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子どもも気づいている

Posted by ななし on 31.2012 記事 0 comments 0 trackback
>現実の人との会話、人と一緒にすることが今ではもっとも楽しめる。自分が当事者になって、一生懸命に、認識を紡ぎだすことは疲れはするけれども、テレビなどでのんびり、ゆったりと他人を眺めるよりもずっと充実感、満足感がある。(47957)

 確かに今、人と話す、人と行動する方が充足感は強いと思います。それは、マスコミが現実と乖離した存在に成り下がってしまった結果だと思います。視聴率という魔物の存在がマスコミの世界には絶対的評価軸として存在しており、そのためなら虚が実になる世界です。

 「やらせ」などはその最たる例だと思います。そのことが暴かれても、知らぬ存ぜぬ(下請けに責任転嫁する)と通そうとする姿には現在のマスコミには社会を担っていく力がないことを証明しています。こうしたところで制作されてきた番組に面白みがないのも当然と言えます。

 そして、そのことは既に子ども達も感じており、最近会話をしていても以前のようにテレビネタが話の中心になってこなくなりました。理由を聞いてみるとみんな一様に「面白くないから」と答えます。

 何が面白くないのか「以前のようなリアリティーが感じられない」のだと。そこには恐らくマスコミが垂れ流してきた欺瞞報道に子どもながらも胡散臭さを感じてきているからだと思います。

 実際、彼らが楽しいと感じるのは仲間との話であり、仲間との活動(勉強も含めて)だからです。

>社会の傍観者であるマスコミやその背後にいる学者、芸術家が一方的に垂れ流す欺瞞観念こそが私達の思考を囲い込み思考停止させる元凶であり、それとは対極の現実の中に身を置く普通の人々の実感から生まれてくる認識こそが最も現実を的確に捉え、心身共に健全である事は明らかだと思います。(38123)喜田さん

 子どもにも見捨てられ始めたマスコミ、そしてそのことに未だ気づいていないマスコミ人、終焉が近づいているように思います。

琵琶湖
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ニュース報道番組の堕落

Posted by ななし on 29.2012 記事 0 comments 0 trackback
テレビにとって最後の生命線にニュース報道番組が位置すると考えていました。しかし、それも今や幻想でしかないことを実感しました。
先日、日曜日の夜やっている某全国ネットのニュース報道番組から当社に取材依頼がきました。テーマは「ヒット商品の裏側に女子高生の存在あり」、内容は女子高生と企業の開発担当者のグループインタビューで、開発担当者の中年社員が女子高生にダメだしをされる風景を放映するというもの。
しかし、これは既にるいネットの私の2年前の投稿(15932)でその潮流は指摘しており、その風景も(16543)で紹介しています。実際、当社の企業担当者とのグループインタビューも、5年前に経済ニュース番組で放映されています。はっきり言って、何も改めて報道に値する事柄ではなく、今や企業担当者も女子高生にとっても当たり前の光景です。

しかしこの当たり前のことを、まさに現在のマスコミ関係者だけが理解していません。だから当然答えも出せません。今は更にそれ(この当たり前の光景)を超える答えがみんな(マスコミ人以外の企業関係者)の求めているもの。ちなみに当社はその答えを求めて既に2年前から実践過程に入っています。(その内容は掲示板が違うので別の機会にします)
しかし、担当ディレクターにそのことをいくら説明しても理解できなかったようです。理由は単に映像としてバラエティ的(それも単なる性的商品価値としての興味)におもしろくないことと、当社が実践していることがスポンサーにとってあまり好ましくないからと思われます。

結局、テレビ局の当初の企画通り放映されましたが(当社は参加せず)、企業担当者や女子学生からは、「何を今さら報道番組でやってんの」という冷ややかな反応だけ。
最先端の事実を報道するべきテレビのニュース報道番組がスポンサーや、目先の視聴率(テレビ局が想定する旧い視聴者像)におびえて社会不全を撒き散らし、結果的に全く面白くない内容になっていることがますます加速しているように感じます。仕事柄、テレビ局の担当者と接する機会が多いのですが、認識力の低下は著しいようです。



広上光夫
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変わったのは私の方

Posted by ななし on 27.2012 記事 0 comments 0 trackback
成人式も終わり、正月気分も抜けました。今年の正月、テレビを見る機会は例年と同じなのですが、正直言って殆んど見ませんでした。親戚・知人がやってきても,彼らもテレビを見ていません。話を聞いていると、やはりつまらないと言います。

