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テレビのコンテンツが全く価値が無い事を数字が示している

Posted by ななし on 30.2013 記事 0 comments 0 trackback
毎日のように刺激と消費欲求を与え続ける事だけを目的に作られたテレビメディアの映像コンテンツは、目先だけを捉える媒体に劣化しており、全く世の中の役に立っていない。そんな実態が、以下のような二次利用率にも顕著に表れている。

小寺信良:正直、テレビはもうダメかもしれん

> 日本の映像産業は、テレビへの依存度、正確には地上波放送への依存度が高い。総務省の調査によれば、国内で制作される映像コンテンツのうち、時間にして約92%が放送によって消費されている。

 ところがこのうち、DVDやネットなどで二次利用されるのは、わずか8%にしか過ぎない。多くの番組が、一次流通である放送で終わってしまっているわけである。ここまで二次利用が進まないのは、権利処理が複雑だから、という意見がある。

~~~~~~~~引用終り~~~~~~~~~

二次利用が進まない理由は、権利うんぬん以前に金を払ってまで見る価値が無い、という事のほうが実感に近いのではないだろうか。

収束不全の世の中、先行きの不安を煽るだけ煽って消費欲求を掻き立てようとした所で、そんなゴマカシはもう通用しない。若者のテレビ離れは、明確にゴマカシ不要の断を下した、と私は見ている。

目先のゴマカシや現実逃避の刺激ではなく、本当に使える『答え』や『判断軸』こそが今求められている中身であり、それを導く構造理論は、幾度と無く目を通され、大勢に揉まれながら、着々と進化を遂げてきている。

例えば、下記投稿一覧などがその好例と言えるだろう。
「社会板 必読投稿一覧」

数々の環境問題や社会問題を考える上で、まず無駄を省こうと考えるならば、価値の無いコンテンツに莫大な費用を垂れ流し、瞬時に消費して終わるテレビこそ、無駄中の無駄と言えるだろう。

社会や環境を守るためにも、無駄な媒体(商品)はとことん圧縮する。
一方で、みなが当事者(参加+受発信+評価)として考える事の出来る共認形成の場にこそ、積極的にお金を掛けていく。本当に必要な媒体は、そのように自分達で創って行くのが最善の答えと言えそうだ。

 
川井孝浩
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解脱と共認を一つの箱から垂れ流すことで支配を強めたテレビとマスコミ

Posted by ななし on 28.2013 記事 0 comments 0 trackback
貧困の圧力が高かった時代、解消先としての解脱は、一定必要であっただろう。
テレビ登場前までの、解脱欠乏を満たすための解脱といえば、代表的なものとしては、演劇や映画が思い浮かぶ。観客としてではあったが、同時に多くの人と、同じ空間を共有し、他の観客の笑いや涙等の息遣いを感じられ、解脱充足を高める場でもあった。

一方、共認欠乏は、「どうなっている?みんなどうしている?」といった、状況・情報の把握へと向かう。テレビ登場以前は、新聞やラジオがその役割を担っていたといえるだろう。そこでは、活字や音声のみといった、テレビ時代の今から考えれば、制約のある中での情報であり、逆に言えば、受け取る方にも、想像力を働かせ、考える余地が残っていた。

そこに、テレビの登場である。テレビのすごい所は、一つの箱の中で、解脱と共認、両方の充足が、ドラマやニュース等、様々な放映番組として、居ながらに得られる事である。

登場当初こそ、街角やせいぜいお茶の間に1台程度であり、近所で集まってや、家族の団欒として、共有できる空間を作り出していたが、普及と共に一家に一台から一室で一台、個人で一台にまでになっている。
最近では、さらに、ワンセグとして、携帯電話での視聴を始め、どこでも持ち運べ見れることを売りに宣伝され、一部でもてはやされている。
個人への普及・浸透という点では、もはや行き着くところまで、いった感さえある。

このテレビの登場・普及に伴い、解脱と共認の両方を一手に牛耳ることが可能になったマスコミの影響力と支配力が強大化したのは、ある意味、当然ともいえる。
