民主主義の全否定は、私たち自身の生き方を根底から問い直す
「民主主義は、自我の暴走装置である」254022の最後に、次のように提起されています。
>人々の意識の変革は、民主主義の正体を見抜くことから始まる。
すなわち、制度としての民主主義は自我の暴走装置であり、思想としての民主主義は悪魔の思想であることを見抜いて、民主主義を全的に否定すること。
>全てはそこから始まる。そうして初めて、人々は人類本来の共認原理に立ち戻ることが出来るようになる。
これはどういうことなのだろうか? 何故、そう言えるのだろうか?と考えました。そこで見つけた記事をブログ『日本を守るのに右も左もないから』紹介します。
「民主主義の全否定は、私たち自身の生き方を根底から問い直す」リンクという記事です。
本郷
>人々の意識の変革は、民主主義の正体を見抜くことから始まる。
すなわち、制度としての民主主義は自我の暴走装置であり、思想としての民主主義は悪魔の思想であることを見抜いて、民主主義を全的に否定すること。
>全てはそこから始まる。そうして初めて、人々は人類本来の共認原理に立ち戻ることが出来るようになる。
これはどういうことなのだろうか? 何故、そう言えるのだろうか?と考えました。そこで見つけた記事をブログ『日本を守るのに右も左もないから』紹介します。
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