社会人になって純粋に遊べなくなった【これでいいの20代?】

Posted by ななし on 09.2017 記事 0 comments 0 trackback

リンク
東京で就職したら人生は絶対に楽しくなると思った。なぜかというと、働いてる人は学生と違って遊べるお金があるし、東京には遊ぶ選択肢がたくさんある。

実際に社会人になってみたら、人生は思ったほど楽しくなかった。もちろん友だちと飲みに行ったり映画を見に行ったりしたけど、週末にしかできない家事もあったから映画館や美術館に思ったほど行けなかった。週末遊びすぎて疲れると、月曜から仕事がちゃんとできないから、飲み会のときは早めの時間に帰るようにした。二日酔いになったら大事な休日も無駄になるため、金・土は飲みすぎないように心がけた。

遊べるお金はあったけど、純粋に遊ぶことが難しくなった。

会社の同僚はどうなんだろう?人生を楽しんでいるのか?「週末をどう過ごしてますか?」と軽く聞いてみた。「疲れてるからあまり外に出かけない」。予想は的中、みんな休日を十分に楽しんでいなかたった。一番びっくりしたのは結婚して子供を持っていた人たちの回答だ。「そうね。最近友達たちに会ってないね」。家族を持ったら友達に会えなくなる?そんなのつまんない。その時の自分にとっては友達が何よりも大事な人間関係だったから信じられなかった。

社会人になって本当に自由に楽しく遊ぶことってないのか。

ある日、友達のちひろから連絡があった。今度東京に来るらしい。学生時代の昔話ができるちひろみたいな友達と一緒だったら休日も本当に楽しく遊べるはず、と思った。

ちひろは大学時代からの友人だ。私が大学の図書館で「相対性理論」というバンドを調べていたら隣に座っていたちひろにいきなり声をかけられた。

「相対性理論好きなんですか?」

ナンパかと思ったら彼が単純に相対性理論が好きで知ってる人に会うのが単に嬉しかっただけみたいだった。それがきっかけで友達になった。

ちひろは一見、典型的なオタクだった。スポーツが苦手、よく引きこもって本を読んだりしてた。普段は真面目な顔をして若干無愛想だったが、嬉しいとき歯を見せずに口の端を上げて目を輝かして笑った。そのときだけ、彼の静かな優しさが見えた。

私は東京に引っ越したけど、ちひろは映画研究をするために地元の大学院の人文社会科学研究科に進学した。アルバイトをして自分で学費を払っていたけど、まだ家族と一緒に狭いマンションに住んでいた。私が東京に引っ越して数カ月してからちひろはやっとなんとか東京に来るお金を貯めてフィンランドの伝説映画監督、アキ・カウリスマキ監督特集を見に来た。

ちひろは土曜日の午後にきて、一緒に「パラダイスの夕暮れ」を見に行った。終わったら、飲みに下北に向かった。電車の中でイヤホン半分こにしてフィッシュマンズを聞いた。渋谷で乗り換えて岡本太郎の「明日の神話」の前を通ったら、ちょうどフィッシュマンズの「土曜日の夜」が流れた。音楽と巨大の絵の破壊的な迫力で息が止まった。逆方向に歩いていた人たちにぶつからないように改札に急いだ。落ち着かない。明日、世界が滅びるかもしれないけど、今夜を楽しもう。





匿名希望
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ
スポンサーサイト

限界を超えて働き続ける人々の「悲しみと痛み」

Posted by ななし on 30.2017 記事 0 comments 0 trackback

リンク

終電まで続くサービス残業はもはや日課で、会社のために身を粉にするのが美徳。今の世の中で、それが推奨されることはないでしょう。しかし、まだまだ「社会の闇」が存在するのも事実だと思います。
もう、働くことに疲れた……。もし、こんな悩みをもつ人がいたら、画家である石田徹也さんの絵を見てください。人々の「悲しみと痛み」を表現する彼の絵は、自分の心と向き合うキッカケになるかもしれません。
そっと、本当の自分を隠す

作品名「引き出し」/1996年に制作
人知れず自分を葬り去る前に、なんとかしないと…。
楽しい食事ってなんだっけ?
C98ac6d6411e562296776e9f5fe8870b44f428ed
作品名「燃料補給のような食事」/1994年に制作
ただ、お腹が空いたから食べるだけ。楽しい食事を忘れてしまった。
負け戦