(お笑い芸人等を起用し、事実収束の流れにのったクイズ番組やドキュメンタリー番組等のバラエティー番組は、解脱と共認の両方をミックスした、ある意味、巧妙な番組といえるかもしれない)

しかし、社会閉塞が深まる現代においては、支配観念に染まったマスコミが作り出すものでは、答えにならないばかりで、ますます閉塞感は増すばかり。

いくらテレビを携帯化し視聴させる機会を増やそうとしても、また番組を巧妙化させようとしても、もはや、答えの出せないマスコミとテレビは、早々、見捨てられ、見向きもされなくなるだろう。

匿名希望
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今や、「テレビの視聴率」≒「団塊世代の洗脳率」

Posted by ななし on 26.2013 記事 0 comments 0 trackback
参考データを引用させて頂きます。

●テレビ局別視聴率の年度推移グラフより

1963~2006年までの、NHK、日テレ、TBS、フジ、テレ朝の視聴率の変遷と、その平均値がグラフ化されています。

>グラフで見ると、1993年の8.9%がピークに年々下落しているのがわかります。

もう一つ気になるのが、各局の平均視聴率が概ね 8~9% の間で一定の値となっています。全体では、5局×8~9% ≒ 40~45%にもなる計算です。平均視聴率の高い数値に疑問が湧いてきます。何か、オカシイ?!

●世代別のテレビ視聴時間と推移(2003~2005年の3年間)

このグラフを見ると、50才以上の男女が視聴率を支えていることが分かります(週間、5~6時間)。各世代とも女性の方が視聴時間が長いのは頷けますが、それにしても、50才以上男性の視聴時間が長いのは驚きです。テレビという代償解脱様式から脱却できていないのが、この層です。

以上のデータから、
★もはやテレビの視聴率は、テレビに洗脳された高世代(≒団塊世代)が支えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
●その他、テレビに関する直近の変化

○CM収入の減少 

>在京民放キー5局の2007年9月中間決算が出揃い、そろって営業減益だった。CM収入の減少が響いたものだ。ただ、CMの本数自体は増加しているのだという。なぜだろう。
→ 「(企業は)買い叩いた分をインターネット広告に回す」

★企業も費用対効果を考えて、テレビ離れが加速中。

○日本の午後からワイドショーが消えた  
>ここんところ、昼下がりのテレビ番組といえばドラマの再放送ばかりである。

>ワイドショーのような、昭和の主婦の欲望をきちんと満たしてくれた番組は、時代の流れから消えていってしまって、もうちょっときれいに仕上げられたニュースショーになって残ってる。

★視聴率を支えてきた、50代女性もワイドショー離れ。中身の無い過剰な刺激にウンザリし、相次ぐ捏造報道に対し反感を抱き始めていると思われる。そこで、テレビは必死に視聴率を維持しようと昔流行ったドラマの再放送でお茶を濁す。

★テレビ離れ→CM収入の減少→制作費削減→手抜きのドラマ再放送
→テレビ離れを加速、という悪循環。

★洗脳も次から次へと目新しいモノが出てくるから効果があるのであって、再放送では新鮮味が全く無い。もはや、テレビは終わった。

橋口健一
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解脱欠乏と共認欠乏がテレビに収束することでマスコミ支配が実現された

Posted by ななし on 24.2013 記事 0 comments 0 trackback
>でも、実際はそれだけではない。人々が共認動物である以上、充たされない“解脱”をそのままにしておくことはできない。その解脱欠乏を充たす為、バラバラになった個人もマスコミが流す解脱情報に飛びついたのだ。ある意味、お互いがお互いを利用し、納得の関係であった。

もう少し整理するならば、バラバラの解脱共認欠乏のうち、解脱欠乏は娯楽作品等に収束した。こちらは、私権不全あるいは社会不全による代償充足的色合いが強い。
しかし、一方では共認欠乏により、「新たな共認形成の場」に収束したともいえる(etc番組を見ていないと会話ができない)。
