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常識にとらわれた就活が、可能性を閉ざす

Posted by ななし on 13.2018 記事 1 comments 0 trackback

リンクより引用します。

ここ最近就活を控えた大学生と話す機会が多く、わたし自身の就活時代についても思い返すところがあったので記しておきたいと思う。

わたしたちの年代(2014卒)は就職氷河期のピークが少し過ぎた頃で、まだまだお世辞にも簡単に内定がもらえる状況ではなかった。(文系はなおさら)そんなプレッシャーもあり、まわりの友人含め「内定取れたらひとまず安心」みたいな空気が少なからずあった。

大学3年生の冬、12月1日に就職活動が一斉にスタートした。
噂によればそれよりも前から就職活動してる人もいたり、インターン先ですでに内定をもらっている人もいると聞いて、とにかく不安と焦りで胸がいっぱいだった。
すでに内定をもらっている人がまぶしく見えて、なぜかわからないけど劣等感を抱いた。まるで自分は社会に必要とされていない人間なんじゃないかと突きつけられているようで。

社会に出てやりたいことなんて、ひとつもなかった。
そもそも、自分が社会にでて何をしたいのかわからなかった。
なんとなく進学して、そこそこの成績をとって、先生に言われた通りのことをこなしてきたのに、自分がこれから何をすればいいのかわからない。

あれ、おかしいな。
社会に出て意義ある人生を送るために学校にいたはずなのに、わたしはその方法を一切知らない。

「好きな仕事をしろ」
「やりがいのある会社に行け」
「あなたが社会に出てやりたいことは?」
就活が始まって、いきなりそんなこと聞かれてもわかるはずない。
だって学校でそんなこと一言も教わってない。考える機会すらなかった。

でも、まわりの友達は面接でスラスラ答えていた。
「こんなの丸暗記しとけば余裕でしょ」
ある友人は、そう言った。

そうか。面接は「企業が求めている答えを事前に準備しておけば受かる場所」なんだ。じゃあ企業が求めている答えを丸暗記しとけば楽勝だ。あとは笑顔と元気があればなんとかなる。
そうやってとにかくみんな、内定をもらうことに必死だった。

「内定がゴールじゃない」
いろんな企業や人に言われた。

でも学校や親に聞かれるのは「面接に受かったかどうか」「良い会社に内定をもらえたかどうか」だ。
そうやって聞かれたら、そりゃ内定をとるために頑張るしかないじゃないか。
だから、内定はゴールじゃないと頭に描きながらも実際の行動はそれとは全く矛盾したものになっていた。

■「社会にでたらどうせ遊べなくなる」というクソみたいな常識
年が明けて少しずつ雪解けが近づくにつれて、だんだん内定をもらって就活を終える人がでてきた。

「〇〇ちゃん、メガバンの内定もらったらしいよ」
「あいつ、第一希望から内定もらったから就活やめたんだって」
そんな噂が毎日のように耳に入ってきた。

不安になるだけなので、なるべく聞かないようにしていたけど、やっぱりどうしても耳に入ってしまう。
だんだんタイムリミットが近づいていることに向き合わなければならなくなっていた。

わたしはまだ、就活の真っ只中だった。
北海道から東京の企業の面接を受けるために、毎週上京した。バカにならない飛行機代も、両親が「今後のためなら」と言ってお金を出してくれた。

そこへの申し訳なさもあり、「早く内定もらって終わらせなきゃ」という気持ちばかりが先行した。
そうして完全に雪が溶ける5月頃、ようやく希望していた会社から内定をもらった。
「わたしはもう報われた、よかった、もう自由だ」
そんな開放感に包まれた。

そのときはまだ就活を頑張っている友人もいた。
応援しながらも、心のどこかではもう就活は他人事で、残された大学生活をどう過ごすかで頭がいっぱいだった。
「社会にでたらもう一生遊べなくなる」という、今思えばクソみたいな常識を信じ込んでいたからだ。