作品名「兵士」/1996年に制作
武器も気力もない。兵士のように戦い続けることが正しいのか。
あなたに全てを捧げます

作品名「社長の傘の人」/1996年に制作
社長のために、今日もせっせと働く日々。
全身全霊で
Eb84374c6530c2fc3631e4867ac9dffeb048fdd9
作品名「大車輪」/1995年に制作
身も心もバラバラですが、全力で走り続けますよ。
忘れてしまった

作品名「飛べなくなった人」/1996年に制作
空を飛びたいけれど、もう飛び方すらわからない。
癒しの空間

作品名「トイレに逃げ込む人」/1996年に制作
ここが、唯一の安全地帯。
ただの部品ですから

無題/1997年頃に制作
闇雲に頭を下げているうちに、人間ではなくなってしまった。
淡々と

無題/1995年に制作
マニュアル通りに話せばいい。頭を使う必要なんてないんだから。
求められるのはスピード

作品名「SLになった人」/1995年に制作
とりあえず、早く走ればいいんでしょ?

作品はすべて、1990年代から2000年頃に制作されたものです。それでも、現代に疲れてしまった人たちにとっては、共感できることが多いのではないでしょうか。絵の中のサラリーマンのようになる前に、じっくりと働き方を見直すのもいいかもしれません。
少し先の話ですが、今年の12月から平塚市美術館の企画展で、石田さんの作品が4点展示されることが決まりました。以下の情報をチェック。





大川剛史
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ

3年で離職率3割は20年前から変わらない

Posted by ななし on 20.2017 記事 1 comments 0 trackback
20年前から離職率は変わらない。

人々の意識を受けて会社も体制を変えているのでしょうが、なかなか擦りあわない状況のようです。
会社と労働者という関係に普遍的な不整合があるとしか思えません。


若者が会社を辞める理由は? -ちなみに20年前から離職率は変わらない。
(リンク)より引用

---------------------以下引用---------------------
1.今の離職率と昔の離職率を比較してみた

今、若者の離職率が高いということで、なぜすぐに若者は会社を辞めるのか、などという論争はよくありますよね。そもそも離職率って昔はどうったんだろうと思って調べてみるとこんな興味深い記事がありました。


若者離職率は20年以上前から変わっていない
若者が就職して3年以内に離職することを指す「7・5・3」現象は、実は1990年代前半からともいわれる。昔は、精神的にはタフな若者が多かったものの、いま以上に就労環境が非常に過酷だったり、職選びのインフラが不十分だったりということもあって、離職率は今とあまり変わらない。しかしその質を考えれば、十分な就活インフラが整備された状況下での現在の高離職率には、深刻な問題が内包されている。景気低迷による求人数の低下はもちろん、行き過ぎた売り上げ至上主義による過酷なノルマ負荷。経費削減による人材育成の貧弱化など、である。ブラック企業はその象徴のように扱われているが、日本の将来を考えると、現状の若者離職率の高さは、企業の存亡危機の顕在化ともシンクロし、看過できない深刻な問題と捉える必要がある。

参考文献:瓦版

なんと若者の離職率は20年以上も前から変わっていないそうです。ちなみに上記文章は大卒3年以内の離職率データを元に書かれていました。なのでここでは若者の定義を大卒3年以内とします。現在、厚生労働省が出している資料(リンクを見てもやはりそうでした。20年以上前から若者の離職率は変わっていないというのは事実。20年前というと1996年です。大学卒業が23歳ぐらいなので、20年前に大学卒業した人は現在43歳。大卒3年以内と考えると43~45歳ぐらいということになります。「最近の若者は・・・」と言っている人も大卒3年以内に会社を辞めていた可能性が十分にあることが判明。

ただ参考文献の瓦版さんの記事の通りであれば、同じ離職率でもその質は変わってきているということらしいです。ただ参考文献は若者を批判するものではなく、環境があまりよくないという内容でまとまっています。「最近の若者は・・・」という人たちは何なんでしょうか。ちなみに僕は30超えているので、ここでの若者の定義には当てはまりませんし、おそらく一般的に言われる若者という枠にももう入らないのかと。。

参考までに各年代の大卒3年以内の離職率はこちら。近年、若者の離職率が下がってきている模様です。
1987年~1994年:24%~28%
1995年~2006年:32%~36%
2007年~2012年:29%~32%
*おおよその数値
(後略)
---------------------引用おわり---------------------



松下晃典 
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ

なぜ、こんなにもニッポンの若者たちは"自殺"するのか?