前者は私権時代から一貫して存在したが、重要なのは70年貧困の消滅により、序列原理から共認原理(マスコミは第一権力へ)へ移ったこと、そして私権に変わる答えがなかった(必然的に支配観念を流布)ことが加えられる。

この2軸の可能性収束が以下を実現させたのだと思う。
>●しかし、マスコミが一方通行(統合階級の染脳機関)という形であれ、バラバラに分解された解脱個体を収束させた全く新しい社会的な共認形成の場(正しくは共認支配の場)を作り上げた事は、注目すべきである。

大衆が(受動的な評価主体として)収束し続ける以上、ますます支配観念に染脳されてゆくし、微々たる代償充足となりうる以上、マスコミの共認支配は磐石となる。

かなめんた 
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テレビ歴代視聴率

Posted by ななし on 22.2013 記事 0 comments 0 trackback
順位  番組名                放送日 平均視聴率%
 1  第14回NHK紅白歌合戦(モノクロ放送最後の回)  1963年 81.4
 2  東京オリンピック大会             1964年 66.8
 3  2002FIFAワールドカップ            2002年 66.1
 4  プロレス(WWA世界選手権・デストロイヤー×力道山) 1963年 64
 5  世界バンタム級タイトルマッチ(ファイティング原田)     1966年 63.7
 6  おしん(NHK)               1983年 62.9
 7  ワールドカップサッカーフランス大会          1998年 60.9
 8  世界バンタム級タイトルマッチ(ファイティング原田)     1965年 60.4
 9  ついに帰らなかった吉展ちゃん(NHK)    1965年 59
 10  第20回オリンピックミュンヘン大会          1972年 58.7
 11  ゆく年くる年(司会:坂本九)        1963年 57.4
 12  世界バンタム級タイトルマッチ(ファイティング原田)     1967年 57
 13  旅路(NHK)                1968年 56.9
 14  ザ・ビートルズ日本公演           1966年 56.5
 15  おはなはん(NHK)             1966年 56.4
 16  ありがとう(TBS)             1972年 56.3
 17  あしたこそ(NHK)             1969年 55.5
 18  ボリショイサーカス中継              1963年 55.3
 19  澪つくし・最終回(NHK)          1985年 55.3
 20  繭子ひとり(NHK)             1972年 55.2
リンク

 上位はほぼ、60年代で占められていて、そのほとんどが、連続テレビ小説とスポーツとなっています。
 これだけ見ても、90年以降はワールドカップ以外はほとんど見られていないことがわかります。まぁ、このワールドカップ祭りもマスコミ自身の煽動も少なからず入っているのではないかと思うのですが・・・
 テレビにはもはや、人々の目を引きつける力はないのでしょう。
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人々が幻想刺激(テレビ)を捨て、観念体系(≒知の結晶物、鑑、経典)に収束する基盤は、【現実、実物収束】の潮流にあるのでは?

Posted by ななし on 20.2013 記事 0 comments 0 trackback
>次代に必要とされる観念体系(≒知の結晶物、鑑、教典)は、「事実認識の体系=生物史を含む歴史認識体系」である。<

現状、観念収束の主たる敵対物、競合物である映像刺激、幻想刺激(テレビなど)は、視聴率を低下させてきてはいる。
しかし、改めて、それはなぜなのか。人々の収束不全に対して全く答えを出せないからと、これまでは考えてきた。しかし、もっと別の力が働いているのではないか?まだ、掴んでいない実現基盤(テレビ衰退の根拠)があるのでは?