正直、就職することへの期待はほとんどなかったし、不安もそんなになかった。
「社会人生活は、毎日が家と会社の往復の繰り返し」
「会社の仕事はしんどいし大変、でもどこもそんなもん」
たくさんの大人に、そう言われてきたから、就職する前から諦めていた。
就活とは、クソつまらない社会人生活を受け入れるための準備をする場所だと思っていた。

「大人はみんなこの苦しい日常を受け入れなければいけないんだ」と。
進む時間は止められない。だから来春になったら、腹をくくって社会の一員となろう。だからせめて大学卒業までは、自由に遊ぶ時間を作ろう。
わたしの就活は、まわりに流されるまま幕を閉じた。

■これから就活をする人に向けて
今振り返っても、この選択が正しかったのかどうかはわからない。
ただ今の人生に満足できているから、結果的にはこの経験には感謝している。
だけどもっとやれることはあったかもしれない・・・とも思う。

「就活なんてしたくない。でもまわりがみんなやってるから自分もやらなきゃ」
こうした心の奥底にあった不満に、ちゃんと向き合えてたらどうなっていただろう。

「そもそも就職することがすべてなのか?」
「安定した企業に内定をもらうことが本当に正しいのか?」
そんな視点を持っていたら、わたしは社会人生活に違和感を抱き続けなくて済んだだろうか。
(どちらにしろ、わたしは社会人生活の途中で心の奥にあった違和感と徹底的に向き合うことができたので、今はすごく充実した働き方ができているけども)

現在就活中の人、これから就活する人には、ぜひ「就活」そのものの存在を考えることから始めてみてほしい。





月あかり
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マニュアル職・・・転機は?

Posted by ななし on 18.2018 記事 0 comments 0 trackback
マニュアル職・・・コンビニ、チェーン店のバイトというか仕事、一定の割合を占め、常態化しつつある。パート職も同じ。
割り切った仕事としては一時はいいかもしれないが、ずっと固定された同じことをやっている。どこかで転機を求めないのだろうか?

そら結婚どころじゃありませんわ リンク より
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巨大な下層階級、というんだが、「マニュアル職、販売業、サービス業」というんだが、セブンイレブンの店員、すき家の店員、まぁ、そういったところだ。人件費というのは「定額制」なので、どれだけ使い倒しても時給は同じ。仕事量に見合った歩合制だったら、セブンイレブンの店員もすき家の店員もポルシェを乗り回してますw

いま日本の社会は、大きな転換点を迎えている。格差拡大が進むとともに、巨大な下層階級が姿を現わしたからである。その数はおよそ930万人で、就業人口の約15%を占め、急速に拡大しつつある。それは、次のような人々である。
平均年収はわずか186万円で、貧困率は38・7%と高く、とくに女性では、貧困率がほぼ5割に達している。
貧困と隣り合わせだけに、結婚して家族を形成することが難しい。男性では実に66・4%までが未婚で、配偶者がいるのはわずか25・7%である。女性では43・9%までが離死別を経験していて、このことが貧困の原因になっている。生活に満足している人の比率も、また自分を幸せだと考える人の比率も、きわだって低い。
どんな人々か。パート、派遣、臨時雇用など、身分の不安定な非正規雇用の労働者たちである(技能職・建設職など)。仕事の種類は、マニュアル職、販売職、サービス職が多い。平均労働時間はフルタイム労働者より1-2割少ないだけで、多くがフルタイム並みに働いている。

これで人手不足が進行すれば、あるいは「歩合制」というのも出てくるかも知れない。都心ではセブンイレブンの給料ではとても暮らせないので、人が集まらない。凄く単純な話で、中国人やベトナム人の雇用を禁止すれば、賃金のアンカーになっている低賃金労働者がいなくなり、引き上げを迫られる。移民だ、研修生だというのが、日本人の賃金を上げさせないための存在だと気が付かなきゃ。日本はアジアから貧困を輸入し続けているのだ。
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引用以上




