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新しい就活の方法 コワーキング就活!

Posted by ななし on 12.2018 記事 0 comments 0 trackback

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以下引用
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GARAGEとは?
2つのサービスが同じスペースで 提供されています。
①コワーキングイベントスペース運営②キャリア支援


■社会や仕事をもっと身近に。大学ではわからないことを見つけ出す場。

選考や他の就活サービスの場とは違った形で幅広いキャリア・バックグラウンドを持つ様々な立場、年齢の人と気軽に交流することができます。
一個人としての率直な意見が聞けます。
人を紹介してもらえることもあります。

OBOG訪問をしたくても知り合いにいない…
どうやってつながればいいかわからない…
社会人の意見を聞きたい…

というときは、自己紹介がてら何が気になっているか、どんな人と会いたいかここにいる人に話してみましょう。

壁がないので仕事や業界の話がフラットに聞けたり、自分のことを話したり、社会が垣間見える空間です。

■GARAGEびいる人たち
〇就活生
GARAGEには、さまざまな就活サービスからGARAGEを知った人、先輩や友人、時には恋人からの紹介を通じて相談に来た人、就活で上京してきた人、バリバリ就活を楽しむ人、 立ち止まっている人、いろんな人がいます。 どんな人も歓迎します。

〇サポーターズ
GARAGEには様々なキャリアの社会人が集まり、つながりを広げています。 時には雇う側の気持ちで、時には就職する側の気持ちで、学生のみなさんに刺激を与えてくれる存在です。普段の生活圏では会えない人との出会いや選考ではなかなか聞けない「本当の話」をぜひ楽しんでください。

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GARAGEが中心にコワーキングの利用者・学生・GARAGEサポーター・転職者・求職者・新卒採用企業をつなぐ事で就職活動を支援する。
新たな就職活動の形である。

これを改良する事でこれからルール無用になった採用活動の活路になるかもしれない。そんな可能性を感じる。
 




おぬこ
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楽しみはどこにだって見つけることができる !

Posted by ななし on 06.2018 記事 0 comments 0 trackback
幸せに生きるために「多く」も「特別」も必要ありません。
小さな幸せのある暮らし大切にする。

ありふれた日常を丁寧に生きることこそが、幸せへの近道なのです。
今ここにある小さな幸せを大切にしてみてください。

日常の中にある些細な喜びに目を向けてみましょう。
いつもの通り道に綺麗な花が咲いていたこと。

「ありがとう」と、人から感謝されたこと。
大切な人が元気でいること。
日常を当たり前だと感じられていること。
意識すれば幸せなんてたくさんあります。
自分から動き出せば、楽しみはどこにだって見つけることができるのです。

「当たり前」なものなんてありません。
遠くばかりを探しているから気がつきにくくなる。
大切なものはいつだってすぐ近くにあります。
日々のちょっとした喜びを集めていく。
その小さな幸せが集まって、穏やかに幸せで満ちた暮らしをつくるのです。

ふと見上げた空が青く澄んでいる。
そんな些細なことにも幸せを見いだせるのが私たちです。
日々の小さな幸せを丁寧に感じてみてください。
たったそれだけで人生を豊かに生きることができますから。

「なんとなく」「いつもどおり」
そうやって惰性で過ごすのをやめてみる。
何でも受け身な生き方を見直してみる。

日常にある小さな幸せの見つけ方。
それは意識的に笑顔を増やしてみることです。
物事のいい面やポジティブなところが見えてきます。

笑顔が小さな幸せを引き寄せる。
さらに楽しいことや嬉しいことが増えてくる。
すると自然に笑顔がでてきます。

笑顔がさらに笑顔をつれてくるのです。
常に今この瞬間を精一杯に楽しんで生きること。
今ここにある「当たり前」に感謝すること。

必要以上に大きな幸せを求めなくていい。
私たちの周りには小さな幸せが溢れているのです。





匿名希望
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最近の若者は、何事にも興味がない?

Posted by ななし on 26.2018 記事 0 comments 0 trackback
最近の若者の意識潮流をよく表しているなと感じる記事です。しかし、最後の「面白い、興味深い、役に立つ」という想いは可能性だと思います。むしろ若者ではなく我々年配者が変わる必要があると思います。
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最近の若者は、何事にも興味がない。【さとり世代のリアル】
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今日は「現代の若者」をテーマに書いてみようと思います。私自身、ついこのあいだ社会人になった、いわゆる若者ですので参考にしても良い記事だと思いますよ!「最近の若者は○○」なんて、いつの時代も年長者が言う言葉で、これは、この先もずっと繰り返していくことは変わらないと思いますが。
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若者の幼少期の背景

両親のリストラ、自殺、そういった現実を目の前にして自分の未来に希望を見出せなくなった、そんな現代の若者。一般的に、”さとり世代”、”ミレニアル世代”と呼ばれています。また、いい意味で、”デジタルネイティブ世代”なんて呼ばれることも。
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現代の若者の特徴

