80年前の「君たちはどう生きるか」が売れている理由

Posted by ななし on 08.2018 記事 0 comments 0 trackback
80年前の「君たちはどう生きるか」という児童書が200万部を超えるベストセラーとなっている。

かつての学歴・大手信仰が崩れて、生き方そのものに悩みを抱える現代人の心に響いているのかもしれない。

以下リンク
NHKニュースより

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物語の主人公は、中学2年生の「コペル君」。
いじめなど、学校で起きる出来事に、どう向き合うか悩んでいます。

“どうすればいいのか、わからないんだ…。”

そんなコペル君にアドバイスするのが、近所に住む“叔父”です。
叔父さんは、コペル君とやりとりするノートに、悩みと向き合う、さまざまなヒントを書いてくれます。

“世間の目よりも何よりも、君自身が、まず人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。”

自身も愛読者だという、コピーライターの糸井重里さんは、今、この本が大人たちの共感を集める理由について…。

コピーライター 糸井重里さん
「“力のないエリート”が、いま増えている、日本中で。
いろいろ分かりたいし、分かっているけど、自分に何ができるかにつながらない。“これから君どうするの”って、問いかけられている。」

80年前の名作が、今の時代に問いかけるものを見つめます。

大学1年生の目野登生(めの・とうい)さんです。
入学はしたものの、将来何をしたいのか分からないまま、勉強を続けることに悩み、今は休学しています。そんな時、『君たちはどう生きるか』を手に取りました。

目野登生さん
「いい大学を卒業して、大企業に勤めて定年まで働くとか、ひとつの正解みたいなものが崩れてきているんじゃないか。
そもそも何をしたいんだっていう、根本の部分から問いかける本だったので、自分の中に刺さった。」

(中略)

原作者の息子 吉野源太郎さん
「考え続けることは、自分の生きている証し。
(父は)最期まで、この本を書いたときのように、七転八倒、のたうち回りながら生きていた。」

悩み、考え続けたコペル君が一歩を踏み出し、走り出すラストシーン。
そこには、原作者・吉野源三郎からのメッセージが添えられています。

“最後に、みなさんにおたずねしたいと思います。
君たちは、どう生きるか。”

小郷
「この『君たちはどう生きるか』、宮崎駿監督が同じタイトルで新作を制作すると発表したことでも話題なんですけれども、二宮さんも読みました?」

二宮
「読みました。もともと10代のころに原作を読みまして、予備校に通っていた浪人時代、まさにどう生きるか悩んでいた時期なんですけれども、考える一方で、ちょっと難しくてピンと来ない部分もあったんですが、今、30代になって漫画を読んでみると、いろいろ経験もして、人間関係も知って、“あっ、叔父さん、こういうことを言いたかったのかな”というのが、なんとなく理解できるようになってくる部分もあって。
だから、児童書ですけど、大人が手に取る気持ちというのは分かりましたね。」

小郷
「すごく深い内容だなと思ったんですけれども、本に答えというのは、全然出て来ないんですけれども、常に自分自身に問いかけられている感じがあって、本の中にすごくいろんな悩んでいる時のヒントが詰まっているなと。
何か突破するきっかけになりそうな本ですよね。」

二宮
「今回のヒットについて、原作者の息子の吉野源太郎さんは、『先行き不透明な今の時代と、戦争に向かっていた当時の不安定さに重なる部分があるからではないか』と話していました。」

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匿名希望
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なぜオジサンは「孤独」の犠牲者になりやすいのか

Posted by ななし on 08.2018 記事 0 comments 0 trackback
人間に限らず、集団生物(動物とするのは狭義と考えます)は、人とのかかわり無くして生きて行くことはできない。それは肉体的に存在できるか否かではなく、共認動物として存在し得るかという問題である。

 現在の日本は、高齢者だけではなく、家庭環境の問題などから孤独に苦しめられている人が増えている。しかし、その状況の中で苦しむ一部の者しか現実に目を向けず実態を把握していない。

 そのような状況に問題提起するニュースがありました。決して他人事ではなく、今身をゆだねている環境や組織から離れた場合に向けて、どのように生きて行けばよいか考えさせられます。

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なぜオジサンは「孤独」の犠牲者になりやすいのか
リンク
(前段略)
岡本: ホルトランスタッド教授は30万人以上を対象に調査したところ「社会的なつながりを持つ人は、持たない人に比べて、早期死亡リスクが50%低下する」といった結果を発表しました。孤独のリスクは、(1)1日タバコ15本吸うことに匹敵、(2)アルコール依存症であることに匹敵、(3)運動をしないことよりも高い、(4)肥満の2倍高い、と結論づけているんですよね。また、友だちが多い人は、ほとんどいない人よりも長生きすることが分かってきました。