>実は『実物収束』によって大きく包括されているという事が最近分かった。 具体に言うと、映画を見ると感情移入して見入る旧い世代に対し、客観的に非現実と捉えながらその背後等に肉薄して見る若者達。そういった若者達は、同じ金額を払うなら非現実の映画より、友人と食事をして会話を楽しむといった実物を選ぶというのである。<

かつて、映画にしろ、テレビにしろ、映像刺激、幻想刺激への収束が成立した根拠は、共同体の解体→解脱基盤の喪失にあった。しかし、現実の仲間関係→共認充足に収束する若者は、最早たいして幻想刺激(代償物)を求めてはいない。

'70共認原理へ転換し、'90~仲間収束、規範収束、そして今や人々は現実課題収束している。これは幻想刺激から離脱し、現実の中に充足基盤を求める『現実、実物収束』の潮流である。そして、開かれた現実に向かっていく以上、現実を真正面から対象化した観念体系が求めらるのは当然だ。

この【現実、実物収束】の潮流こそが、テレビ(幻想刺激)を無用のものとし、観念体系(≒知の結晶物、鑑、教典)への収束を生み出していくのではないか。

山田真寛
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テレビ君、演説ではなく、庶民との対話を放送せよ

Posted by ななし on 18.2013 記事 0 comments 0 trackback
政治を扱うTV番組も増えてきたが、所詮、ネタにして茶化して誤魔化して終わるだけ。

誰も、政治家や評論家などの「演説」を聞いても面白くない。

しかし、
政治家と庶民の本音の「対話」を見せれば面白いのではないか。
映像は、表情という嘘のつけないものを流すのだから。
それで政治家の本音を暴けば面白い。ついでにテレビの本音もね。。

だが、決してテレビにはそんなことは出来ない。
放送権という政治的圧力、スポンサーの圧力がある限り。

せいぜい、本音の対話風の演出をするのが関の山だ。


「庶民タックル」らんきーブログリンクより
>>
政治番組見ててよく思うんですが、実際に年金や様々な格差問題で苦労している方々を、観客席におき、その目の前で喋る公開討論をして欲しいもんですねー。
いや、その観客さん達は何も喋らなくっていいんです。 そこにいるだけでいいんです。

実際に困っている人たちを目の前にして同じように偉そうに喋るのなら立派です。
そしてTV局側は、画面を二分割にして、政治家と観客を映像に流す。
その光景見て、笑える人はある意味スゴイでしょうね。 またそれが公正中立では?
格差を語るなら、目の前にいる人相手に語った方が見ている方はよくわかるのでは? 
つまらない番組なんだからそれくらいわかりやすくして欲しいもんだと思いますね。
金持ちが、上から目線で格差問題を語ってもろくなもんは無い。いい見本です。
先が見えなく、不安だらけの庶民を笑えるような政治バラエティは犯罪でしょ。
庶民をタックルしてどうする! 最早、笑えないところまで日本は来てるというのに。

TV局のスタジオに、格差や今の政治結果で苦しんでいる、大勢の一般庶民を、それも交通費と弁当代もしっかりと払って来て頂き、観客として呼び、その前で政治を語ってみたらいいのだ。一般庶民はただそこにいるだけでいい。 物言わぬ庶民の姿を映すだけでいい。
どれだけ薄っぺらな事を政治家が言っているかよくわかるだろう。
あるいは半分は、格差社会で、「自称勝ち組」にいる人らも一緒にいてもいいでしょうね。
ただ、そういった光景を黙ってただ流すだけ・・・。 それがTVの本来の力なのだと思う。
少なくとも政治家の発言は少しは変わるでしょうね それとも皆、黙ってしまうか。(笑)


疾風怒濤
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マスコミには、もう力も可能性もない

Posted by ななし on 16.2013 記事 0 comments 0 trackback
マスコミが作り上げてきた共認支配の場は、私権観念が生きていたからこそ成立していた。

 私権観念が崩壊した’02年以降は、マスコミが支配観念を一方的に発信して大衆を染脳しようとしても、心底では違和感→不全を感じ、そのまま染まることはない。それどころか、マスコミが支配観念を撒き散らせば撒き散らすほど、大衆の統合不全が強まってゆく。

 かといって、“新しい価値を生み出す力を、全的に喪失した”支配観念しか知らないので、大衆は自分たちで考えようとしても、考えることができない。

 まさに、マスコミも大衆も、行き詰まっている。

 その閉塞状況からの脱出口は、やはり新しい観念で考えることしかない。発信するだけで一方通行のマスコミにはそれはできないが、自ら受信も発信もできる素人には、それができる。人々が、バラバラの解脱個体から、認識を求めて集ってつながってゆく流れも、年々強まっている。