匿名希望
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机上の自己分析は不要。人との関わり合いの中で、学ぶのが自己分析の本質

Posted by ななし on 06.2018 記事 0 comments 0 trackback
今年度もこれから就職活動のピークを迎える。
例年にならい、学生が行う「企業研究」と「自己分析」。

企業研究は、まさに相手(企業)を知り、相手(企業)の志(理念)に深く同化する過程。対象企業と一体となって、力を解放していけそうか、そのための追求。

一方で、自己分析。学生が必死になって取組むわりに、大した成果が出ていない。むしろ、「自分のやりたいことを見つけよう」、「自分の活かせる職」、「経験を仕事に」など、対象不在で、視野狭窄に陥っている状況が多い。

では、就職活動を前に、意味のある準備はどうすればよいか。

参考になりそうな記事があったので、引用します。
~「本当の自分探し」にハマる就活生が急増中!なぜ自己分析にこだわる学生は、内定が出ないのか~
リンクより引用。


・・・引用開始・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

~前略~

「私は10年以上前から机上の自己分析などする必要がないとずっと就活生に言っていました。そもそも社会で仕事もしていないのに自己分析なんかして、自分に何が向いているとか向いていないとか分かるわけがありません。」
「野球もしたこともないのに野球の本を読んで自己分析して自分が遊撃手に一番向いているとか投手が向いているとか分かるはずもないでしょう?それと同じです」

確かに。

~中略~

「実は自己分析なんて、人は毎日しています。人との関わり合いの中で、教えてもらったり気づいたり、それをどう活かすかが大事です。机上の自己分析なんてやめて、お友達と夢を語り合ってください。」
「その方が、遙かに意味ある時間を過ごせると思います。人との関わり合いの中で、分かるのが自己分析なのです。本なんかで分かるものではありません」

・・・引用終了・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人との関わり合いから、気づき、学びを繰り返していく。
結局、周りからの評価で、自分自身の本当の姿が見えてくるのが本質。

机上の自己分析で視野狭窄にならずに、周りの人とどんな仲間関係で、自分にはどんな役割があるのかを追求する方が、よっぽど意味がある。





小熊耕平
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なんでもネット,スマホで調べてしまう危険性

Posted by ななし on 30.2018 記事 0 comments 0 trackback
>勉強しても台無しに!? 「スマホと学力低下の因果関係」331976

最近思うことですが、若者をみていると、仕事で「探索する」「調べる」そういう力が弱くなったなと感じます。学力低下という以前に、「探索する」「考える」・・・基礎的な思考が何か失われている。そういう感覚です。

インターネットが登場した時は、本当に便利になったと感じました。さらに、スマホに至っては、常に肌身離さず持っているわけですから、何かわからなければ調べることができる。自分自身もその凄さを感じたことがありました。

ところが、よくよく考えると「なんでもネット,スマホで調べてしまう」そういう環境は、

・探索しなくてもネットやスマホが調べてくれる
・別に覚えなくてもネットやスマホでその時に調べればいい
・答えを自分で考えなくてもネットやスマホが教えてくれる
・判断をしなくてもネットやスマホが教えてくれる

こんな意識になりはしないか。自らの頭で探索したり、考えることさえしなくなってしまうのではないか。だから、仕事場面でわからないことがあっても、なかなか探索に向かうことができない。若者だけでなく、大人にとっても同じかもしれません。

改めて、この状況に頼りすぎる危険性を感じます。




小平健介
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なぜ20歳の大学生の多くが「安定」を望むのか?親の影響よりも大人へ感じる不整合感が要因

Posted by ななし on 30.2018 記事 0 comments 0 trackback
一昔まえ活躍した大人たちが持っていた「良い企業に入ればいい生活を送ることができる」という考えを、現代の子どもたちに押し付けるからこそ、みな「安定」を望むのかと思っていましたが、実際はそうでもないかもしれません。