Posted by ななし on 13.2017 記事 0 comments 0 trackback
リンク

先日「2017年版 自殺対策白書」が公表され、若者の自殺率の多さが国際的にみてもかなり深刻であることがわかった。

若者の自殺率の高さはこれまでにも問題視されてきたが、特に20代では死因の半数を「自殺」が占めるなどかなりの衝撃である。

「若いんだから病気にはならない。自殺が一位って普通でしょ?」という意見もあるが、これは間違い。

先進国の「自殺」と「事故」の割合は......

日本 17.8 : 6.9
フランス 8.3 :12.7
カナダ 11.3 :20.4
米国 13.3 :35.1

欧米の主要国の同年代の若者は事故死のほうが圧倒的に多いのである。

そもそも自殺は2つ以上の理由(ストレス要因)が重なったとき起こりやすいことが
わかっているが、20代の場合「人間関係」に関する悩みが多い。

また、自殺者の98%が、うつ病など精神疾患に罹患していることが数多くの調査研究から確認されている。

奇しくも、先日。世界保健機関(WHO)は、世界でうつ病に苦しむ人が2015年に推計3億2200万人に上ったと発表した。

これは全人口の約4%に当たり、05年から約18%増加。

今後は5人にひとりがかかると警告すると共に、若年層の自殺増にもつながっているとして、早急な対策が必要だと指摘している。

なぜ、うつ病が増えているのか? 

格差社会、グローバル化、貧困、薬の多用など、いくかの問題が指摘されている。また、「個人の資質」とする意見もあとを絶たない。

しかしながら私自身は、「自殺は個人の問題ではなく、社会の問題」という立場だ。これまで行ってきた研究でも、確かに性格傾向と精神疾患との関連は認められたが、それはあくまでもリスク要因でしかない。

だって、人は「生きるため」に生まれてくるわけで。だからこそ誰が教えずとも必死に立ち上がり、歩こうとするのだ。

赤ちゃんには生まれてから数時間で母親を見つめたり、表情を真似るようになるなど、身近な人と関わりを持とうとする本能がある。

未熟な肉体で生まれてくる人間は、誰かの世話なくして生きていくことできない。

そこで赤ちゃんはにっこり笑うことで、「私は生きています。私が健康で生きられるように、手助けしてください」と他者とコミュニケーションをとる。

生まれて3カ月の赤ちゃんが「ニコッ」とする仕草は、"3カ月微笑"と呼ばれるが、これこそが赤ちゃんが最初に身に付ける「社会性」なのだ。

つまり、どんなに個人的リスクを抱えている人でも、人は環境でかわる。死にたくて自殺する人はいない。

生きたい、でも生きられない。だからしかたがなく、死、という悲しい選択をしてしまうのである。

では、どんな社会(=環境)であれば、人は生きる力を持ち続けられるのか?

ヒントになるのが、パプアニューギニアのカリル族だ。

ここではうつ病になる人も、自殺をする人も一切確認されていない。

カリル族の人たちには、「その人の価値観を受け入れる」文化がある。

例えばブタのように、もし自分にとって価値あるものを失った場合、その喪失感を部族全体で埋めるための儀式が行われる。

「あなたは大切なものを失ったのですね。そのことを私たちは分かっていますよ。私たちでは物足りないかもしれないけれど、何とかそのあなたの開いた心の穴を埋める手伝いをさせてください」

と歌をうたい、踊る。

つまり、人はみんな違う、と。私にも大切なのがあるように、あなたにも大切なものがあるのね、と。

そして、その人と共に「大切なもの」を弔い、寄り添う共同体が存在するのだ。

「人はみな違う」
言葉でいうのは簡単である。

でも、実際にそれを受け入れるのは難しく、成熟社会でなければ「みな違う」と認め合うことはできない。

市場経済のど真ん中で暮す私たちは、成長ばかり目指し、成熟することを怠ってきたのであるまいか。

市場経済では、おカネが絶対的な価値を持つものであったとしても、人間にとっては、人それぞれに価値のあるものが存在する。

カネ=価値 となった途端、良い大学を出て、良い就職をし、たくさん稼ぎ、良い暮らしをすることが、価値あるものになりがちである。

「ひとそれぞれだよね」だの、「価値観が多様化している」とう文言はよく聞くけど、
まるで国葬のように、同じリクルートスーツを着た若者たちが就活戦線に挑み、
たった一回でも失敗すればレールから外され、
勝ち組だの負け組だの、何を基準にいってるのかわからないグルーピングが行われている社会の、いったいどこに「それぞれ」だの「多様化」があるというのだ。