 今後耳キラは、マスコミに対する失望感(→共認支配の場の衰弱)と、素人の発信・受信に対する期待感(→新しい共認形成の場の拡がり)が、個人レベルから集団レベルへと、これまで以上に大きくなってゆく年になるのではないだろうか。

みに とまと 
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テレビは社会的公害である

Posted by ななし on 14.2013 記事 0 comments 0 trackback
>そして、このマスコミ不信の顕在化と、それに変わる媒体の実質的な活用こそが、2008年の可能性だと感じている。

最近、たまたま時計代わりに朝8時から9時の間の報道TV番組を連続して見る機会があって感じた事である。
猟奇殺人、不倫、横領、万引きの繰り返しである。○○が殺された、××が横領した、万引きの手口は・・・。本当にこれらのニュース一色なのだ。ずらりと並んだコメンテーターがそれらの報道にあいずちを打ち、犯罪を嘆き、社会を憂う。なんでこれから仕事という一日の始まりのこの時間帯にこれほどひどいニュースを固めて報道しなければいけないのか?
また電話で視聴者と簡単なクイズをして商品を出すコーナーでは毎日、毎日その人の不幸な体験や不倫、離婚経験を司会者が茶化しながら話をさせる。これもさわやかなはずの朝にである。

最初はひどい番組やなー等と思っていたが、最後の方はあまりに気持ち悪くなってTVを消す事にした。要するに悪意を公共電波を通じて流しているのである。視聴率が10%としても実に1000万人が毎日、犯罪情報を耳にし吸収している。すでにTVはモラルも善悪を超えて単に刺激だけを売り物にし始めた。

昔はTVを見すぎると頭が悪くなると言われたが、最近のTVは頭だけでなく心まで悪くなる。いじめの報道が繰り返されて逆にイジメが増えたという事態は記憶に新しい。犯罪や自殺してもしかりである。TV報道が社会不安を再生産し、事件として消費している。

これは立派な社会的公害である。見たくない人は単に見ないだけでは許されない。今やTVは裁かれるべきである。

 
田野健
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マスコミ・広告業界 仕事に「やりがい」  45.5%があてはまらない・・ 

Posted by ななし on 12.2013 記事 0 comments 0 trackback
最近、民間調査会社が「仕事の意識調査に関するアンケート」
の調査結果をWEB上で公開していているのを見た。


調査概要
調査方法:インターネットリサーチ調査対象:全国の会社
(自営を除く法人組織)
で働いている男女調査時期:2007年10月12日~2007年10月16日
有効回答数:2,077件
▽ 回答者分布
  [性別]  男性 64.3%  女性 35.7%
  [年代]  「10代」0.1% 「20代」14.6% 「30代」45.7% 
  「40代」29.0% 「50代」9.1% 「60代以上」1.5%
調査項目:
1.当社の社員であることに“誇り”を感じている
2.目標に向かって組織が一丸となっている
3.普段の仕事において、“やりがい”を感じている
4.会社を“やめたい”と思うことがある

===================================================================
大変興味深いのは数多くの業界の中での「マスコミ・広告・出版・印刷系(N=55)」業界の解答結果

1.当社の社員であることに“誇り”を感じている
「あまりあてはまらない」+「全くあてはまらない」
:68.7%(ワースト1位)

2.目標に向かって組織が一丸となっている
「そうおもわない」+「全くそう思わない」
:58.2%(ワースト1位)

3.普段の仕事において、“やりがい”を感じている
「あまりあてはまらない」+「全くあてはまらない」
:45.5%(ワースト1位)

4.会社を“やめたい”と思うことがある
「当てはまる」+「やや当てはまる」:60%(2位)
===================================================================
以上引用

あらゆる業種の中でこのアンケート結果は最悪である。

仕事といいながら事実に反する、世の為にならない旧い観念を撒きちら
していることは潜在思念レベルでは感じている人々が多いからこその結
果ではないだろうか

コミキ 
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テレビVSインターネット?!既に勝敗はついていた!

