、いろんな人の考えに触れられる。世の中には深く掘り下げて考えている人とかいて、そういう人とも出会えますしね。ネットって、いろいろ追求できて、知る事が出来るので面白いです。」

と、かつて解脱箱であったテレビに対して、今の高校生の実感を語ってくれました。
市場では大型液晶テレビの需要が上がってきているようですが、それはむしろ中高年の需要であって、若い世代はむしろテレビ離れしていっているのかも知れません。

一方通行の受信ではつまらない、もっと深く知りたい!

若い世代の社会に対する探索意識を、彼の言葉から強く感じました。

 
マニマック 
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