違いを認めあえない社会とは、共同体が破壊した社会でもある。

自殺は「追いつめられた末の死」であり、「避けることのできる死(avoidable death)」————。

LGBT、貧困、マイノリティの人たちと一緒に生きて行くことも、成熟である社会であることを忘れないで欲しい。



やおよろず
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ

人を殺さない代わりに、自殺していく若者たち

Posted by ななし on 13.2017 記事 0 comments 0 trackback
リンク

人を殺さない代わりに、自殺していく若者たち

>>20代の自殺死亡率は近年増加傾向にあり、2009年には13.3%だったものが、2011年には24.3%、2012年は22.5%と高い水準が続いている。

若い世代の自殺は深刻な状況にあり、20~39歳の各年代における死因の第1位は自殺との調査結果が出ている(厚生労働省2011年「人口動態統計」)。国際的に見ても、15~34歳の世代で死因の第1位が自殺となっているのは先進7カ国では日本だけで、その死亡率も他の国より高いという。

なぜ若者が自殺していくのか。それは、彼らが暴力性を「内」に向けているからです。

若者世代が被っている不条理は、たしかに高度経済成長期よりも強烈なものでしょう。経済成長は停滞し、社会には問題が噴出し、さながら下りのエスカレーターを駆け上っているような状況です。

人は不条理に直面したとき、心の中に鬱屈したエネルギーを抱えます。そのエネルギーはどこかに、何らかのかたちで吐き出されたり、消滅されたりしないと、暴力的な形で噴出します。

それはたとえば、「ヘイトスピーチ」にも見られるでしょう。新大久保でヘイトスピーチを繰り返す彼らは、この世の不条理に耐えられず、ああいった攻撃を行っているのです。事実、「ネットと愛国」の著者、安田浩一氏が指摘するところによれば、ネット右翼の文法は「被害者意識」であるそうです。


>>「連中は社会に復讐してるんと違いますか?私が知っているかぎり、みんな何らかの被害者意識を抱えている。その憤りを、とりあえず在日などにぶつけているように感じるんだな」(元・在特会会員)

語弊がある言い方ですが、ネット右翼は鬱屈したエネルギーを他者に向けている分、まだ健全です。自分が悪いのではなく、社会が悪い。この論理をもってすれば、「自殺」することはとりあえずありません。




しかし、自己責任を過剰に抱え込んでいたり、また、エネルギーのはけ口を持たない善良な弱者は、不条理に直面したとき、その暴力性を自分に向けて解き放ちます。それが、自殺という現象です。

友人の父が、「日本は自殺が多いけど、その分、人殺しをしない国だ」と語っていたことを思い出します。「他人に迷惑をかけてはいけない」という道徳を刷り込まれたぼくらのなかには、負のエネルギーをどう社会に発散していいのか、わからない人たちも多いのです。

これから社会が困窮していくにあたり、ますます全体の攻撃性は高まっていくでしょう。ネット右翼も今はまだ鼻で笑っていられる存在ですが、このまま放置すれば、彼らはテロ集団になってもおかしくありません。

その裏では、自分に対して暴力的に振る舞う人もまた、増加していくでしょう。各種の対策によって自殺者数は減っていますが、依然として多い水準ですし、また、これは一時的な減少に過ぎない可能性も高いです。

自殺者の増加に関していえば、ぼくは多くの若者に「あなたが不遇なのは、自分の責任ではなく、社会の制度が悪い」ということに気づいてもらいたいです。自分の命を絶つくらいなら、それを不器用でも、社会制度の改善に向かわせるべきでしょう。

このとき大切なのは、現状の問題は、誰かの悪意というよりは、むしろ善意や無関心が集積した結果として、発生していることに気づくことです。官僚も政治家も、企業家も、それぞれが正しいと信じることを行っています。彼らもまた、ゲームルールに則って活動しているのです。悪人がいるとしたら、それは、ゲームルールが生み出します。なら、ゲームルールを変えていきましょう。

暴力性を、自分ではなく、社会制度の改善に向けましょう。難しい実践かもしれませんが、これは自分と社会を救う考え方です。



やおよろず 
にほんブログ村 政治ブログ 世直し・社会変革へ
 HOME