Posted by ななし on 10.2013 記事 0 comments 0 trackback
mixi、2chやるいネットなどインターネット上の演場空間。
これらのサイトは、「必要か否か」という判断の土俵の上で「必要」とされたもの。現在、人数を集められるか?評価されるか?(=お金を払ってもらえるか?)という共認闘争の真っ最中ということ!

一方、一方的な発信を繰り返すテレビや新聞は「否」と判断されたもの。視聴率低下や発行部数低迷の事実からも明らか。つまり、現実の場として結実することはない古いモノで、現在繰り広げられている共認闘争の場に参戦すら出来ていなかったのだ!

テレビVSインターネット?!と思っていたけれど、「必要か否か」という判断の土俵にのった時点で、既に勝敗はついていた!

中瀬由貴 
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現実の映像(+音声による説明等)で現実を伝えられないテレビと、現実を知りたくなる自然の映像及びインターネット

Posted by ななし on 08.2013 記事 0 comments 0 trackback
高校生との会話の流れでテレビとインターネットについての部分がありましたのでご報告します。

>「テレビはあまり見たくありません。」

「どうして?」

>「本当の人間が出てきてうそや社会不安を言うからです。」

「すべてのテレビを見たくないの?」

>「アニメと無言で流れる自然の映像とかは見ます。」

「どうして?」

>「アニメはそれは本当の人間ではないということがはっきり分かりますし、本当のフリをしたウソは言わないからです。自然の映像は説明は要りませんよね。」

「そうだね。」

>「パソコン(インターネットを含む)についてはこのように思います。リアル(現実)を超えるリアリズムはパソコンにはありませんが、インターネットやゲーム等を通じて得られるいろいろな情報、ソフト、創作、コミュニケーションを知れば知るほどパソコンの向こう側に人がいる、人が関わっているという現実が分かり、現実を現実に見ても見られないような、本当はこう考えているのだという部分が分かり、逆に現実をもっとよく理解しようという意欲が出てきます。」

「なるほど、先生もそう思うよ。」

佐藤英幸
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テレビ利用者3割超減 その理由は?

Posted by ななし on 06.2013 記事 0 comments 0 trackback
『テレビ利用者3割超減 その理由は?』リンクより転載します。
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ブロードバンドの普及で、テレビ離れが加速する――。そんな構図が出版社インプレスが発表した「インターネット白書2007」で改めて浮き彫りになった。ネットを利用する時間が長くなり、動画を検索して楽しむスタイルも定着し始めている。(アサヒ・コム編集部)

ネットのブロードバンド化で視聴時間が減ったとみられるテレビ。将来はネットとの融合も進む?