・買い物がネットでできる。(なんでも安く買える。)
・外出しなくても苦じゃない。(YouTube、アニメ)
・お金はないけど、使いもしない。
・学生時代の友達は100人以上ネットでつながっている。
・会社に縛られたくない。
・新聞は読まない。
・etc…

デジタルネイティブ世代ということもあり、いわゆるスマホなど、ハイテク機器への理解に長けているから上の世代と意見の衝突が起こりやすく、喧嘩になる。なんていうのも、この世代の特徴かもしれません。
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バブル、団塊の世代=黒歴史

会社の重役が、いわゆるバブル世代、団塊世代の人で仕事ができない、効率が悪い、電車に乗るにしても順番を抜かす、無茶を言うなど、マナーも無く
ハッキリ言って邪魔、迷惑、厄介な大人たち・・。どの会社にも1人はいるはずです。もしかしたら、ほとんどがそんな会社も、そんな境遇に置かれている若者も多いはずです。

高齢社会で、上にのさばるオトナ達を、少ない労働力で支える、そんな時代に社会人となった若者が報われる日は来るのでしょうか。人間の出生のみならず、経済までもが尻窄みの日本において、おまけに「人生100年時代」ですからね。
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ブラック企業の存在

上記で挙げたほかにも、長時間労働や、無賃での残業、休日出勤、家に帰れない、長期休みは取れない、ボーナスってなんですか?などなど・・いわゆるブラック企業の問題が多々あります。これでは、中高生など、若者が「就職」に対して希望を持てるはずもありませんよね。
かつて、ニートの台詞だった「働いたら負け」、こちらですが、現代の日本人、大多数の頭のどこかに引っかかっていると思いますね。
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夢を叶える=幸せなのか

続いてこちらの問題。「夢を叶えることと幸せになることは、どうして違うんだろうね。」

例として、2014年に過労死したNHKの記者の話を挙げます。亡くなった女性、佐戸未和さんですが、彼女をよく知る知人に聞くところ彼女は学生時代から憧れていた「記者になる」という夢を叶えています。

憧れの仕事に就いて、毎日が刺激に溢れ、活気的と思われた矢先に・・。過労死ですからね、彼女からすれば、もしかしたら本当に毎日が楽しく、働き過ぎた結果なのかもしれませんが他所から見れば過労死、夢とはなんなのか、改めて考えさせられます。

幼児の教育さえ根底から見直される日が来るのでは?!

今の時代、決して「楽しい!嬉しい!大好き!」じゃないけど、少なくとも「面白い、興味深い、役に立つ」の判断くらいはできるようになりたいですよね!
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(引用以上)




小平健介
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「休みたいから診断書をください」--現役精神科医「うつ病休職」の告発

Posted by ななし on 26.2018 記事 0 comments 0 trackback
「ストレスが原因でうつ病になった」という話をよく聞きますが、「ストレス」と「うつ」の因果関係ははっきりしていないそうです。
うつ病が増えた背景には医療的な診断基準の変更やや新薬開発が深く関わっていますが、本人の認識違い(うつと抑うつの混同)などもあるようです。


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<うつ病が急激に増えており社会問題化しているが、実際にはうつ病がなんらかの「理由」として使われているケースが多いと、『うつ病休職』の著者。そもそも、うつ病はストレスによって起こるものという認識も間違いだという>

『うつ病休職』(中嶋聡著、新潮新書)というタイトルだけを見ると、うつ病で悩む人のことを取材した深刻なドキュメンタリーのようにも思える。ところが本書は、そのような角度からこの病気を扱ったものではない。

著者はクリニックを開業している現役の精神科医。最近、うつ病が急激に増えており、それが深刻な病気であることを認めつつも、「現在"うつ病"とされているもののすべてがそうかといえば、決してそうではない」と主張しているのだ。

平たくいえば、本当のうつ病で深刻に悩む人がいる一方で、うつ病がなんらかの「理由」として使われていることも否定できないという"告発"である。



最近、診察していてとくに強く感じることがあります。それは「会社に行くのがしんどくなった。上司に話したら『それなら病院に行って診断書をもらってこい』と言われた。休めるように診断書を書いてほしい」といった患者がとみに多くなっていることです。(中略)
 聞いてみると、「職場でストレスがある」と言います。医師から見ると、それは仕事をする以上はあたりまえのもので、それほどのストレスとも感じられない場合が多い。しかし本人は、その影響として抑うつ(落ち込んだ気持ち)や不安、イライラなどを強く訴え、「このような状態では仕事ができそうもない。休みたいので診断書を書いてほしい」と希望します。(26~27ページより)


診断書を希望する状況もさまざまで、他にも「上司にパワハラされている。病気ということにして診断書をもらって休みたい」とか、「退職したいと言ったら『診断書をもらってこい』と言われた」といったものもあるのだとか。