 結婚しているから、家族と一緒に暮らしているから、自分は孤独ではない……と必ずしも言い切れません。物理的に孤立していることと、孤独を感じることは違いますよね。独り暮らしをしていても、友人や近所との付き合いに積極的で、孤独感を覚えない人もいる。「結婚していない、独り暮らし=孤独」という構図ではなくて、意味のあるつながりや関係性を築いているかどうかがポイントになるのではないでしょうか。

 OECD(経済協力開発機構)の調査によると、友人、同僚、その他コミュニティの人と「ほとんど付き合わない」と答えた日本人は15.3%で、加盟国中でトップだったんですよ。こうしたデータから何が見えてきたのか。日本は孤独という「国民病」を患っているのにもかかわらず、それに気付いていません。

土肥: 現在、孤独に悩んでいるのはどういった人が多いのでしょうか?

岡本: オジサンですね。OECDの調査によると、日本人男性の16.7%が「友人や同僚もしくはほかの人々と時間を過ごすことができない」ことが明らかに。この数値は、21カ国の男性中、最も高い。また、ロンドン・スクール・オブ・エコノミストの研究者は「50~70歳の日本人の多くが孤独を感じていて、特に男性は重大な問題だ。男性の場合、『仕事』か『家庭』かの選択肢しかなく、配偶者やパートナーがいるかいないかで人生の満足感や健康が大きく影響を受ける」と分析しているんですよね。
 65歳以上の男性は、会話の頻度が低く、困ったときに頼れる人がいなくて、近所付き合いをしていない、といった調査結果があります。また、40~60代男性の自殺率が高いデータもあります。

土肥: データに追い詰められそうですが、そもそもなぜオジサンは孤立するのでしょうか?

岡本: 「コミュニティ」と「コミュニケーション」に問題があるのではないでしょうか。日本の場合、労働文化がかなり影響していて、会社に就職して定年まで同じところで働き続ける。村社会の中でずっと生きていると、その場所を奪われたときに対応するのが難しくなるんですよね。

土肥: あっ、でも、いまは65歳まで働く人が増えていますし、定年後も違う会社で働く人が増えているような。

岡本: おっしゃる通りですが、問題点も多い。60歳になると待遇が下がって、嘱託や非正規雇用で働かなければいけません。そのような制度の中で、やりがいを失っていくオジサンが多いんです。若い人から邪魔者扱いされ、自分の存在価値を見失う。さらにやる気を失うといった負のスパイラルに陥ってしまうケースが目立ってきました。
 オジサンが失いたくないのは仕事ではなくて、名誉や自分の存在価値ではないでしょうか。学校を卒業して、ずっと同じ職場で働いてきました。なぜそうした働き方をしてきたかというと、承認欲求を満たされてきたからなんですよね。上司に評価される、同僚から認められることが、生きがいと感じている人は多いはず。

土肥: 日本には定年という大きな壁がある。一定の年齢になれば「はい、終了」という感じで、スキルがあっても、健康であっても、本人にやる気があっても、働くことができない。働くことができても、大幅に給料が下がってしまう。そしてやる気が失われて、朝から図書館に通うことに。でも、定年して20年も30年も図書館に通い続けるわけにはいきません。なにかいい方法はないですか? そうだ! オジサンでも活躍できる場があればいいのでは?

岡本: 日本には第三の場所がほとんどありません。女性はコーヒー1杯で延々としゃべることができる。ああでもない、こうでもない、そうだね、こうだねと。一方の男性は違う。スポーツができるところ、趣味ができるところ、仕事ができるところといった感じで、共通の目的がなければコミュニケーションをとることが難しい。であれば、オジサンが集まる目的と場をつくればいいのではないでしょうか。
 例えば、英国。男性の孤独対策として「Men's Shed(男の小屋)」という場があるんですよね。ここで何をするのか。部屋に木材やドリルなどDIYに必要な工具がそろっていて、そこでオジサンたちは作業ができるんです。私も現場に行ったとき、オジサンたちが「このネジはどうしたらいい?」「そこはこう削ったらどうか」といった会話をしていました。こうした場所は、英国で400カ所以上もあるんですよね。
 日本でもこうした場をつくれるはず。例えば、商店街。シャッターが下りている店舗で、日本版「Men's Shed」のような仕組みを導入してみてはどうでしょうか。