私はと言うとどんな番組があるのか、どんなことが起こっているのか興味・関心はあるのだけれど、それがテレビで満足させられないように思います。なぜかなと思いつつテレビを消して考えている・・・。

テレビ番組そのものはそんなに変わっていない様子。以前からの変化と言えば、ニュース番組が多くなった、視聴者参加の番組が増えたなどだけれども、これも近頃は頭打ち。パネリストが激論するのも近頃は全然楽しめない。以前はその場に自分を投影して、パネリストと一緒に議論していた気分になれました。

結局、その場に自分を投入することができなくなったのが、テレビを楽しめなくなった原因だと思いました。テレビが変わった、面白くなくなったのではなくて、自分が変わったのが原因なのだと。

自分がリアルにその場に参加することが重要で、だからこそ充実感も味わえる。譬えはちょっと違うかもしれないが、下手くそでもライブの方がCDよりも充実感が味わえるような物かもしれません。自分自身が演奏していれば、それがもっとも充実しているのかもしれません。

現実の人との会話、人と一緒にすることが今ではもっとも楽しめる。自分が当事者になって、一生懸命に、認識を紡ぎだすことは疲れはするけれども、テレビなどでのんびり、ゆったりと他人を眺めるよりもずっと充実感、満足感がある。だからテレビは面白くないのだ、そして、これからも面白くはならないだろうなと思いました。


ふうらいぼう
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テレビの一人歩き

Posted by ななし on 25.2012 記事 0 comments 0 trackback
私も最近特にテレビが面白くなくなっていると感じている一人です。私なりに理由を検証して見ました。
この事については以前から感じていた事ですが、我々がテレビを見る一つの目的として、情報の収集があります。社会でどんな事が起こっているのか、ところがテレビはその情報に独自の色をつけて我々に送ってきます。そのことがうなづける内容であれば良いのですが、最近では特に違和感を感じます。これは情報をストレートに知りたい者にとっては大きな不全となります。そうなれば、情報収集は新聞で充分という事になります。

次に娯楽としての目的があります。多分娯楽番組の内容は以前とあまり変わっていないんだと思います。変わってきたのは我々視聴者(人々)の意識だと思います。ここまで閉塞した社会において社会不全が顕在化し、テレビの娯楽番組では充足できない処まで来ているのだと思います。

>潜在思念のベクトルが「共認不全」から「社会不全」に転換し、それが顕在化し始めたこと。そして「答え欠乏が」顕在化し始めたこと

テレビという代償充足がそれらと反対のベクトルであるという事が本能的に(危機回避能力が働き)テレビ離れを引き起こしたのではないかと思います。
また、別の見方をすれば、確かにテレビは民衆と共に歩んで来た時代もあったと思いますが、そのおごりを持ったまま民衆意識を読めないまま違う方向を歩いているテレビが、今ではこっけいに思えてなりません。

 


マー
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評論家やテレビを見限った人々の声

Posted by ななし on 23.2012 記事 1 comments 0 trackback
10日の某新聞の投書欄から二つの声を拾ってみたい。
 
 一つ目は「最近、経済問題などに関し学者・評論家などが、意味・内容が特定しにくい外来語を多用する風潮が気になる。」とする男性会社員の意見である。
「何を論じるにしても、意味のあいまいな言葉を用いることが許されると、論旨もあいまいなままにしておけるから楽だろう。だから、論理をごまかし、論争に明確な勝負がつくことを避けるため、意図的に意味を暗号化・抽象化するカタカナ語を使用しているのではと勘ぐりたくなる。
カタカナ語を多用して聞くものをけむに巻く学者・評論家のことを‘ペテン師,のように感じるのは私だけだろうか。」と述べている。

二つ目は「年末年始のテレビの大型特番は果たして本当に必要なのでしょうか。」というアルバイト男性の意見である。
「TV局だけが視聴率稼ぎのために昼夜問わず延々と大型番組を放送するのは少しおかしく感じられます。それに、悪ふざけが過ぎるものが多いようにも感じられ、正月祝いだからと派手な演出をしてまで番組を作る必要はないでしょう。」としている。

 一つ目の投書はカタカナ語について述べているが、ここからはむしろ学者や評論家に対する強い不信の念が窺える。
二つ目の投書はくだらない番組を流し続けるTVの作り手達への否定だろう。
現実を捉えきれないものたちを既に人々は見限っているようだ。

高橋克己
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「つまらない」→「必要ない」へ移行しつつある

Posted by ななし on 21.2012 記事 1 comments 0 trackback
>かつては、人々の意識と現実が私権で統合されていた。ままならない私権の現実(私権不全)から離れて片時の充足を得る為に、そのようなものが脚光を浴びていた。<

