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10年引きこもった30歳がバーを開業

Posted by ななし on 04.2018 記事 0 comments 0 trackback
――鬼頭さんは中学2年生から約10年間、ひきこもっていました。きっかけはなんだったのでしょうか?

小・中学校時代の人間関係や学校生活に疲れて、他人と関わるのが怖くなったからだと思います。

小学校高学年から中学2年生で不登校をするまで、僕が仲よくしていたグループはクラスカースト(教室間の序列)で言えば上位グループだったと思います。

十数人のグループで、主要メンバーは同じ塾に通っていました。ふだんは仲がいいんですが、何かのきっかけで関係がすぐに壊れてしまうというか、誰かがグループのみんなから攻撃される対象になってしまう。そんなことがある日突然、起きてしまうんです。

その矛先は特定されていなくて、自分にも矛先が向かってきましたし、自分もその輪に加わっていたこともありました。なんていうか関係がすごく希薄なんですね。

今から考えれば異常な関係だったことはわかりますが、当時はそのグループにしがみつこうと必死でした。必死で殺伐とした人間関係のなかにいた結果、クラス替えによってそのグループから離れてしまったとき、絶望感に近いものを感じて学校へ行けなくなりました。

――ふつうに考えれば、人間関係が殺伐としたグループから外れたほうがいいと思うのですが、むしろ絶望感を感じたと?

そうなんです。当時は、あのグループにいることが世界のすべてだとさえ思っていたからだと思います。不登校をしてから10年近くは当時の人間関係を夢で思い出すこともありました。

――ひきこもっていた10年間は、学校時代の人間関係が記憶や夢のなかでリフレインされるため「他人が怖い」と強く感じていた。そんな感じでしょうか?

そうかもしれません。ただし、本当にきつかったときの記憶は覚えていないというか、あまり考えられる状況じゃなかったのかもしれません。

人間関係以外でも、小学校時代の先生との関係や部活がきつかったことなど、いろんなことがありました。でも、その思いをどうしていいかわからなかったです。

不安から家で暴れて壁に穴をあけたり、無理に働こうとして新聞配達の仕事を2週間やって、よけいに働く自信を失ったり(笑)。

結果的には外部との関係をいっさい遮断して、家族以外とは話さないという期間を何年か続けたことで安定してきました。

リンク




匿名希望
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通勤電車でバレる「幸福な人、不幸な人」

Posted by ななし on 02.2018 記事 0 comments 0 trackback
以下リンクより
―――――
日本人はアメリカ人より自己肯定感が低い

自己肯定感とは「自分で自分のことをOKだ!」と思えることであり、生活のあらゆる場面で意欲や幸福感に影響を与えます。日本人はその自己肯定感が、外国人に比べると低い傾向にあるといわれています。

アメリカで心理学を学んでいたとき、謙遜する日本人の私に比べて、周りの連中は、ちょっとできたことを100倍ぐらいに誇張していました。それを聞くたびに、心の中では「絶対に自己肯定感が低いほうが耐え忍んで努力をしているから、いつかはこいつらよりも優秀になれるはず!」と思っていました。

ところが、いくら努力をしたってちっとも認められない……。

そもそも自己肯定感が低いまま努力をしたって、何をやったって中途半端で、何も成し遂げられませんでした。しかし心理カウンセラーとして、のべ7万9000件の臨床経験を経たいま、「自己肯定感が低い人の仕組み」が見えてきました。

はっきり言ってしまうと、自己肯定感が低いということは「損な役回りをやらされているだけ!」なのです。では簡単に自己肯定感を上げて「おいしい生活!」をするためにはどうしたらよいのか。

まずは自己肯定感が高い人、そして低い人のある特徴をご紹介しましょう。

自己肯定感が低い人は、ぱっと見ではわからない

たとえば……電車で通勤をするときに「この車両の中で自己肯定感が高い人って、どんな人だろう?」と観察したくなります。

満員電車でみんな詰めて座っているのに、一人だけ踏ん反り返って腕組みをして足を開いて座っているおじさんは自己肯定感が高いのかな? と考えてみます。

前に立っている人も、そのビジネスマンのことを見ないようにしているし、両脇に座っている女性と男性もできるだけ「関わりたくない!」という姿勢で座っているので「この人は大きな態度で、周りの人を威嚇しているのかも!」と思えます。