(次のサイトにも続きます)
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じゃがじゃーが
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人生は、「覚悟を持って、えいや! で選びましょう」

Posted by ななし on 07.2018 記事 0 comments 0 trackback
就活も、人生も、自分では決められない。。
そんな人が増えているように思います。
自分で生きる、自分で決めると「えいや!」で選ぶ、腹を括る気持ちが、まずもって必要なのでしょう。

リンクより、引用させていただきます。

■答えはない。えいや!で選ぶ。自分で選ぶ。
Q:社会が多様化する中で、「選択肢」も多様化していると思います。確実に「正解」と言えるようなものはなく、個人が各々で「正解」を決めていくことができるようになりました。どのようにして「これが正しい選択だ」と決めていけばよいのでしょうか?

A:多様な選択肢の中から「正しい選択」をする方法ですか……これは難しいですね。
まず結論からいうと、正しいかどうかは、選んだ後もわかりません。人生一度しかないので、「A社よりB社に入っておけばよかった」というのは比較しようがないんですよね。
なので、自分の選択が正しかったかどうかは未来永劫わかりません。もうね……「えいや!」ですよ。

正解はわからないけど、幸せになるためには主体的に選ぶこと。
「誰かが言っていたから」という基準で選んでいる限り、いつまでも自分で責任をとらずに他人のせいばかりにしてしまいますから。
でも、自分で選んで、「責任はすべて自分がとるぞ」「失敗したら転職すればいいんだ」という覚悟ができると、何を選んでも後悔することはありません。

みなさん、部活とかもそうだったでしょ。その選択がよかったかどうかは、本当のところわからないんです。あとからなんとでも言える。
自分は一人だけ。他人に正解は教えてもらえません。えいや!で選ぶんです。その覚悟を持てるかどうか。これが人生の楽しみ方です。
「仕事ってそんなに大変なんですか?」

Q:仕事ってそんなに大変なんですか?

A:<青野>この質問はすごいな(笑)。むしろ社員のみんなに聞いてみたいんだけど。明石さん、どう?

<明石>
うーん、「大変」というのが何を指しているのかにもよると思いますが、ネガティブな意味で使っているのだとしたら、大変ではないかな。「楽しい」に近いです。

<青野>
明石さん、楽しんでいるもんね。楽しさがあふれいてる(笑)。
これ、実際に質問した人にどういう意味の「大変」なのか、聞いてみたいな。

<参加者>
その質問をしたのは僕です。この間、高校を卒業したばかりで、今年から大学生なんですけど。

<青野>
おお! 若いね!

<参加者>
高校に電車で通学していたときに、帰りの車内で疲れたように眠っている社会人が多いなと感じていて。
優先席で睡眠をとっている社会人、その前に立つ年配の方……みたいな光景を見て、「そんなに大変なのかな」と。そんなに周りを見ることができなくなるほど疲れちゃう仕事ってどうなの? と思って質問しました。

<青野>
なるほど。それは残念な光景だ。周りも嫌になっちゃいますもんね。
ただ、日本って働きすぎってよく言いますけど、人によって疲労度は変わってきます。できれば、自分の限界を知りながらマネジメントしたいところです。
日本はメンバーシップ型という雇用契約の形をとっている企業が多いので、会社から「異動しなさい」「転勤しなさい」と言われたときに断る権利がないんだよね。
できればこの雇用制度をアップデートしたいんだけど、残念ながらいま国会ではそのことについて議論がされていない。
自分で働く時間や場所を選ぶ権限、断る権限、それを持たせるような法改正が今後必要かな、と思っています。


■イケてる代表とイケてない代表、どうやって見分ける?

Q:イケてるイケてない代表、人はどう判別にすればいいのか?

<青野>
まず、自分でイケてるかイケてないかの判断基準は持っておきたいですね。たとえば僕がひとつの基準にしているのは、志の高さです。その人が何のために活動しているのか。

もうね、大企業の経営者とか、意外とイケていない人が多いんです。「改革だ!」なんて偉そうに本を書いていても、年功序列ひとつ変えられない人が、ちょっとビジネスモデル変えたくらいだったりしますから。

<明石>
代表と直接会えない学生さんが判断する場合は、どうしたらいいでしょう。

<青野>
言っていることとやっていることが合っているか、つまり言動一致を確かめるという点では、代表が企業の広報やSNSなどを通じて何を発言しているのかをチェックしてみるのはいいですね。

発信を積極的に行わない代表者はもったいないですよね。せっかく話を聞いてもらえる立場なのに。発信をしていないとなると、言動一致しているかどうか、確かめるのはなかなか難しいと思います。
大人になっても夢を追い続けるには「持ち替える力」が大事。