この白書は、財団法人インターネット協会が監修し、インプレスが毎年発表している。インターネットで4月にアンケートをおこない、5728の有効回答を得た。

それによると、インターネットの利用でテレビの視聴時間が減ったと答えた人は36.9%と、メディアの中で減少率が最も大きかった。雑誌は29.1%、新聞は24.3%だった。

ADSLや光ケーブルなどの高速回線によるブロードバンドの普及率は50.9%で、調査開始以来、初めて5割を超えた。家庭からの利用者数は4627万人だという。

白書の調査担当者は、

「テレビ離れは、ネットのブロードバンド化の普及と関連している」と指摘する。ブロードバンドが普及する前の02年には、テレビの視聴が減ったと答えた人は22.3%だったが、04年41.2%、05年38.9%、06年41.3%と、高くなる。ADSLが普及し、光回線が出てきた時期と符合する。

ネットの1日の利用時間についてきくと、全体で最も多いのは、1時間~3時間未満で、38.3%。20~40代の男性では、約半数が1日3時間以上ネットを利用している。

また、テレビとネットの利用時間を比べると、1~3時間未満は、ネット38.3%、テレビ46.2%と、テレビが優勢だが、3~5時間未満では、ネット23.2%、テレビ18.6%と逆転する。

ブロードバンドの普及で動画投稿サイトなどの利用者は増加の一途だ。

動画投稿サイトの認知度は72.8%に上り、利用している人は18.7%だった。若者を中心に10代の男性が4割、女性の2割が利用。ただ、利用者の92%は閲覧のみで、投稿者は8%にとどまっている。

この分野ではユーチューブ(You Tube)の認知度が際だっており、利用者の93.3%を占め、家庭からのアクセスが1135万人に達した。前年の調査に比べ約5.3倍だ。

調査担当者はユーチューブなどを使って映像を検索して見るというオンデンマンド化が進んでいる。通信事業者による映像の配信や、SNSなどの動画コミュニティーが増えたりすれば、テレビ離れはもっと進む可能性がある」と話している。
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この記事から、アンケートの結果については大いに参考になるかと思います。しかし、「テレビ利用者減の理由」については、情報インフラ面の分析にのみ終始しており、大衆の意識を対象にしていない分、答えとして満足されていません。

大衆の意識が、「マスコミ不信」「事実収束」「双方向型発信反応充足」に向かっていることこそ、テレビ離れ⇒ネットの最たる要因かと思われます。

 
猛獣王S
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「本源風の規範観念」時流に乗って部数を伸ばした【少年ジャンプ】

Posted by ななし on 04.2013 記事 0 comments 0 trackback
『激動のジャンプ年表』リンク
というサイトを見つけました。

 ジャンプは90年代に急速に部数を伸ばしています。他の雑誌(マガジン、サンデー)からの後発の為に採用した苦肉の策といわれる新人漫画家を中心とした専属制度、徹底した読者アンケート重視(不人気作品は10週ほどで打ち切り)が躍進の秘訣とされているようですが、他にも大きな理由としてジャンプの3つのキーワード「友情」「努力」「勝利」が90年代の本源風の規範観念に完全に合致した結果と言えそうです。

>’90年代、バブルの崩壊で私権の衰弱が顕在化する。私権観念の土台がグラグラになって社会捨象・観念捨象の防波堤が崩れ出し、急速に潜在的な社会不全→外向欠乏が強まっていく。

>但し、私権制度が残存しているので本源収束し切れずに表層化し、「明るく」「前向きに」「皆仲良く」etc本源風の規範観念に収束した。

この頃の「ジャンプ」の内容を見てみると…

■1985年  405万部  
『ドラゴンボール』(鳥山明)連載開始。『奇面組』アニメ化。北斗の拳暴力描写が問題に。

■1986年  435万部
『ドラゴンボール』『銀牙』『聖闘士星矢』アニメ化。このころからバトルものの作品が台頭するようになる。定価180円に。

■1987年  450万部
『ジョジョの奇妙な冒険』(荒木飛呂彦)連載開始。『オレンジロード』『シティハンター』がアニメ化される。『キン肉マン』連載終了。聖闘士星矢が爆発的ヒット作品になる。フィギュア・カードが売れまくる。

■1989年  500万部
ドラゴンボール絶好調に。ドラクエ漫画『ダイの大冒険』(三条睦・稲田浩司)連載開始。富樫義博も登場。