ぱっと見は、偉そうな態度を取っているから「自己肯定感が高いのかも!」と思ってしまうのですが、よくよく考えてみたら、自己肯定感が高かったら「俺はすごいんだぞ!」なんていう態度をする必要はありません。すると、「このビジネスマンは自己肯定感が低いのかもしれない!」と思えて、面白くなってきます。

今度は、電車の中でヘッドホンをしてスマートフォンでゲームをひたすらやっている学生風の男の子は自己肯定感が高いのかな? と思って観察してみます。

こんなに混雑している電車の中でもゲームに没頭できるんだから、「自己肯定感が高いのかも?」と思ったのですが、しばらく観察してると「あれ?」となります。

もしかしたら、ゲームに没頭していなかったら、将来の不安とか人間関係の問題が次から次へと浮かんでくるから、何も見ないようにしているのかも? と勘繰ってしまいます。

すると、妙に腑に落ちて「あ! この男の子も自己肯定感は低いのかもしれない!」と思うんです。ふだん、電車に乗っていると「私はこの中で、一番自信がなくて、自己肯定感が低いかもしれない」と感じて、周りの人をうらやましく思っていたのですが「あれ? 自分だけじゃないのかもしれない!」と思えてきたんです。
本当に自己肯定感が高い人はどこにいる?

そうしたら、次に「あれ? だったら、自己肯定感が高い人ってどこにいるの?」と疑問がわいてきます。

そこでフッと気がついたんです。

「こんなにたくさん人が乗っているのに、私が全然気にならない人、注意を向けていない人がいる!」

寝たふりをしている人、本を読んでいるふりをしている人、などたくさん気になる人がいる一方で、私がまったく注意を向けていない人たちの存在に気がついたのです。
「自然体」でいられる人は自己肯定感が高い

この、私がふだん注目してしまう人たち以外の人に注意を向けようとしたときに、眩まぶしい太陽の光を見るような感覚になりました。

一見、存在感がない人たちなのかな? と思っていたら、じつは自己肯定感が高くて、「私とは違うタイプの人たち」だから意識が向かなかったのです。そこで、あえてその人たちに注目したら「あ! この人たちが自己肯定感が高い人なんだ!」ということに気がつきます。

その人たちに注意を向けても、まったく不快感を覚えないのです。

むしろ、不快感が一切ないので、すぐに興味を失って不快を感じさせるような人のところに私の注意が向いてしまっていたのです。自己肯定感が高くて、自分が誰からどう見られようと気にしていないから、威嚇もしないし、ビクビク感もない。

過剰に何かに集中している必要もなく、自然体でいられるその姿。自己肯定感が高いから周りの人の言動が一切気になっていなくて、自分の中で平安を自動的に保てちゃううらやましい人たちが、私の死角には存在していたんです。





匿名希望
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誤った「自己分析信仰」が就活生を不安に追い詰める 視線を外側に向けて情報を集めよう

Posted by ななし on 01.2018 記事 0 comments 0 trackback

リンクより引用

この時期になると、「自己分析」に取り組み始める大学3年生もいるでしょう。しかし就活には、自己分析など本来は必要ありません。そんなことをしても多くの学生は「売り込める強みなんてないよ」「俺はこの3年間、何をしていたんだろう」と気が滅入るだけなのです。

「私って過去にこんなに実績を出してきて、いろんな能力を持っているんだ!」と元気になる人は非常にまれです。就活生を不安に陥らせて自己啓発セミナーに導く悪質業者もいますので、この手のサービスとの付き合い方には十分注意すべきです。(文:河合浩司)

社会経験の乏しい学生が「得意なこと」を探しても行き詰る

ひとりでは自分が何者かは分からない
ひとりでは自分が何者かは分からない

もしも自己分析の目的があるとすれば「自分の就業観を深めること」です。具体的な志望企業や職種を考える前に「自分にとって仕事とは何か」「何のために働くのか」「どんな仕事をしたいのか」といったことを整理する準備作業です。