その通りですね。さらに

>テレビが面白くなくなったという事に加えて、テレビから流れてくるものが話のネタにもならなくなったということも感じました。<47330

>かつては、レコード大賞は?高校野球の優勝校は?芥川賞直木賞は?と聞かれて答えられる人も多かったが、今やそんなことに答えられるのは現実逃避のマニアと言っても過言ではない。<

ということは、おしゃべりと言う最大の解脱共認のネタにならなくなったということです。いづれTVを見る人種は、かつてのオタクと同じように見なされるようになるのではないでしょうか?

番組の内容にもよりますが、(少なくとも芸能ネタのワイドショーやお笑い番組は)もう既に「つまらない」という次元から「必要ない」の次元に移行しつつあるようです。TVにとっては致命的な構造にあるのだと思います。



鈴木龍也
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現実遊離

Posted by ななし on 19.2012 記事 0 comments 0 trackback
かつては、レコード大賞は?高校野球の優勝校は?芥川賞直木賞は?と聞かれて答えられる人も多かったが、今やそんなことに答えられるのは現実逃避のマニアと言っても過言ではない。

かつては、人々の意識と現実が私権で統合されていた。ままならない私権の現実(私権不全)から離れて片時の充足を得る為に、そのようなものが脚光を浴びていた。

しかし今は意識と現実の統合軸がずれてきた。意識と現実が遊離していることこそが問題なのに、更に現実から遊離させるようなものには収束できない。

だからテレビは面白くないのだと思う。

石橋直樹
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“テレビ”は最後の壁ではなかった

Posted by ななし on 17.2012 記事 0 comments 0 trackback
テレビは、マスコミが使う最大の洗脳源だから(村上さん6106)、最大の敵で、最後の壁だと思っていました。

>どこに行っても、「最近テレビが面白くなくなったなあ」というのが共通の話題。急速にテレビ離れが加速し始めたことを実感的にも感じます。昨年の正月であれば、テレビが面白くないなどという話題は殆ど無かったし、社会の話にしても「景気はいつ回復するのか?」というレベル。まさに僅か一年間での人々の意識の変化のスピードには驚きます。 <(北村さん47244)

>年末年始のテレビのくだらなさには閉口しました。誰に聞いても「面白くない」と応えます。テレビを作っている人にも,大衆の声は聞こえているはずです。しかし,彼らの古い組織と,古い観念が「お正月番組」の,殻を破れないでいるのだと感じました。
これほどまでも大衆意識とのギャップを修正できない人たちである事が証明されるのが,年末年始のテレビ番組だと思います。<(新井さん47026)
テレビは最後の壁じゃないんだと思い直しました。
旧観念の塊であるからこそ、いち早く相手にされなくなっていくんだと思いました。
最大の敵だと思っていた割には、あっさりと勝ってしまった気がしました。新しい潮流はテレビの敗北を意味しているんだと確信しました。

>潜在思念のベクトルが「共認不全」から「社会不全」に転換し、それが顕在化し始めたこと。そして「答え欠乏が」顕在化し始めたこと。<

答え欠乏が顕在化し始めた今、認識営業のチャンスなんだと思います。このお正月でテレビが面白くないと気づいた人も、いまだに気づいていない人にも、はっきりと言葉にする事によって誰もがすぐ気づく、「テレビは面白くない」と言うネタは今が旬でもあり認識営業に使えるなぁと思いました。


岡田理恵
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テレビの視聴率の急落

Posted by ななし on 15.2012 記事 0 comments 0 trackback
正月明けに友人と会い、その時に正月のテレビ番組の視聴率が急落しているという話を聞きました。(その友人がテレビ関係の知り合いから聞いた話しだそうです)
昨年までは正月に家に居る人はテレビを見るくらいしかすることが無い、という事もあって人気番組の視聴率は必ず30%近くを取っていたそうです。ところが今年は番組の視聴率の最高が20%を割り込んだらしく、テレビ局はかなりの危機意識を持っているようです(駅伝などの3時間以上の
長時間番組除く。ちなみに最高は藤田まこと主演の「はぐれ刑事純情派」でそれでも19%、この番組は固定ファンが多く、普段の視聴率と大きな差が無い)。とりわけバラエティやお笑い番組の視聴率の凋落が激しかったそうです。