このころから小説・ビデオ・ゲームなどジャンプのマルチメディアに力をいれていくようになる。

■1990年  530万部
 後の超大ヒット作『スラムダンク』(井上雄彦)『幽遊白書』(富樫義博)の連載がスタートする。『電影少女』(桂正和)、『タルる~ト君』(江川達也)がヒットしはじめる。このころからかつての看板作品、大御所作家が次々と入れ替わる。大躍進の起爆剤となる。定価190円に。

■1991年  620万部
『電影少女』が実写映画化、『ドラゴンクエスト』がアニメ化。この年、日本GPが開催されたこともありマクラーレンホンダのスポンサーになるなどF1に力がはいっている。ついに600万部の大台に乗る。

■1992年  622万部
『幽遊白書』アニメ化、『スラムダンク』のヒット、バスケブームに火がつく。このふたつと『ドラゴンボール』『ドラゴンクエスト』で大いに盛り上がった。この4本はジャンプの屋台骨と呼ばれ、ジャンプ人気を揺るぎないものにしていたと見られる。

■1995 年 653万部
 25号でジャンプの看板作品『ドラゴンボール』連載終了。ジャンプ終焉の予感が漂う。そしてこの年がジャンプの絶頂期となる。編集長が根岸忠氏に代る。

■1996年 500万部
27号で『スラムダンク』連載終了。ここでジャンプの栄光の歴史に完全に終止符が打たれる。
『マキバオー』『ぬ~べ~』『こち亀』アニメ化。
だがもうこのころにはアニメ化による本誌への吸引力は弱まっていた。編集長が鳥嶋和彦氏に代る。


 この頃からジャンプの発行部数は激減し、99年には398万部にまで下降しています。


>そして’00年頃、私権統合の崩壊が決定的となり、閉塞感が強まって、遂に私権観念が瓦解した。私権観念の防波堤が破れたことによって、一気に社会不全が大きくなり、私権の衰弱も相まって潜在思念の源泉部が私権不全から社会不全へと大転換した。


 私権統合の崩壊が決定的になった辺りから、表層的な「友情」「努力」「勝利」という本源風のキーワードが、若者から敬遠されるようになった結果なのかも知れません。

りんいちろう
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具体的って

Posted by ななし on 02.2013 記事 0 comments 0 trackback
>何かを実現しようとすれば、思考の対象はとことん具象化されてゆく。実現思考で生きていた原始人の精霊はとことん具象的だし、自然科学もそうだし、実現論もそうである。

具体的に考えるとはどういうことなのか気になったので、参考になる投稿を探してみた。


>「イメージが湧かないからもっと生々しい具体的な事例を教えて!」
>なんかすっきりしない…と思うとき、もっと具体的な事例があればなあ、と考えがちでした。
>でも実は、それは違う。
「イメージができないのは論理構造が理解できていないからだ」と言われました。


>日々、現業の場面でもそうだが、何かを実現しよう(作ろう)とする時、思い浮かぶのは目の前にいる対象や、それらを利用する対象のことである。
>改めて考えると、どこをどうしたら使いやすいか?とか、どうしたら評価してもらえるかと、具体的な対象に向かうのが共認動物たる人間の自然な思考だと思う。


>そういえば、答えを出せる人の話は、いつもとっても具体的。
>感謝と謝罪のトレーニングをした時の回想もすっごく具体的だし、
悩み相談したときのアドバイスも具体的な実践方針だし、
誕生日カードのメッセージですら、何だか具体的で心に響く。
>もちろん、仕事もよくできます。
課題を列挙して、優先順位をつけて、手早く片付けていく。
そして、急な仕事が入ってもバタバタ慌てることなくこなしてゆける。


何かを実現しようと思えば、その課題がどういう構造なのかを理解する必要がある。構造化するには、様々な事象が具体的にどう関連しているのかを鮮明にすることが必要。現状どんな問題があるのか、その原因は何なのか、など。

また実現するとは、誰かの具体的な期待や課題に対して、具体的な方針を出すこと。具体的な方針を出すには、「こうしたらうまくいった」事例をたくさん知っておく必要があるし、個々の課題に応じて何が壁になっているのか、突破口はどこなのかを明らかにすること、つまり構造化がやはり不可欠。

具体的であるとは物事のリアルさではなく、事象が豊かに繋がっていることだと分かった。


匿名希望
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