しかし、しばしば本やセミナーで誤って教えられるのは、自己分析は「企業に対する自己PR」のために「自分には何ができるのか」「得意なことは何か」を掘り下げるためというもの。これでは学生は困ってしまいます。

それは当然でしょう。社会経験の乏しい学生が「自分にできること」を考えても、思いつかないのは当たり前。世の中にどんな仕事があってどんなスキルが必要なのかを知らない若者が、思いつく仕事などたかが知れています。人生経験の浅い学生がいくら自分の過去や内面を掘り下げていっても、採用担当者を納得させる答えは出てきません。

最悪なのは、浅い自己分析で導き出された結論に引っ張られて、志望企業などを絞りすぎることです。ただ何となく大手有名企業に入りたい人が、そのことを無理に理屈づけるために「人の笑顔が好き」「人のためになりたい」というのがオチなのです。

「業界」や「職種」の視点で自分なりに調べを進める

そんなことよりも、いまは「どんな仕事をしたいのか」を軽く書き出したら、視線を外に向けましょう。その業界はどの程度の規模なのか、今後成長の見込みはあるのか。業界内にはどんな会社があって、それぞれどんな特徴があるのか等々について調べましょう。

「職種」の視点での情報収集もお勧めできます。例えば「マーケッター」という職種はどんな仕事で、どんなスキルが必要なのか。今後は「就社」ではなく「就職」意識で自分のキャリアを考え、労働市場での評価を高めないと生き残れない時代になるかもしれません。

結果に惑わされると危ないものが、もう一つあります。それは大学で実施する「適職検査」の類いです。これはナビサイトの営業マンが学校に対して売り込むものですが、キャリアの授業で紹介されることがあるので、学生さんたちは有料でも自然と受けているようです。

しかし前述の理由で、これも自身の適職が分かるとは限りません。これらの自己分析はハマってしまうと、やればやるほど不安になります。そして不安に駆られた就活生を、就職支援塾や自己啓発セミナーなどがねらっています。

「友人を勧誘したら紹介料を払う」セミナーには応じるな

私が知っている事例でも、初めは無料のセミナーから始まり、次に入門の4~5万円の有料セミナー。仕上げには20~30万もするようなセミナーまで引っ張ろうとしてきます。挙句の果てには、「友人を勧誘したら紹介料を払う」というものまであります。


「セミナーに勧誘できたら、営業力がある証として面接の自己PRにも使える。だから、ここでその力を磨くのだ!」

という意味不明な言い分があるようです。しかし採用担当者の観点では、友人をお金に変える人を採用したいとは微塵も思いません。面接でこの話をされたら「友人を売った人」として不合格の判断をします。ブラック企業なら大歓迎されるかもしれませんが…。

有料サービスに申し込むときには、社会経験がある人に相談してみましょう。そんなことより、今は同じ就活生として、友人たちと「どんな仕事がしたい?」と語り合う時間を大事にすべきです。

腹を割って話せる相手がいて、初めて言語化するものもあるでしょうし、自分と異なる意見を聞くことも刺激にもなります。話し込むうちに「自分にとって仕事とは何か?」といった人生観に関わることも考えがまとまってくると思います。




華里
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成長実感ばかりを追いかけていると、「一流」へのきっぷを手放してしまう。