実際正月にたくさんの人に出会いましたが、どこに行っても、「最近テレビが面白くなくなったなあ」というのが共通の話題。急速にテレビ離れが加速し始めたことを実感的にも感じます。そしてその後(とりわけ年配者から)出てくる話は、「出口が見えん」「日本はいったいどうなるのか」です。昨年の正月であれば、テレビが面白くないなどという話題は殆ど無かったし、社会の話にしても「景気はいつ回復するのか?」というレベル。まさに僅か一年間での人々の意識の変化のスピードには驚きます。

潜在思念のベクトルが「共認不全」から「社会不全」に転換し、それが顕在化し始めたこと。そして「答え欠乏が」顕在化し始めたこと。(そして、勿論その答はテレビには無いという事を皆、とっくに気付いていること。)それらのことを肌で実感したこの新年でした。



 


北村浩司
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可能性の実現態を提示する

Posted by ななし on 13.2012 記事 0 comments 0 trackback
年末の「朝まで生テレビ」、本日の「サンデープロジェクト」を少し見ていました。例によって、今年はどのような年になるか、というキーワードが知識人から挙げられるわけですが、そこには明らかな変化が見て取れました。

いくつかを挙げると、
総崩れ、分解、崩壊と再建、大分水嶺、マスコミの嘘が暴かれる、無責任社会からの脱却、意識改革、いかに生きるかの選択、、、など。

米-イラクとの戦争圧力が次第に高まってきていますが、この明らかな口調はそればかりではありません。もはやこれまでの旧体制では崩壊(転換)は避けられず、誰もが社会の当事者として考えていく必要があるのだと、皆一様に訴えています。

>『力関係』を逆転する原動力は、新しい欠乏=『喉元まで出かかっている発信欠乏』そのものであり、それを『どこでも営業』で顕在化し、統合する場(認識交流会⇒超集団ネットワーク)をつくることによって、現実が変わっていくのだと、改めて感じました。(46858)

人々の答え欠乏や認識欠乏は今後一気に顕在化するように思えます。私たちが成すべきことは、超集団ネットワークの形成に向け、可能性の実現態(次代認識や認識形成の場)を現実の場に提示することなのだと思います。そして可能性への先端収束へ自らが突き進むことだと。
答えが与えられて初めて答え欠乏が生起するように、可能性の実現態が示されて初めて可能性収束へと現実が動き始めるのではないかと思います。




 


衛藤信義
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マスコミは、張子の虎である。

Posted by ななし on 11.2012 記事 0 comments 0 trackback
年末年始のテレビのくだらなさには閉口しました。誰に聞いても「面白くない」と応えます。テレビを作っている人にも,大衆の声は聞こえているはずです。しかし,彼らの古い組織と,古い観念が「お正月番組」の,殻を破れないでいるのだと感じました。
テレビなどは,旧観念の秩序からは解き放たれているような錯覚を受けがちです。しかし,これほどまでも大衆意識とのギャップを修正できない人たちである事が証明されるのが,年末年始のテレビ番組だと思います。そのテレビが毎日膨大な情報を流していることは、極めて危惧すべき事態だと思います。

また,元旦の新聞は新聞各社が,最秀の「論者」との会談特集を載せます。現状の社会の問題点と今後の社会のあり方のような記事です。全てを読んだわけでは有りませんが,ほとんどが聞いた事がある旧観念を再度まとめ直したレベルです。読んで活力が湧いてくる(=可能性を感じる)物が有りません。新聞各社の精力を傾けた元旦の特集がそのレベルであると言うことは、もはや彼らには答えを出す能力はないということを証明していると思います。

改めて,正月に読む「るいネット」は,素人集団であり,荒削りであるけれでも,活力があり面白かった。
素人であるが故に,各自が生きる場で現実に感じた事であり、何よりも,「新しい認識」を提示し,各自の認識を変えて行くことで,この閉塞した社会も変えて行けるという自信と可能性に満ちている。プラスの可能性にむけて素人の参加者,皆で議論できる場である事が、他には無い面白さ(=活力)である。

新井弘
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現実逃避癖の必要はなくなった

Posted by ななし on 09.2012 記事 0 comments 0 trackback
>仮に、己の脳回路に「現実捨象の逃避思考」の癖が染み付いているとしても、この「みんな期待の場」の中では、現実から目を逸らさず、強そうな相手からも逃げず、自らの矛盾を誤魔化さず、共認闘争を実直に闘っていきたいと思います。46925(平野さん)