しかし医師の立場から判断すれば、前者の多くは診察しても病気といえるものではなく、単に労務問題を医療問題にすり替えようとしているだけ、というケースが多数。後者の理由はなかなかわからないものの、退職後も傷病手当金がもらえたり、失業手当がすぐにもらえるといった事情があるらしい。


 二〇〇〇年に電通事件(自殺)、二〇〇七年に積善会事件(自殺)、二〇一四年に東芝事件(解雇)の判決が下されました。いずれも、企業の精神衛生に関する安全管理責任が断罪され、企業にとって非常に厳しい判決が下されました。
 これらの判決に企業も、社会全体も、影響というより衝撃を受け、メンタルヘルスに関する安全管理体制を整備しなくてはならないという機運が高まりました。(36ページより)



しかもそのおおもとには、うつ病の診断をめぐる別の問題も絡んでいる。「うつ病」と「抑うつ反応」が混同されることによって、うつ病がストレスによって起こる病気の代表のように誤解されているというのだ。



その第一の理由は、DSMという診断基準の導入です。その結果、一九九〇年代には、一九八〇年代の二倍に増加しました。
 さらにもう一つ、うつ病の激増をもたらした要因は、SSRIと呼ばれる新型の抗うつ薬の発売です。SSRIは従来の抗うつ薬に比べて副作用が少なく、使いやすい薬です。それゆえ、うつ病の診断を厳密にしなくても抑うつ状態一般に使うことができます。これが発売された一九九九年を境に、うつ病はさらに急激に増加したのです。(90ページより)



長年精神医療に携わってきた私から見ると抑うつ体験反応にすぎないものが、現代の基準ではほとんどが「うつ病」ということにされてしまっています。「うつ病が軽症化した」という言い方もよくなされますが、これも同じ理由によります。見せかけの軽症化であり、うつ病そのものは決して軽症化していません。(92ページより)

そしてもうひとつ、記憶にとどめておく必要がありそうなことがある。「うつ病はストレスによって起こるもの」という認識は一般的だが、それは間違いだということ。



「ストレスによって起こる」と因果関係をはっきり説明できるものは、うつ病ではありません。それは抑うつ反応です。
 うつ病は、一見ストレスによって起こっているように見え、または本人がそのように感じていても、専門医が診ればストレスでは説明できない点が必ずあります。ストレスは、発症のきっかけや悪化要因として関係しているにすぎません。逆に言えば、ストレスで説明がつかない点があることが、うつ病であるための条件(必要条件)なのです。

うつ病が「病気」であるのに対し、抑うつ反応は「苦悩」であると著者は表現している。



 病気は「襲われる」もしくは「蒙(こうむ)る」ものです。主体はそれに対して受身です。

一方、その治療を依頼された医師には、主体的に振る舞う責任が生じる。しかし苦悩においては、医療機関を訪れるかどうかを含め、患者が「助けを求めるかどうか」を選択するものだ。この場合、医師は患者が依頼する範囲内で援助(治療)を提供するしかない。ここに、この問題の難しさがあるのだろう。

しかも、精神科医も人間。現実の変化に戸惑い、悩んでいて当然だ。助けてほしいと訴える人に手を差し伸べるのが仕事だとわかっていても、「病気で仕事ができないというほどではないから診断書は書けない」と、意地悪のように見えることをしなければならないこともある。

だから、葛藤もあるという。その気持ちも痛いほどわかる。いずれにしてもすぐに解決できるような問題ではない。

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匿名希望 
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強制圧力は人の活力をどん底にする

Posted by ななし on 18.2018 記事 0 comments 0 trackback
私の祖父母を見ていたら、体が動けるときに自分が楽しめることをしようと思う。

昔の人は我慢することが美徳とされてきたし、楽しんではいけない風潮があったと思う。特に農家は。

私の祖父母も何も文句を言わずに先代の言うことを我慢して聞き続けてきて、若いことからずっと働きづめ。
それを本人たちが楽しんでいるなら全然問題はないが、そうではなさそう。
表情を見ていても生きている感じがしないし、楽しみさえない。
人の喜びやこうなればいいな、とかの希望もなく、資産のことばかり考えている。

人のために何かしようと思ったことがなく、昔からただただ強いられてきた人間はこうなるのか、と思う。
祖父母はずっとそんな生き方をしてきたから、先代から解放されても生きる力さえない。
すごくもったいないと思う。

いまは資産のことで頭がいっぱいであるが、それ以外に誰かの役に立ちたい、喜んでもらいたい、など何らかの欠乏は必ずあるはず。





こを引き出してなんとかして残りの人生を楽しんでもらたい。

自分が何かしたときに人に与える影響力、人と何かするときの楽しさなどを掴んでもらいたいな、と思う。



匿名希望
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