Posted by ななし on 01.2018 記事 0 comments 0 trackback
まだまだ視点が自分にむかっているということ

リンク

つい先日、「最近、成長実感がないので、転職を考えてます」という方と話をした。

話を聞くと、彼は現在の会社で4年目、社内での評価は高く、上位2割には間違いなく入っているという。


だが彼は不満をいだいていた。

「この仕事、もういいかなー、って思うんですよね。」

「そうですか?」

「最近は成長の実感もないし、数字を追いかけているだけですからね。つまんないっすよ。」

正直、彼が転職をしたい理由が、成長実感がないことに起因するのかはよくわからない。

単に上司と仲が悪いだけかもしれないし、給料が安いからかもしれない。

だが、成長実感がないことが、大きな不満につながることだけは、私の目から見ても確かだと感じる。

パーソル総合研究所の調査は「成長実感は、その会社で働き続けたい気持ちを上げる」ことを示唆する。

このレポートは、「だから、社員を会社に引き止めるには、成長実感を感じさせることが重要」と締めている。

また、特に男性は30代から40代にかけて、女性は20代から30代にかけて、成長実感を得にくくなる実態がレポートで示唆されている。

「仕事がつまらなくなってくる」「限界を感じる」「転職したくなる」のは、ちょうどこの時期なのだろう。



だがこの「成長実感」というやつは、仕事においては結構曲者だ。

成長実感ばかりを追いかけていると、「一流」へのきっぷを手放してしまうかもしれないからだ。

私にも一つの思い出がある。

新規事業の担当を外れ、ラインのマネジャーをやっていたときのことだ。

新規事業の担当だったときは、毎日が新しいことの連続で、マーケティングからセミナー開催、お客様へのサービス提供までを一貫してやらなければならなかったため、大変に忙しく、また刺激的であった。