我々の多くは、一握りの私権強者に支配された、私権社会の弱者です。現実社会では、ほとんど可能性を閉ざされていたからこそ、現実逃避への収束癖を身に付けるしかなかったとも言えます。

旧観念・宗教・幻想・夢・迎合などもそうだし、
代償充足としての、テレビ・映画・娯楽・漫画・有名人・芸能人なども同様です。

私権社会だからこそ必要だったこれら現実逃避のための収束先は、私権社会の衰弱・終焉によって役割や意味を失ったわけです。にもかかわらず、現実逃避の思考癖だけは残ってしまった。

新しい認識を一つ一つ身に付けていくことで、私権弱者の我々に可能性が開かれた時代。>最後の壁は現実逃避の思考回路にある(46925平野さん)、全く同感です。


正国稔 
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新しい認識欠乏こそが、現実を変えていく力なのだ

Posted by ななし on 07.2012 記事 0 comments 0 trackback
昨日、銭湯でのことです。ちょうどテレビで紅白歌合戦をやっていました。見るからに私権派の40台半ばの男性が一言。「全然面白ないなあ」。そこで次のようなお話をしました。「それは僕らの求めるものが変わってきたからではないか。私権統合が終焉し、社会が閉塞している。時代が動き始めた。社会がどうなっていくのか、みんな答えを求めている。それとテレビは完全にずれたものになっている。だから面白くない。今まで、人々は私権を獲得するために、私権集団に閉じ込められてきた。私権の強制圧力から解放された人々は、集団から出て、社会に向かい始めたのではないか」。それに対して「なるほどなあ、これから社会はどうなっていくやろなあ?」

5分程度の短い会話でしたが、『発信欠乏が喉元まで出かかっている』のは私権派といえども、例外ではないのだと感じました。

>今や、「私権観念が瓦解して、社会不全を捨象し切れなくなった」という段階を超え、言葉にこそ出来ないが、『発信欠乏が喉元まで出かかっている』段階に来ている。云い換えれば、誰かが社会不全⇒認識欠乏に応えてくれるのを待ち望んでいる状態、あるいは発信欠乏に触れて貰いたがっている状態にある。 従って、少しでも不全を解消してくれそうなor当事者欠乏を充たしてくれそうな新しい認識が与えられれば、喰い付いてくる。だから、話題を不全課題⇒認識課題に持ってゆくのは、簡単である。むしろ、歓迎される。(40914)
 
>生存圧力から同類圧力への大転換期である現在も、同様である。古い物的欠乏や解脱欠乏とそれらが作り出した私権闘争の全ては、新しい外向収束に基づく最先端の認識欠乏とそれが作り出す認識闘争の下に収束して、全体が統合される筈である。(35729「実現の論理」)

>「私権派・懐柔派の凋落=『力関係』の逆転で社会変革の実現が見えてきた」46794 

『力関係』を逆転する原動力は、新しい欠乏=『喉元まで出かかっている発信欠乏』そのものであり、それを『どこでも営業』で顕在化し、統合する場(認識交流会⇒超集団ネットワーク)をつくることによって、現実が変わっていくのだと、改めて感じました。


冨田彰男
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若者を誘う言葉

Posted by ななし on 05.2012 記事 0 comments 0 trackback
>現在は、充足基調を維持すべく、潜在思念に増大してゆく社会不全を、「等身大の幸せ」「分り易い言葉」「身近な運動」etcの誤魔化しの言葉に縋ることよって、頭で必死に課題捨象している段階だとも云える。(24981)

観念捨象を観念で正当化している状態には、若者自身、気持ち悪さを感じていると思います。

>社会不全は答え(=新しい認識)によってしか解消されない。つまり、社会不全を従来の解脱様式で捨象することは出来ない。(例えばテレビは私権不全から社会不全への大転換によって、完全にズレた物となり果てた。)また、「等身大の幸せ」etcの言葉=頭でいくら捨象しても、解脱充足先がない以上、不全は解消しない。その上、不全の増大につれて充足基調の充足度も、どんどん低下してゆく。従って、社会不全→外向欠乏の上昇によって、答え欠乏=認識欠乏が顕在化してくるのは時間の問題である。しかし、間違ってはならない。人々は潜在思念の源に強い社会不全を孕んでいるからこそ、充足を(つまりは、答えを)求める。実際、人々は愚痴や批判ではなく(そんな言葉は聞きたくもない)、何か答えになりそうな可能性の感じられる新しい認識を求めているのである。(24982)