月あかり
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これからの就活~「正解」がない時代だからこそ「親の言うことは聞くな」~

Posted by ななし on 29.2018 記事 0 comments 0 trackback
就職活動では、色んな大人の言葉に軸がぶれそうになりますよね。

リンク:リンク

--------以下引用-------------
就活で親の存在ははっきり言ってめちゃくちゃ邪魔です。

理由は簡単で君たちの親は君たちと同じ時代に就活もしたことないし、

君たちの状況も分かっていないからただの”願望”を言うことはできても”アドバイス”はできないわけ。

親がどれくらい分からないかというときに僕が考えてた具体例はというと、

例えば今50歳の両親の時代は大学進学率が約35%だったけど今は約60%なんだよ。

つまりこの指標だけ見ても日本はこの30年で状況が大きく変わったということは明らかなわけ。

なのに当時就活したことをベースに君らにアドバイスしてきていたらそれはめちゃくちゃ的外れになってるんだよ。

そもそも就活については君らのほうが詳しいし、自分の仕事くらい自分で決めないとこの先も一生親が言うことを聞かないといけなくなるつまらない人生になるので早めに自分で考える人生を歩んだほうがいいっすよまじで。

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入りたいのに入り方が書いてないなら聞くしかない。

こんな当たり前のことも普通の就活生はしないわけ。

だってそれはリクナビとかに出てない企業はそもそも採用しないって諦めてるからだよね。

でも職を得ることを目標にする限り、入り方はどうでもいいんだからやり方を必死に考えるわけですよ。

こうやって自分で考えて行動することがとても大事。

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櫻井佑衣子
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「頑張る、努力する、我慢する」が人を不幸にする

Posted by ななし on 28.2018 記事 0 comments 0 trackback
頑張る、努力する、我慢する、が人を不幸にする。
まさにそのとおりで、「努力の努は奴隷のド」335091から来ているのです。奴隷の力が努力なのです。

なので、努力という言葉には、無理して頑張る、我慢して為すというイメージが一緒に含まれています。

必要なのは、努力することではなく、没頭できる何かを見つけること。そして追求し続けること。

今の親世代や学校の先生も、奴隷のドの努力の中で育った価値観のまま、社会も、勉強も苦しいけれど努力するものと教え込みます。それが一番の害悪なのです。価値観の転換が求められている時代なのです。

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■「頑張る、努力する、我慢する」が人を不幸にする
リンク
頑張るのは、いつもの自分のペースではやりきれない状況になった時に、少し無理をする、という意味ですね。

努力するのは、いつもの自分のペースでは目標に達成できない状況の時に、目標値に追いつくためにする事ですね。
我慢するのは、いつもの自分ならやらない事をやらなければならない状況の時に出てくる言葉ですね。

どれも、本当はやりたくない事イヤな事嫌いな事を無理矢理やる時の言葉です。

本当はやりたくない事に直面した時の選択肢は3つです。
1、やらない(逃げる、断る)
2、渋々あるいはテンションを上げてやる(頑張る、努力する、我慢する)
3、淡々と楽しくやる

「頑張る、努力する、我慢する」時は幸せですか?
「頑張る、努力する、我慢する」事は、美徳の一つだと考えられているように思います。
本当にそうでしょうか?

私はこの3つは、人を不幸にする方法だと思います。

「頑張る、努力する、我慢する」時は幸せですか?
それをした後に幸せがやってきますか?達成感や開放感はあるかもしれないですね。それもひとときの事で、あなたの心を本当に満たしてはくれないでしょう。その時の自分の感情を丁寧に観察すると分かると思います。多分、寂しさやむなしさのようなものが残るのではないでしょうか?

自分で地獄を創り出して、そこで苦しんでいるのが好きな方もいらっしゃるので、そういう方は続けてくださったらいいのですが、

幸せでありたい、お気楽人生を生きたいと思うなら、
「頑張る、努力する、我慢する」ような事は止めた方がいいと思います。
上の3択の2をやらない、という事です。

でも私たち、小さい時からこの「頑張る、努力する、我慢する」をやらされてきたし、それがいい事なのだとすり込まれてきましたよね。

それは20世紀までの事です。新しい時代にはもう必要ありません。
「頑張る、努力する、我慢する」のは、エゴ様が全部を仕切っている姿です。
私たちは徐々に、エゴ様が自分ではないことに気づき、エゴ様に振り回されない生き方が出来る用になっていきます。




匿名希望
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