当然、成長実感も伴っていた。

しかし、残念ながら成果は思ったほど上がらず、新規事業は閉じられ、私はラインのマネジャーに戻されることとなった。

ところがラインの仕事はすでに仕組みができあがっている。

あまり考えなくても「実直にやっていれば」成果がある程度見込めるものだった。

もちろん、会社の数字への貢献は、新規事業なんぞより、ラインの仕事のほうがはるかに大きい。

「重要な仕事である」と頭ではわかっていた。

だが、わがままな私は、この刺激のない仕事に程なく飽きてしまった。

そこである日、私は上司に

「最近、仕事がつまんないんですよね。成長している感覚もないですし。」

とボヤいた。

上司との関係は良かったので、またいつものように軽妙に切り替えしてくるだろう、そんな感じで何の気なしの発言だったと思う。

だが、上司は珍しく考え込んで、一言、発した。

「刺激中毒だな。」

「中毒?」

「刺激を受けることが、成長につながると思っている人の典型的な思考だよ。」

私は辛辣なその言葉に、何も返せなかった。



この上司の言わんとしたことは何か。

結論から言うと、「成長実感がある」と「成長している」は別なのだ。

むしろ、成長実感があるうちは、真に成長しているとは言えない、と言っても良いかもしれない。

なぜなら、「成長実感」を一番得やすいのは、初期の頃、素人に毛が生えはじめるときだからだ。

どういうことだろうか。


具体的に成長を実感するのは言うまでもなく、なにかの目標を成し遂げた、なにかが新しくできるようになった時だ。

しかし、時が経つに連れ、徐々に成長を実感することは少なくなる。新しいことは、そうそう無いし、自分のレベルも上がってきている。

要は、ある程度成長してしまうと、簡単にクリアできる目標がなくなるのだ。

「新しく目標設定すれば良いじゃないか」という方もいるかも知れない。

だが、ある程度成長した人にとって、「次の目標」というのは、真の一流への道になってしまう。

だが、そういった目標の達成に至る道は、簡単に成長実感が得られるものではない。

「超一流」のゾーンでは、「本質的におもしろくないこと」に延々と取り組みことが要求されるからだ。

例えば、ベストセラーとなったジョフ・コルヴァン著の「究極の鍛錬」にはこうある。

超一流になるための鍛錬は、不得手なものに逐一分析を加えながらしつこく取り組むことであり、「本質的に楽しいものではない」。

もちろん、誰もが「一流」を目指すわけではない。

「楽しい」で止めておき、次々と刺激を求めて転職を繰り返したり、新しいことにチャレンジしたりするのも悪くない。

だが、楽しさを原動力としての成長は、レベルの低いうちには有効だが、ハイレベルの戦いにおいては、楽しさの源泉である「成長実感」を得られるシーンはそう多くはない。

前述した私の上司は、それを直感的に知っており、

私を「何いってんだ、ここからが真の勝負だろう」と諭してくれたのだろう。


つまり、「成長実感がなくなってからが、真の上達のはじまり」と知る者だけが、一流になることができるのである。

「石の上にも三年」という言葉も、案外捨てたものではない。




長曾我部幸隆
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若者が大学を選ぶ理由は「何となく」

Posted by ななし on 20.2018 記事 0 comments 0 trackback
もはや大学を選ぶ理由は、新しい世界への期待感が第一になるのだろう。
「コレを研究したい」「アレを追求したい」という学びという視点は二の次になっている。
23区規制、2018年問題など私学の淘汰圧力を生き抜くための策・実践は欠かせない。それこそ嘗ての「イメージ」の上に怠けていると、有名大学さえ淘汰されていく。今回の明治大学や近畿大学のように発展する大学と淘汰されていく大学の二極化が進んでいくだろう。

若者に響いているのは、「新しい世界への期待感」を感じられるかどうか。それが一過性のものか、本源的なものかは見定めが必要になるが、いかに若者や社会の潮流の本流を掴むかが勝負の分かれ目になりそうだ。

--( リンク )
 親世代の学生時代、私立法学部であれば中央大学、大学単位では立教大学が「MARCH」の序列トップだった。対して現代の学生は「何となく」明治
大学を選ぶ。この「何となく」の正体は何なのか。
 オープンキャンパスで各大学に足を運ぶと、明治は交通の便のいい都心に高層キャンパス「リバティタワー」を構える。かつてのバンカライメージはまるで消え、開放的で現代的で華やかな雰囲気が、勉学、研究においてもキャンパスライフにおいても、高校時代とは異なる新しい世界に導いてくれる期待感を醸し出す。
 結果、現代の学生は「やっぱり明治がいい」となるのである。

「イメージ大学」とやゆされることもあるが、「何となく」イメージを大転換できたわけではない。その裏にあるのは、飽くなき改革だ。
 都心高層ビルというハードが人気を集め、時代に合ったソフトとしての学部を構成する。学生の動機が何であれ、それが向学心を駆り立てるものとなっているならば、結果オーライだ。

■ 23区規制が阻んだ都心最大規模のデータ学部開設
 東京23区内の入学定員規制では、MARCHの中で都心回帰が遅れた中央の移転が間に合うかが注目されたが、実はその裏で明治も泣いていた。
 明治大学学長の土屋恵一郎は一昨年、東京都中野区にある中野キャンパスに都心エリア最大規模の「データサイエンス学部(名称未定)」を開設することを学内で宣言した。AI時代へいち早く、対応しようとしていたのだ。
 総合数理学部を筆頭に、統計学の重鎮、人口論や知的財産の専門家ら既存学部の教員で基本的なメンバーはそろえられる。勝算はあった。しかし、想定外の23区規制に阻まれた。
 だからといって諦めなかった。開設場所を東京23区の外にある神奈川県川崎市の生田キャンパスに変更。ここには理工学部があるので、親和性も高い。

 データサイエンス学部のみならず、建築系や、教養系の学部など開設計画はめじろ押しだ。新看板学部をパワーにして、各キャンパスをもっと強化したかった。ハードもソフトも、もっともっと手を入れたい。となると、カネが要る。
 昔、MARCHの上に君臨する「早慶」において慶應義塾大学は経済界、早稲田大学は政界の人材養成機関と表現された歴史がある。慶應のOB組織で
ある三田会は長い時を重ねて、OBパワーによる圧倒的な寄付金の集金力を磨いてきた。
 対して明治は市民色が強い大学。薄く広く寄付を募るが、容易ではない。それでも早慶に勝るものがある。両者よりも地の利のよい「都心」にあるということ。その資産から財源を生み出すために今、第2リバティタワー建設計画に乗り出している。
 現リバティタワー建設時からツインタワー構想はあった。これをついに実現し、テナント料収入などの不動産ビジネスや、新タワーをベースにした教育サービスなどで収益を多様化し、財源を獲得しようというのだ。
 時代をつかみ、カネをつかみ、大衆の心をつかみ、大学教育を進化させる。それを研究力につなげる。「平成勝ち組」となった「イメージ大学」は、現代の大学における経営および教育改革において、ある意味、模範なのかもしれない。
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takajin
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