リンク

---------以下、リンクより引用----------


■地震に耐えるキャリアを作ろう

えーとね、要は「学生時代の僕が聞きたかったであろう話」がテーマだったのです。

で。まだ社会人になる前の子たちに伝えたい話として「地震で倒壊しない建物=キャリアを作ろう」ということがありました。

これはどういうことかというとね。
地震に強い建物ってのは、地面といっしょに「揺れる」んですね。地面が揺れても建物がピクリとも動かないと、基礎や構造が壊れてしまうのです(←むかし建築家の黒岩さんと都市計画の仕事をしている時に習った)。

今僕たちが置かれている社会状況ってのは「地面が揺れ始めた」状態。

そういう時に「安定を求める」というのは得策ではないと。むしろ社会の地殻変動とシンクロして「適切に揺れる」状態を仕事を通してつくっていくことが「何が起きてもサヴァイブできる力」を養うと思うのだな。

「安定」だけを求めて、既得権のメンテナンスだけをする職種や、社内の特殊な政治に時間を使うような大企業に就職すると、使い回しのきくスキルの積み上げが難しかったりするので、本当に大きな地殻変動が起きたときに倒れてしまう(おじさんはそれでも逃げ切れるかもしれないが、20歳のキミは違うんだ)。

なので「安定を求めて就職先/職種を選ぶ」という固定概念はきれいさっぱり捨てて、キャリアを通して何らかの能力を自分個人に「積み上げていく」という生き方をするのがオススメだよ、ということを話してきたんだけどさ。

■安定を求める学生が多すぎてビックリしたぜ!

それでね。授業終了後のアンケートを読んでビックリしたんです。

「私は今までちゃんとした企業に就職して、レールにのって生きることが当たり前だと思っていました」的な感想があまりにも多いことよ(信じられないことに、半分以上のアンケートにこういうことが書いてあった)。

お…お前ら、マジか!?
マジでそんなこと信じているのか!?

マーケットやビジネスモデル、雇用制度の再編は、今まで「既得権」だと思っていたものに激しくプレッシャーをかけ始めている。そういう情勢はちょっと大学の外に環境を見回せばすぐわかるはずなのに。「そんなことヒラクさんに言われなくても当然のように知ってましたわ」というヤツが一人ぐらい出てきてもいいんじゃないの?

まったく若いヤツは世間知らずだ。
こんなヤツらに社会の未来は任せられん。
(…と嘆くようになったら、それはしょうもないおっさん)

「状況が急変する時代に、なぜか反動的に安定を望む若者」という状況は、いったい何を意味しているのであろうか。それは「若者が『はたらく』ということに対して絶望している」という事の裏返しであるとヒラクは思うのです。
「安定を望んでいる」というのは本心の言葉ではなく、「親や先輩みたいに、苦役のような仕事を何十年も続けて磨り減る人生はまっぴらごめん」だというのが本音なのであるよ。

「仕事は苦役だ」という前提に立つならば、「どうせやんなきゃいけないんだから、ラクしたい」と思うのが当然。そもそも期待していないものに好奇心を働かせてリサーチするなんて無理な話だと思うんだよね。

「いやいややるんだから、リターンが保証されているものじゃないとやってられないよ」

という諦めの念が、「安定したい」という願望に変換されて出力される。

「感度の高さ」と「抑圧」があわさってねじれた願望が生まれる
この責任は、ひとえに僕たち先輩にある。

僕たちが彼/彼女たちに「いやいや、はたらくってのもいいものなんだぜ」ということを真摯にプレゼンできなかったことが、この事態を引き起こしている。

鳥井くんが書いているように(リンク)、20歳の子には「感度の高さ」と「不快なものを押し殺す力」が同居している。「この社会はロクでもない」ということを認知するアンテナと、「それでもガマンして受け入れる」という無意識な抑圧が、「変化する時代に安定を望む」というねじれた願望をつくりだす。

さて。僕は、彼らに対してきちんと反論できるのだろうか。



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匿名希望
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