そんな若者にとって、この状況認識は一つの大きな答えで、それはそのまま、単なる人つながりを超えた新しい交流会のイメージになるんじゃないかと思いました。

西知子
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交流会作りは、共認闘争の始まりでもある

Posted by ななし on 03.2012 記事 0 comments 0 trackback
>現代の最大の課題は、社会統合(同類闘争=共認闘争or評価競争の止揚)であるが、この新課題に対しても、大衆はまず社会的な解脱共認の場(=テレビ)を形成し(但し、それらは与えられるだけの場であり、共認支配の場とも成っている)、次いで、プロ≒統合階級に失望した素人の参加充足の場(=インターネット)を形成しつつある。(但し、未だ評価共認の形成さえ出来ておらず、規範共認の形成に至っては全く出来ていない。従って、充足度が低く、本源派や普通の人の参加度は低い!)(6588「素人は、全て生み出すことが出来る2」) 

認識交流会や異世代交流会は、テレビに代わる(超える)社会的なみんな共認(みんな充足)の場となるのではないでしょうか。テレビからインターネットへ、社会的な充足の場が移行する、その中間的な位置にあるのだと思います。非現実の代償充足にすぎないテレビよりも、現実の新しい人に出会える方がはるかに面白く、リアリティを感じることができるでしょう。また、代償充足を与えられるだけのテレビに対して、外部参加を主目的とする交流会作りは「ゼロから、自分たちの『場』を作る活動」であり(32085)、はるかに充足度が高いだろうと思います。

同時に、忘れてはならないことは、外部参加を主目的とする交流会作りは、共認闘争(認識競争)の始まりなのだと思います。

>交流会の相互乗り入れが始まれば、次は必然的にそこで語られる『認識』の中身(質)の勝負になる。(44506)

この交流会作りは共認闘争(認識競争)の場作りであり、その場ができることで初めて、共認闘争が顕在化するのではないでしょうか。それによって、私たちは、「人類の新たな活力源=圧力源」(31505)を獲得するのでしょう。


冨田彰男 
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「ゲーム脳」

Posted by ななし on 01.2012 記事 0 comments 0 trackback
12日(土)の読売新聞の一面に「ゲーム脳」なる言葉を見つけた。どうも、子どもの脳に問題が起こっているらしい。

気になったので、ちょっと調べてみました。

日大の森教授は、アルツハイマーの人の脳波を測定することで脳の研究をしています。脳波の測定器の開発の際の試験で、コンピューターソフト開発者の脳波を計ってみたところ、なんとアルツハイマーの人と同じような波形(β波の値がα波に重なる)になった。最初は機械の故障だと思って、同じ職場で同じ仕事をしている他の人々を計ってみたところ、ことごとく同じ形になったそうです。

「これはひょっとすると、彼らと同様に長時間テレビに向かってゲームをしている人は、みな同じ波形なのではないか、と考えたのです」(森教授)

実際子どもの脳波を計測してみると、幼稚園や小学校低学年のころから週に4~6回、1日2~7時間テレビゲームをやっていたという人は、ほぼ例外なくアルツハイマーの人と同じ脳波の特徴を示しました。

人間の脳はおよそ10歳までの間に完成していきます。この大切な期間に毎日何時間もテレビゲームをやっていると、脳回路が単純化されてしまい、その結果、特定の回路だけが強化され、その他の部分の神経回路を使わなくなるように脳が習慣化されてしまうそうです。

「少なくとも18歳までは、テレビゲームをしないほうがいいでしょう。18歳を過ぎれば、自分の意志でテレビゲームをやめられる状態まで脳が発達します。その意味で、子供の脳に対する親の責任は重大なのです」と森教授は言っています。

(参考:「でじ端会議室」リンク より)

実は、「ゲーム脳」のような特定の神経回路は、他にも単純に同じ動作を繰り返す運動で同様にできるようです。ある動きの約束事ができると、『大脳皮質』がネットワークを形成し、そのコピーを大脳基底核にある『線条体』という部位に格納します。そのコピーを使えば、思考に必要な『前頭前野』という部位を使わずに同じことができる状態になる。それが長時間続けば、記憶を扱う部位である『海馬』を使わない状態になるわけです。単純な動作を繰り返し行うときはそれが有利になるのですが、複雑な思考や判断を必要とすることにはお手上げ状態になります。

しかし「ゲーム脳」、どうも怖いですね。

脳の発達にはさまざまな種類の刺激が必要なのであって、それはTVゲームのようなものでは代替できないということだと思います。やはり子どもは外(できれば自然の中)で仲間と遊ぶのが一番なのではないでしょうか。

tanvool 
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